父の背中
俺が七歳だったころ。
アルヴェール家は辺境の小さな領地を治めていた。石造りの屋敷は古く、壁はひび割れていたが、冬には暖炉が赤く燃えて、そこに人の気配があった。父と母の声。台所のまな板の音。外では、牛鈴と鍬の金属音。
「ライアン、こっちへ来い」
裏庭の土の匂いと、乾いた木の音。父は一本の木剣を肩に担ぎ、太陽を背負って立っていた。背が高くて、影が長い。俺の世界で一番大きな影だった。
「剣は腰からだ。お前も男なら覚えろ」
差し出された木剣を両手で持つ。想像より重い。腕がぷるぷる震えて、肩がすぐ痛くなる。
「力任せじゃない。腰だ。足だ。……それから、心だ」
「……心?」
「そう。心が折れなければ、剣も折れん」
子供の俺には、あんまり分からない。けど父の声は、土に杭を打つみたいに、深く胸に刺さった。
構え、踏み、振り下ろす。
最初は空を切るだけで、父の真似にもなっていない。何度も何度も、足の位置を直され、握りを直され、背中を軽く叩かれる。
「もう一度。そうだ。腰が浮いてる。もう一度」
額の汗が目に入って、視界がじんわり痛い。
でも、父は笑っていた。叱る時も、笑う。叱られても、怖くない。怖くないのに、背筋は伸びる。
夕方、訓練が終わると、父は外套を羽織って領民の方へ歩いていく。俺も小走りでついていく。
「殿、畑の土が固くて……」「わかった、牛糞は足りてるか? 水路は塞がれていないな」
膝の悪い老人には薬の包みを渡し、泣く子供には手品みたいに木の笛を出して渡す。
みんな、「殿」と呼ぶ。父は偉そうに胸を張らないのに、誰も父の前で背を丸めない。
(父さんみたいになりたい)
小さな手で木剣の柄を握り直す。
夕焼けの空が赤く、父の影は長く、俺の靴は土で真っ白。
その全部が、俺の世界の色だった。