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第004話「黒銀の視線、胃痛の洗礼」

 息を、呑んだ。


 十数メートルはあろうかという高い天井。

 壁一面を埋め尽くすのは、いくつもの巨大なモニタースクリーンだ。


 ――そこには、世界中の株価、為替、ニュース速報、衛星画像らしきものまで、

 およそありとあらゆる情報が、洪水のように流れ続けている。


 そして、その情報を処理するフロアには、寸分の無駄もなく配置された機能的なデスクが幾何学模様のように並んでいた。

 そこで働く男女は、ざっと見ても三十人以上はいるだろうか。


 誰もが無駄口一つ叩かず、凄まじい速度でキーボードを叩き。

 あるいはタッチパネルを操作している。


 彼らの纏う空気は、俺が今までいたどのオフィスとも違っていた。

 それはエリートという言葉ですら生ぬるい、もっと鋭利でもっと人間味のない、完璧に調整された機械の部品のような空気だった。


 俺とレイナの入室に、フロアにいた全員がぴたり、と動きを止めた。


 全ての視線が、一斉に俺に突き刺さる。

 好奇、困惑、そして、あからさまな侮蔑。


 俺は、その視線の暴力に、思わずたじろいだ。

 動物園のパンダになった気分だ。


 いや、パンダならまだいい。

 どちらかというと、場違いな場所に迷い込んでしまった、

 一匹の哀れなタヌキ。


 そんな俺の隣で篠崎レイナが、凛とした。

 しかしフロアの隅々まで響き渡る声で、静かに告げた。


「2年もの間――長らく不在だった部門長がただいま着任いたしました。

 これより私、篠崎レイナは部門長代理を解任され、副部門長としての役目を果たします」


 その言葉を合図に職員たちは、まるでプログラムされていたかのように一斉に立ち上がり、俺に向かって完璧な角度で頭を下げた。


「よろしくお願いいたします、部門長」


 声は、揃っている。動きも、完璧だ。

 だが、その中に、歓迎のムードは、ひとかけらも感じられなかった。

 半分は疑念。

 そして、もう半分は、冷ややかな観察。

 そんな空気が、肌を刺すようにビリビリと伝わってくる。


(……だよな。そりゃ、そうだよな)


 無理もない話だ。

 彼らは、見た目からして全員が超エリートだ。

 おそらく、国内外の最高学府を卒業し、輝かしいキャリアを積んできた選りすぐりの天才たち。


 そんな彼らが集う秘密組織の、しかも中枢である【黒銀】に。

 ある日突然、どこの馬の骨とも分からないくたびれた中年のおっさんが「今日からお前たちの上司です」とやってきたのだ。


 納得できるはずがない。

 俺だって、彼らの立場なら、同じように思うだろう。

 「天下りか?」「コネ入社か?」「一体、何様のつもりだ?」と。


 針のむしろとは、まさにこのことだ。

 俺は、ただ脂汗を流しながら突っ立っていることしかできない。


 そんな俺の惨めな姿を意にも介さず、レイナは「こちらです」と、フロアの奥へと俺を促した。

 職員たちは、俺たちが通り過ぎると再び機械のように自らのデスクに戻り、先ほどまでの業務を寸分の狂いもなく再開する。

 その背中が、俺の存在を拒絶しているように見えた。




 フロアの最奥。

 ひときわ大きな、ガラス張りの部屋があった。

 そこが、俺の新しい仕事場らしい。


「部門長室はこちらです」


 レイナがドアを開ける。

 中は、広々としていた。

 巨大なデスクに、座り心地の良さそうな革張りの椅子。


 壁にはフロアと同じように、巨大なモニタースクリーンが設置されている。

 窓の外には、まるでミニチュアのような東京の街並みが広がっていた。


 俺が今までいた会社の窓際とは名ばかりの、

 壁しか見えない席とは、天と地ほどの差がある。


「資料はこちら。

 専用のタブレットは、セキュリティレベル8までの資料までを閲覧することが可能です。

 ――なお、セキュリティレベルの最大は10です」


 レイナは、デスクの上に置かれていた、一枚の薄いガラス板のようなものを指さした。

 ――タブレット、と言ったか。

 俺が家で使っている動画を見るためだけの安物とは、明らかに次元が違う代物だ。動きが滑らかすぎる。


「セキュリティレベル……?」

「機密部で扱う情報は、その重要度に応じてレベル1から10まで分類されています。

 レベル9の資料にアクセスできるのは現在、リゲル副総帥と各機密部の部門長のみ。

 レベル10はリゲル副総帥と極々、限られた者のみ。

 ――ですが、あなたの権限はまだ承認されていません」

「……つまり俺はまだ、半人前ということか」

「その通りです」


 レイナは一切の遠慮も、お世辞も言わない。

 その氷のような瞳は、まるで俺の能力を試すかのようにまっすぐに俺を見据えている。


 彼女は俺がここに来るまでの2年間、部門長代理を務めていたという。

 俺よりもこの組織のことを、そしてここにいるエリートたちのことを遥かによく知っているはずだ。

 そんな彼女から見れば、俺など赤子同然だろう。


(……だが)


 ここで怯むわけにはいかない。

 俺は、もうサインをしてしまったのだ。後戻りはできない。

 それに、あの青年の言葉が、まだ耳の奥で響いている。


『あなたには、「常識」という名の優れたバランス感覚がある』


 俺にできることは、それしかない。

 この異常な世界で、俺が唯一武器にできるのは、

 俺が今まで生きてきた平凡で、退屈で、しかし真っ当な社会の「常識」だけだ。


 ――俺は覚悟を決めた。

 まずは、目の前のこの絶望的なタスクからだ。

 8時間で、120億円が動く戦争のプランを立てる。

 やってやる。やってやろうじゃないか。


「篠崎副部門長」


 俺は意を決して、初めて彼女を役職で呼んだ。


「はい、部門長」

「まず……現状を把握したい。

 ユーロ・クロノス社の件、関連する全ての資料を俺が理解できるように、要約して説明してくれ」


「時間は……30分で。できるか?」


 俺の言葉にレイナの眉が。

 ほんの僅かに――本当に僅かにぴくりと動いたのを、俺は見逃さなかった。


 それは、驚きか、それとも侮蔑か。

 どちらでもいい。


 俺の、胃痛だらけの戦争が、今始まったのだ。

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