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第032話「デブリーフィング」

 第四機密部のブリーフィングルーム。


 そこに今、財閥統合戦略室のほぼ全ての怪物が集結していた。


 円卓を囲むように座るのは、各部門長たち。

 神聖なオーラを放つ第一機密部【碧命へきめい】の、水守みなもりカスミ。

 死んだ魚の目をした第二機密部【紅夜こうや】の、久賀くが理人りひと

 鋭い刃のような第四機密部【白閃はくせん】の、一条いちじょうトウカ。

 そして全てを見通すような第五機密部【灰都かいと】の逆太刀さかたちシュウヤ。


 上座には、この軍勢を束ねる若き王――相川あいかわリゲルが静かに座っている。


 そして壁際には、今回の作戦に出動した隊員たちが無言で並んでいた。

 消耗しきった様子の神しんかいカナト、正中せいちゅう視天してん武雷ぶらい咬威かむい

 民間人保護の任を終えた王隠堂おういんどう残月ざんげつは、つまらなそうに欠伸を噛み殺している。

 歪鬽学の権威である明芽宮あめみやワタルは、貴重なサンプルを前にした研究者の顔だ。ほくほくしていた。


 そして最後に、スー亞鈴アーリン

 あの半吸血鬼は、腕を組み壁に寄りかかったまま、その顔を影に隠し沈黙を続けている。


 その部屋の空気は、あまりにも重く濃密だった。

 俺のような凡人がここにいること自体が、場違いなのだと肌で感じる。


 胃が痛い。

 もはや俺の相棒とも言えるその痛みを堪えながら、俺は自らの席で固く口を閉ざしていた。


 やがてリゲル様が静かに口を開いた。

 その声が、この報告会の始まりを告げる。


『――それではデブリーフィングを始めます。各部門長より順次報告をお願いします。まずは第一から』


 その言葉に、第一の部門長である水守カスミが優雅に頷いた。

 その報告は、どこまでも完璧で、そしてどこまでも非人道的だった。


「カバーストーリーの流布は成功しました。

 初期段階で流布した自然災害に加え、千葉県山間部で発生した謎の発光現象及び衝撃音は、自衛隊の新型装備の極秘演習によるものとして処理。

 周辺住民の不安を払拭しつつ、立ち入り禁止区域の設定も完了しています。

 また、対象集落の民間人三十八名については――第四及び王隠堂隊員の協力の元、全員の記憶処理を完了しました」


 記憶処理。

 そのさらりと言われた言葉に、俺は背筋が凍るのを感じた。


 彼らは見たのだ。

 目に見えない「何か」が、森の木々をなぎ倒し、民家をなぎ倒したのを。

 その恐怖の記憶を、この女は「処理」したというのか。

 まるでパソコンの不要なデータを削除するかのように。


 これが彼らの言う「民間人の保護」か。

 俺の常識がまた一つ、音を立てて崩れていく。


『ご苦労様です。――では次に第二』

 リゲル様は顔色一つ変えない。

 久賀理人が、だるそうに手を挙げた。


「……第二から。今回の件は、サンプルの少なさから歪鬽の特性と習性を完全に把握しきれなかったのが、こちらの完全な責任です。

 ……第五の研究員たちが言う、生きたサンプルの大事さを身にしみて理解しました。

 次回からは第四には負担をかけますが、第二としても捕獲作戦に賛同せざるをえません。

 ――申し訳ありません」


 その率直な謝罪。

 情報屋としての彼のプライドがそこにはあった。

 彼の組織が完璧な情報を提供できていれば、俺の作戦もまた違った形になっていたのかもしれない。

 しかし、そんなのは言い訳だ。


 俺は、自分の未熟さを改めて痛感させられた。


『いえ、あなたのせいではありません。誰も予測できなかった事態です。――第四は』


 リゲル様の視線が、一条トウカに向けられる。

 彼女は一度、俺の顔を鋭く睨みつけた後、ふいと視線を逸らした。


「第四からは、現場の声を私の声代わりとするので、今は見送りでお願いします。彼女らが感じたことこそが、全てです。」


 その言葉は、俺への明確な挑戦状だった。

 お前は机の上で駒を動かしただけだろう。

 本当に地獄を見た者たちの声を聞けと。


「――ただ、第二第五の意見は理解しました。しかしこちらにも【戦力】に限りがあります。

 以降はそちらの人員との合同作戦のための連携訓練も申請させていただきたく」


 俺は固く唇を噛み締めた。


『分かりました。――では最後に第五』


 逆太刀シュウヤが、待ってましたとばかりににこやかに話し始める。

 その内容は、俺の肝をさらに冷やすものだった。


「第五から。今回の件で僕たちが作った非殺傷兵器の限界が分かりました。……あの数だと完全に突破されてしまう。やっぱり威力を上げて、周辺一帯を更地にするくらいの兵器じゃないとダメですね」


 その言葉に、俺は思わず声を上げそうになった。

 威力を上げる? 更地にする?

 この男はまだそんなことを言っているのか。


 俺の立てた作戦の意図を全く理解していない。

 いや、理解した上で自らの「研究欲」を優先しているのだ。


 その狂気に、俺は改めて戦慄した。


 各部門長からの報告が終わる。

 どれもが、俺の心を抉るような内容ばかりだった。


 俺の初陣は勝利などではなかった。

 ただの辛勝。

 いくつもの課題と、そして新たな火種を残しただけの不完全な戦い。


 俺は司令官として失格だったのかもしれない。

 その無力感に俺が打ちひしがれていたときだった。


『――アキラさん』


 リゲル様が静かに俺の名前を呼んだ。

 その声に、俺ははっと顔を上げる。


『あなたの声を聞かせてください。今回の作戦の総括をあなたの口から』


 そうだ。

 まだ終わってはいない。

 この戦いを次に繋げること。

 それもまた司令官である俺の仕事なのだ。


 俺は覚悟を決めて口を開いた。

 この怪物たちを前にして、俺の「常識」をもう一度武器に変えるために。


 俺が覚悟を決めて口を開こうとしたその瞬間だった。


 ――鋭い声がそれを遮った。


「いいえリゲル様。先に現場の報告をお聞きください。第三は司令塔なのでしょう?」


 一条トウカが真っ向からリゲル様に進言する。

 その言葉は建前上、リゲル様に向けられていた。

 だが、その本当の刃が俺の心臓を狙っていることを、俺は痛いほどに理解していた。


 これは俺を逃さないという、彼女の強い意志の現れだった。

 机上の空論を語る前に、まず地獄を見てきた者たちの声を聞けと。


 その無言の圧力が、ブリーフィングルームの空気を支配する。


 リゲル様は何も言わなかった。

 ただ静かに俺とトウカの顔を交互に見比べると、面白そうに小さく頷いただけだった。


 王の許可は下りた。

 俺はもはや何も言えない。

 ただこれから始まる、本当の断罪を待つことしかできなかった。


 ――現場の報告が始まる。


 最初に口を開いたのは、神開カナトだった。

 彼女は壁に寄りかかったまま、消耗しきった身体で、それでもなおその瞳だけは悔しさと怒りの炎で燃え盛っていた。


「……第四機密部副部門長、神開カナト。報告を開始します」


 その声は低く嗄れていた。

 彼女は一度息を吸うと、その戦場の記憶を吐き出すかのように語り始めた。


「我々が降下ポイントに到着後、対象との接敵までは極めてスムーズでした。

 ですがご存知の通り、対象は単独ではなかった。

 報告にあった一体ですらなく、接敵直前にはすでに五体に。最終的な接触数は二十体以上。総数は四十体と報告が上がっています。

 その全てが、第三級としての戦闘能力を保持していました」


 淡々とした口調。

 だがその言葉の端々から、彼女が感じたであろう絶望の深さが滲み出てくる。


「対象は高度な連携戦術を用いてきました。

 一体が囮となり、残りが側面及び後方から襲いかかる。

 我々は完全に包囲され、各個撃破される寸前でした。

 私と視天の二人では戦線を維持するのがやっと。

 敵の数を減らすどころか、こちらの消耗を防ぐだけで精一杯。討伐数は2人合わせても三体ほど――。

 ……正直に申し上げて、あと数分――獅亞鈴の到着が遅れていれば、私達は死んでいたでしょう」


 その言葉は、俺の胸に重く突き刺さった。

 俺の立てた作戦。

 俺の見通しの甘さ。

 それが彼女たちを死の淵まで追い詰めたのだ。


 俺はただ唇を噛み締めることしかできない。


「……私の報告は以上です。結論として、今回の作戦は初期の情報分析の段階で完全に、失敗していたと判断します」


 カナトはそう言い切ると、ふいと顔を逸らした。

 その横顔に浮かんでいたのは深い悔しさだった。

 自らの力が及ばなかったことへの。

 そして仲間を危険に晒してしまったことへの。


 その悔しさは、俺という無能な司令官への怒りとなって全身に突き刺さった。


 次に報告を始めたのは、正中視天だった。

 彼は床に座ったまま、その静かな瞳を俺に向けた。

 彼の声はカナトのそれとは対照的に、どこまでも穏やかだった。


 ――だが、その穏やかさの下にある悔しさは、カナト以上に深いのかもしれない。


「……第四機密部戦闘員、正中視天。報告を続けます。

 神開副部門長の報告を補足します。

 対象【狼襲】は、個々の戦闘能力もさることながら、その再生能力がこちらの想定を遥かに上回っていました。

 私の『地中の天国』で与えた傷も数秒で完全に塞がってしまう。

 決定的なダメージを与えるには、【狼襲】の心臓部を正確に破壊するしかありませんでした。

 ですがその心臓部は硬い体毛と骨格に守られており、こちらの攻撃が届きにくい。

 加えて彼らは常に群れで行動し、仲間が傷つけば即座に別の個体がカバーに入る。知能も相当に高かった。

 ……我々二人だけでは、有効打を与えることはほぼ不可能でした」


 視天の報告は、どこまでも冷静で分析的だった。

 だがその言葉の端々から、戦士としての無念が滲み出ている。


 自分の剣が届かなかったことへの。

 守るべき仲間を守りきれなかったことへの。


 その静かな悔しさが、俺の罪悪感をさらに深く抉った。


 そして最後に、武雷咬威が口を開いた。

 彼は椅子に深く腰掛けたまま、そののほほんとした雰囲気を崩さずに語り始めた。


 だがその声には、わずかな悔しさが混じっていた。

 それは「やるべきことはやった」という自負と、それでもなお経験不足と実力不足、無念さが同居した、複雑な響きだった。


「……銃器テスター、武雷咬威です。

 俺からは狙撃支援についての報告を。

 結論から言うと、俺の狙撃はほぼ無力でした。

 敵の数が多すぎて、一体を狙撃してもすぐに別の個体がその射線を塞いでしまう。

 正中隊員がいっていたように、心臓を一撃で穿たなければ再生するのに、【狼襲】たちはそれを分かっているかのようにカバーし合う。

 第五が用意してくれた狙撃ポイントも、敵の予測不能な動きによって何度も変更を余儀なくされた。

 ……獅亞鈴さんが来るまで、俺が撃てたのはたったの5発。

 そのうち4発は他の狼に防がれ、有効打となったのはたったの1発だけです。

 ……申し訳ありませんでした」


 咬威は静かに頭を下げた。

 俺は何も言えなかった。


 俺の作戦の切り札として期待していた彼の狙撃。

 その彼に「無力だった」と言わせてしまった。


 それは紛れもなく、司令官である俺の責任だった。


 三人の報告が終わる。

 ブリーフィングルームは重い沈黙に包まれた。

 俺はただその沈黙に耐えることしかできない。


 俺の立てた作戦は失敗した。

 そしてその失敗の責任は全て俺にある。


 今この場で、司令官としてその責任を取らなければならない。


 俺は覚悟を決めて顔を上げた。

 そして三人の若き戦士たちに向かって、深く深く頭を下げた。


「……すまなかった」


 俺の口から出たのは、その一言だけだった。

 だがその一言に、俺の全ての想いを込めた。


 俺の未熟さに対する謝罪と、彼らの奮闘に対する感謝と、そして二度とこのような過ちは繰り返さないという誓いを。


 その俺の姿を、部屋にいる全員が黙って見つめていた。


 俺の司令官としての本当の戦いは、今まさに始まろうとしていた。



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