第021話「司令の手綱」
篠崎レイナが凄まじい速度でタブレットを操作していく。
俺の目の前の巨大なスクリーンに、千葉県の現場周辺の詳細な三次元地形データが瞬時に表示された。
山、川、森、そして孤立した小さな集落。
同時に、過去の戦闘記録の中から今回のケースと類似する可能性のあるデータが次々とリストアップされていく。
情報が揃っていく。
――だが、最も重要なピース。
実際に戦場へと赴く兵士たちの、本当の力が分からない。
そのもどかしさに、俺は歯噛みした。
俺はモニターに表示された7人の名前を、もう一度睨みつけた。
特記事項が分からない以上、今頼れるのはそこに書かれたわずかな情報。
そして俺が30年間、広告代理店という魑魅魍魎の世界で培ってきた「人を見る目」だけだ。
――第二機密部【紅夜】、副部門長・大嵐龍宝。
第三級歪鬽の討伐経験あり。それは素晴らしい。
だが「最終手段もしくは自衛手段としての戦闘が主」という一文が引っかかる。
今回の任務はまだ最終手段ではない。
初動だ。
彼をいきなり最前線に投入するのは得策ではないだろう。後詰、あるいは予期せぬ事態へのバックアップ。可能かどうかは分からないが、できて支援程度の役割か。
――第四機密部【白閃】、副部門長・神開カナト。
小隊(5人程度)での第二級討伐経験あり。
第二級といえば都市一つが壊滅するレベルだと、さっき久賀さんは言っていた。それを生き残り、なおかつ副部門長という高い階級にいる。
つまり、彼女がそれだけ信頼され、部隊を率いた指揮官としての経験があるということだ。
リーダーとしての資質は申し分ない。
――第四機密部【白閃】、戦闘員・正中視天。
単独での第三級討伐経験あり。これは大きい。
一匹狼タイプか。
あるいは単独での潜入や強襲を得意とするスペシャリストか。
いずれにせよ、自己完結できる極めて高い戦闘能力を持っていると見るべきだ。部隊の槍の穂先として、これ以上ない人材。
――第四機密部【白閃】、銃器テスター・武雷咬威。
戦闘経験は数回。リストの中では最も経験が浅い。
銃器テスターという役職からして、本来は戦士ですらないのかもしれない。
……だが待てよ。銃器が第五の開発品だとするなら。そして彼がそのテスターだというのなら。
つまり、第五の生み出す常識外れの最新鋭の装備を、誰よりも早く、誰よりも巧みに使いこなせる特殊な技能を持っている可能性がある。
――これは面白いジョーカーになるかもしれない。
――第五機密部【灰都】、部門長・逆太刀シュウヤ。
部門長みずから。戦闘経験も多数。
……だが「視認はノイズ程度に限る」とある。
今回の作戦の鍵は「目」だとかんがえている。
彼を直接的な索敵の「目」としてカウントすべきではない。技術的な後方支援、あるいは全体のバックアップに回ってもらうのが最適解か。
――第五機密部【灰都】、研究員・明芽宮ワタル。
研究員。戦闘経験は「数回」。それに「不得手」とはっきり書かれている。……これもカウントすべきじゃない。
彼を危険な最前線に送るのは、司令官としてあまりにもリスクが高すぎる。
――そして最後。
第五機密部【灰都】、研究員・王隠堂残月。
……第五の研究員でありながら、戦闘経験は多数。
矛盾している。
部隊長ならまだ分かるが、研究者がこれほどの回数の戦闘を経験するというのは、一体どういうことだ?
そしてこの男も特記事項持ち。しかもセキュリティレベルは最高の10。リゲル様の許可が無ければ閲覧すら許されないだろうし、このタブレットで閲覧は不可。
……分からない。この男だけは、その何も読み取れない。あまりにも情報が少なすぎる。
――彼は一体、何者なんだ?
俺は思考を巡らせる。
リーダーは神開カナト。
アタッカーは正中視天。
そしてジョーカーとして武雷咬威。
この三人を中心としたチーム編成が最もバランスがいいだろう。
だが、これだけでは足りない。何かが足りないのだ。
このパズルを完成させるための最後の、そして最も重要なピースが。
俺はもう一度、王隠堂残月のプロフィールを睨みつけた。
戦闘経験、多数。研究員。レベル10。
その三つのキーワードが、俺の頭の中でぐるぐると回り続ける。
――――
張り詰めた沈黙。
俺が頭の中で不完全な、しかし形になりつつある作戦計画を必死に組み立てていたその時だった。
その沈黙を破ったのは。
モニターの向こう側からの、久賀理人の言葉だった。
『――特定しました、木村部門長』
俺ははっと息を呑んだ。
宣言よりも早い。
第二機密部【紅夜】の諜報員は、10分も経たずに敵の正体を掴んできたのだ。
メインスクリーンに千葉県山間部の、高精細な衛星写真が映し出される。
その緑深い森の中央の一点が、不気味に赤く点滅していた。
同時にその隣に一枚の画像が生成された。
それは第二機密部の調査員が現場で描いたのだろう、荒々しい鉛筆のスケッチ。
そしてそのスケッチを元に、第五機密部のAIが瞬時に三次元のリアルな想像図へと再構築したものだ。
歪鬽は普通の人間には感知できず、カメラなどの機械にも映らない。
ならば、これが今我々が持てる唯一の視覚情報なのだろう。
そこに映し出されていたのは。
――巨大な狼だった。
ただの狼ではない。
その体毛はまるで影を編み込んだかのように黒く。
その両目からは憎悪と飢餓の赤い光が放たれている。
そして何よりも異常なのは、その大きさだ。
『対象は、狼型。体長はおよそ3メートル。
周囲に強力な霊的障害フィールドを展開しており、通常の物理攻撃は効果が薄いと思われます。
……三年前、北海道で確認された未確認生命体のデータと一致する部分が一部あり。これより、対象のコードネームを【狼襲】と呼称します』
狼襲。
その凶暴な響きを持つ名。
俺はそのモニターの中の怪物を睨みつけた。
こいつが今回の敵。
こいつが今まさに、何の罪もない人々を脅かしている不条理の化身。
俺がこれから司令官として戦うべき相手。
『――なるほど。面白いサンプルですね』
モニターの向こう側で逆太刀シュウヤが楽しそうに呟いた。
その瞳はもはや完全に科学者のそれだった。
『霊的障害フィールドですか――。
それなら第五で開発中の位相境界破壊フィールドを使ってみるのはどうでしょう。半径500メートル以内を完全に亜空間ごと消滅させられますが』
「……却下だ」
俺は即座に答えた。
『では、先日完成したばかりの対霊体用プラズマキャノンは? 一撃で山一つ蒸発させられますよ?』
「それも、却下だ」
シュウヤが次々と提案してくる装備。
その一つ一つの詳細なスペックは俺には分からない。
しかし一つだけ分かるのは、そのどれもが明らかに火力過剰、オーバーキルすぎるということだった。
山一つを蒸発させてどうする。
それでは集落も、そこに住む人々も、全て跡形もなく消し飛んでしまうではないか。
「逆太刀部門長。あなたの提案は素晴らしい。
素晴らしいが、今回の目的とは合致しない」
俺はきっぱりと言い切った。
「我々の今回の最優先目的は、集落の民間人の保護であるべきだ。
そしてその上で対象を可能な限り迅速に、そして静かに排除する。
第一機密部に仰々しいカバーストーリーを作らせる手間はかけさせたくない」
俺の言葉にモニターの中のシュウヤが、ちぇっ、と残念そうにしたのが見えた。
だが俺は構わない。
この狂った天才たちに、俺の「常識」という名の手綱を握らせるのだ。
「――作戦プランを伝える」
俺は息を吸った。
もう、迷いはない。
俺はこの不完全な情報の中で、俺が最適解だと信じるプランを、この神々と怪物たちに叩きつける。




