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第019話「世界の裏側が口を開ける」

 ――人の慣れというものは恐ろしいもので。


 あれから一週間もすると、俺、木村アキラはあろうことか、この第三機密部【黒銀こくぎん】での仕事に完全に慣れてしまっていた。


 もちろん、今でも分からないことの方が多い。


 第五機密部【灰都かいと】から上がってくる未来技術の報告書は、まるで古代の呪文のように、半分も理解できない。


 第四機密部【白閃はくせん】が提出する物騒な兵器の使用許可申請書を見るたびに、俺の常識は粉々に砕け散る。


 第一機密部【碧命へきめい】が立案する壮大すぎるプロパガンダ計画は、もはやSF映画の脚本だ。


 そして、第二機密部【紅夜こうや】からもたらされる世界のあらゆる秘密を暴き出す非合法すれすれのレポートには、毎度肝を冷やしている。


 胃は相変わらず毎日痛い。

 薬の消費量は、ブリニニア時代よりも明らかに増えた。


 だが、それでも。

 自分でも驚くべき事に、俺の判断力とプラン構成能力は、この異常な環境の中で日を追うごとに研ぎ澄まされていくのを実感していた。


 数十億、数百億という天文学的な数字にも、もう驚かなくなった。

 非合法な手段や裏工作という言葉にも、ある種の仕事上のリアリティを感じられるようになってしまった。


 俺のサラリーマンとして数十年培ってきた常識は、この一週間で良い意味でも悪い意味でも完全に破壊され、そして再構築されつつあったのだ。


 何より、第三機密部の職員たちが優秀すぎることが大きかった。

 俺が「この案件、少しリスクが高いな」と曖昧な懸念を口にするだけで――


『部門長。

 ……でしたらこちらの別プランをご提案します。

 リスクを32%低減可能ですが、その代わり予算が11%増加します。ご判断を』


 レイナが即座に代替案を提示してくる。

 俺がそのプランを見て、「うーん、もう少し予算を抑えられないか。例えばこの部分をこう……」と、広告屋としての経験則から感覚的なアイデアを口にすると――


『――その発想は、ありませんでした。

 部門長のそのアイデアを基に、シミュレーションを再構築。5分で結果を出します』


 フロアにいる誰とも知れない超エリートの部下が、俺の素人考えを完璧なデータへと落とし込んでくれるのだ。

 俺はただ、最も効率的で、そして最も俺の「常識」に近い答えを選ぶだけでいい。


 それだけで物事は常に最適解へと導かれていく。

 俺はいつしか、この第三機密部【黒銀こくぎん】という巨大なスーパーコンピューターの使い方を完全にマスターしてしまっていた。


 その日も俺は2つの新たな案件を午前中のうちに片付けていた。


 一つは、中東の小国で発見された古代遺跡の発掘権を巡る欧州の研究機関との熾烈な争奪戦。

 その遺跡には歪鬽の力が宿っている可能性があるらしい。


 もう一つは、第五機密部がまた何かとんでもないものを開発したらしく、その特許を巡る国際的な防衛戦略の立案。


 俺はもはや、慣れた手つきで各部門に的確な指示を飛ばしていく。


『――第二へ。欧州の研究機関のスポンサーとその裏の資金源を徹底的に洗い出してくれ。金の流れを止めれば奴らは動けない』

『――第四へ。遺跡の周辺警備を強化。ただしあくまで現地の民間警備会社を装うこと。我々の存在は決して悟られるな』

『――第五へ。その新技術のダミー情報をいくつか作成し、意図的にネット上にリークさせろ。敵の注意をそちらに引き付けるんだ』


 その光景は、もはやかつてのしがない中間管理職のそれではなかった。

 モニターに映し出される世界の裏側の戦況を冷静に分析し、的確な指示を飛ばす一人の司令官の姿がそこにはあった。


 俺は自分が少しずつこの世界の色に染まっていくのを、どこか他人事のように感じていた。


 ――それは果たして良いことなのか、悪いことなのか。

 今の俺には、もう判断がつかなかった。



――――


 そんなときのことだった。

 俺が【灰都かいと】の、ふざけた特許申請書類の予算部分に、真っ赤な文字で修正指示を書き込んでいた、その時。




 ――ヴウウウウウウウッ!  ヴウウウウウウウッ!




 14:33。

 突然、けたたましい耳をつんざくようなアラートの音が、第三機密部の静寂を切り裂いた。


 俺は驚いて顔を上げる。


 見れば、フロア中のすべてのモニターが、それまでの株価やニュース速報の表示をやめ、真っ赤な警告画面に切り替わっていた。

 天井に取り付けられた回転灯が狂ったように赤い光を室内に撒き散らしている。


 メインモニターの中央には。

 ゴシック体の無機質な、しかし絶望的な響きを持つ五つの文字が大きく点滅していた。


歪鬽ひずみ災害警報】


「……っ!?」

 俺の心臓が大きく跳ねた。


 ひずみ。

 あの日、リゲル様に説明されていた。

 一週間、この異常な日常に慣れ、麻痺し始めていた俺の脳髄に。

 あの日のリムジンの中で聞かされた、世界の真実が鮮烈に蘇る。


 幽霊、吸血鬼、ドラゴン、神、などなど。

 不条理そのもの。

 それが今この瞬間に、日本のどこかで牙を剥いたのだ。


「……来てしまいましたね」


 隣で補佐をしていた、篠崎レイナがぽつりとそう呟いた。

 その氷の仮面は一切崩れていない。

 だがその瞳の奥に、普段の冷静さとは質の違う鋭い緊張の光が宿っているのを、俺は見逃さなかった。


「こ、これが……歪鬽災害……」

「そうです。久賀くが部門長からの報告をお待ちください。

 まもなく、全部門長の緊急会議が始まります」


 レイナがそう言うが早いか。

 俺の目の前の巨大なモニタースクリーンが5つに分割され、そこに見慣れた4人の顔が映し出された。


 第一機密部【碧命へきめい】、水守みなもりカスミ。

 第二機密部【紅夜こうや】、久賀くが理人りひと

 第四機密部【白閃はくせん】、一条いちじょうトウカ。

 第五機密部【灰都かいと】、逆太刀さかたちシュウヤ。


 ――そしてその中央には、副総帥室にいるリゲル様の顔。


 緊急、最高レベル幹部会議。

 そのあまりにも物々しい空気に、俺はごくりと唾を飲み込んだ。


『――千葉県の山間部にある集落で、第三級歪鬽の発生をウチの調査員が感知しました』


 最初に口を開いたのは諜報担当、【紅夜こうや】の久賀理人だった。

 その眠そうな、死んだ魚のような目は相変わらず。

 だがその声には普段のだるそうな響きは微塵もなかった。

 ――プロの情報屋の顔だ。


 彼のその淡々とした報告。

 その中に含まれた「第三級」という言葉。

 俺にはそれが何を意味するのか、全く分からなかった。


 そんな俺の心を読んだかのように、久賀さんは説明を続けた。

 それはまるで会社の新入社員に業務マニュアルの説明でもするかのような、あまりにも平坦な口調だった。


歪鬽ひずみには、その脅威度に応じて等級が付けられてましてね。木村部門長は初めて、でしたっけ』

「は、はい……」

『第五級がまあ、ポルターガイストとかその辺の、ほぼ無害なやつです。まあ、たまに人が死んだりもしますけど』


 ……無害じゃないじゃないか。


『第四級になると、まあ専門部隊の出動が必要で、街の一区画くらいは完全に封鎖されるレベルですかね。

 半年前ほどのコンビナートの爆発事故、ニュースとかで見ました?

  あれ、実は第四級の……』

「ちょ、ちょっと待ってください!」


 俺は思わず叫んだ。

 あの、何十人もの死傷者と行方不明者を出した大惨事。

 あれが第四級?


 ――では。


『で、第二級が都市一つ。第一級が……まあ、国が滅びかねないレベル、と』


 久賀さんは俺の悲鳴を完全に無視して続けた。


『――で、今回の第三級ってのは。簡単に説明すると。

 自衛隊が一個中隊を投入しても、おそらくは一方的に蹂躙されて全滅するレベル……ですね。

 そもそも通常武器や兵装では歪鬽に効きませんしね。

 感知の出来ない人員が行けば、何人居ようが一方的に喰われるだけです』


『このまま放っておけば、まずその集落が地図から消え、被害はその周辺地域へと確実に拡大していく可能性がありますね』


 ……一個中隊が全滅?

 自衛隊の一個中隊といえば、200人規模の部隊のはずだ。


 それが、全滅……?


 俺の思考が完全にフリーズした。

 俺が今まで、ここで対峙してきた企業の買収だのなんだのという戦い。


 それは確かに金が動く大きな戦いだった。

 だが、それはあくまで比喩としての「戦争」だ。


 しかし今、俺たちが直面しているこれは。

 人の命がリアルに失われる、本物の「戦争」なのだ。


『……まあ、我々にとっては、第三級なら……骨は折れますが、対処可能な日常業務、といったところですかね』


 そのあまりにも感覚が麻痺した言葉。

 俺はもはや何も言い返せなかった。


『まあ、まだ感知しただけなので、今から個体の正確な位置と能力を探る必要がありますね……。

 それはウチ第二でやります……。

 第三級歪鬽なので都市部に直ちに影響はないとは思いますけど……。

 その集落の人たちの命も守りたいなら、可及的速やかに動く必要はありますね……』


 その久賀さんの最後の一言が。

 俺の心を、現実に引き戻した。


 そうだ。

 集落には人がいる。

 何も知らない普通の人々が、今まさに怪物に脅かされる可能性があるのだ。

 しかも、普通の人は感知すら出来ない。


 ――そして。

 その怪物と戦うための作戦を立て、司令を下すのが。

 他の誰でもない、俺の仕事。


 モニターの中で、リゲル様がその蒼い瞳でまっすぐに俺を見つめていた。

 その視線が俺に問いかけている。


 ――どうしますか、アキラさん。

 ――私の『頭脳』よ。


 俺は奥歯を強く、噛み締めた。

 胃が痛い。


 だが今は、そんな痛みに屈している場合ではない。

 俺は震える手でタブレットを掴んだ。


 俺の本当の初陣が、今、始まろうとしていた。

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