第011話「この組織、まともなヤツいねぇ……!」
一条トウカが放つ、剥き出しの敵意。
それに当てられて俺の精神が、いよいよすり減って。
限界を迎えようとしていたその時だった。
副総帥室の扉が最後の一人を、静かに招き入れた。
そこに立っていたのは、まだ若い青年だった。
歳は、リゲル副総帥と同じくらいだろうか。
20代前半。
白いシャツをラフに着こなし、その佇まいはどこか研究者のようでもあり、学生のようでもある。
黒い髪に涼しげな、大きな黄色い瞳。
その左目にはメカニカルなデザインの、SF映画に出てくるような眼帯が着けられている。
だが、その眼帯すらも。
彼の全身から溢れ出るある種のオーラの前では、些細な特徴にしか見えなかった。
もし一条トウカが「武」なら。
この青年は?
――「知」、だ。
彼の全身から発せられるオーラは、純粋なそしてどこか人間離れした、圧倒的な知性そのものだった。
彼が部屋に入ってきた瞬間、それまで俺を値踏みするように見ていたあの水守カスミの瞳が、ほんのわずかに細められたのを、俺は見逃さなかった。
あの神の如き巫女ですら、この青年に対しては一目置いている。
そういうことなのだろう。
青年を見てリゲル副総帥は、それまでの誰に見せたとも違う、親密な心を許しきった笑みを浮かべた。
「そして、最後ですね。第五機密部【灰都】の部門長であり――私の、親友です」
……親友。
この孤独な王が、はっきりとそう口にした。
その言葉の重みに俺は、息を呑む。
紹介された青年はリゲル様に自然な笑みを返すと、俺の方に向き直り、丁寧な仕草ですっと頭を下げた。
「逆太刀終夜です。
――以後、お見知りおきを」
その口調はどこまでも丁寧で、理知的だ。
その声には水守カスミのような魔性もなければ、一条トウカのような敵意もない。
久賀理人のような、胡散臭さもない。
ただ、そこにあるのは、純粋な、知性だけ。
(……よ、よかった……! 初めて、まともな人が来た……!)
俺は心底、安堵していた。
この青年ならきっと、話が通じる。
俺の常識的な感覚を理解してくれるはずだ。
そう、思ったのも、つかの間。
逆太刀シュウヤと名乗った青年は、その理知的な瞳をきらり、と。
まるで面白いオモチャを見つけた子供のように、輝かせた。
そして俺の心の、最も深い部分をいきなり無遠慮に、暴きにかかってきたのだ。
「僕は、あなたに興味があります。木村アキラさん」
「……はい?」
俺は思わず間の抜けた声を出した。
シュウヤはそんな俺の反応を楽しむかのように続ける。
――とんでもない早口で。
「先程立案された、あのプラン。素晴らしいですね。
しかもそれは以前、リゲルと僕が少し雑談していた時に、彼が語っていたアイデアと本質的に同じアプローチでした。
リゲルとあなた。
歳も、環境も、地位も、人生経験も。
すべてが違うのに、どうして同じ結論に行き着いたのでしょう?
そして、なぜ――それが最適解だと、分かったのですか?」
言葉に、難しい語句は何一つ使われていない。
俺のような凡人にも分かるように意図して、簡単な言葉を選んでくれたのだろう。
――だが、その質問の意図が全く、分からない。
なんだ、これは。一種の面接か?
俺がしどろもどろになっていると、シュウヤはさらに、俺の思考を見透かすように、言葉を重ねてきた。
「我々が持つ『力』のその本質を、まだ何も理解していないはずだ。
それなのにあなたは、まるで長年この世界にいたかのように、それぞれの部門の役割を極めて正確に。
そして効果的に使いこなすプランを提示した。
――実に、興味深いです」
俺はただ、広告屋としての経験則と、生き残るための必死さで、がむしゃらにプランを考えただけだ。
それを、目の前のこの青年は、まるで面白い思考サンプルのように興味津々だった。
「あなたのその『常識』という思考回路、非常に興味深い。
ぜひ、一度、あなたの脳をスキャンさせてはいただけませんか?」
シュウヤは心の底から楽しそうに、そう言った。
悪意はない。純粋な知的好奇心。
だが、その純粋さゆえに。
俺は今、この部屋にいる誰よりもこの青年が、最も恐ろしい存在なのではないかと、本能的に感じていた。
――こいつは、ヤバすぎる。
他の連中とは次元が違う。
俺は、ひくと頬を引きつらせた。
今この部屋にいる俺以外の四人の部門長の中で、間違いなく、彼が最もヤバい。
本能が、警鐘を乱打している。
俺が何と答えればこの場を切り抜けられるか、必死に思考を巡らせていた、その時。
すっとリゲル副総帥が、まるで凍り付いた場の空気を溶かすかのように穏やかな声で、口を挟んだ。
「その話は、また今度にしましょう。
アキラさんが、あなたに脳を提供してもいいと、心から思えるようになった時のために取っておいてあげてください」
「……それもそうですね。失礼」
シュウヤはあっさりと引き下がる。
――だが、その瞳の奥の興味の光は、少しも衰えていない。
こいつ、絶対諦めてないな。
リゲル様はそんな俺とシュウヤの様子を楽しそうに一瞥すると、話を本題へと戻した。
「シュウヤ。第五機密部【灰都】の役割を教えて差し上げてください」
その言葉にシュウヤは、まるで自分の得意なゲームのルールを説明するかのように、生き生きとした表情になった。
相変わらずの早口だ。ラップでも歌っているのかと感じてしまうほど、滑らかでよどみない。
「はい、喜んで。――木村部門長。
僕たち第五機密部【灰都】の役割はリゲルの理念であり。
この機密部という組織を立ち上げた、たった一つの根本的な理由である――『不条理に立ち向かう』という目的を、科学技術で成し遂げるための、研究と開発をすることにあります。
まあ、所属している研究員たちには基本、好きにさせていますが」
不条理に、立ち向かう。
その言葉が、ずしり、と、俺の心に重くのしかかった。
俺が今まで相手にしてきたのは、敵対的買収を仕掛けてくる、人間の企業だったはずだ。
――だが、この男の口にした「不条理」という言葉は、もっと根源的で、巨大な何かを指しているように思えた。
「僕たちが、何を作っているか。より具体的に言えば、こうです」
シュウヤは、楽しそうに、指を折りながら、説明を続けた。
「あなたも受け取ったであろう、各部門長とリゲル用の量子通信が可能なタブレット端末。
水守カスミさん他、第一機密部の巫女達が使う、声帯を弾丸に打ち出す軽いメガホン型の洗脳装置。
久賀理人さん他、第二機密部の諜報員達が使う、盗聴器や光学迷彩マントといった、スパイグッズの数々。
あなたのいる第三が情報をまとめ、総括する為の最新AI搭載の演算コンピュータ。
――そして、そこの一条トウカさん他、第四機密部が使う、最新鋭の兵装、などなど」
……なんだって?
言われて俺は、はっと部屋にいるリゲル様と部門長たちを見回した。
彼らが当たり前のように享受している、この世の物とは思えない超常的なテクノロジーの全てが。
目の前のこの人懐っこい笑みを浮かべた、一人の青年の部署から、生み出されている。
(……なんだ、そりゃ)
俺はもはや、笑うしかなかった。
スケールが違いすぎる。
こいつはただの天才科学者などではない。
この組織の。
いや、この世界のルールそのものを、新しく創り出している張本人なのだ。
そしてシュウヤは、とどめを刺すように悪戯っぽく笑った。
「リゲルや機密部が『こうしたい』、『あんなこといいな、できたらいいな』と夢見たことを、現実にするのが、『神の工房』である、僕たち第五機密部【灰都】の仕事、というわけです」
――そのあまりにも有名な、国民的アニメのフレーズ。
それをシュウヤは、まるでポケットから不思議な道具でも取り出すかのように、あまりにも軽やかに口にした。
だが、彼がポケットから取り出すのはそんなメルヘンなものではない。
人の心を操る言霊を増幅するスピーカーであり、
人の記録を知られずに盗み出す為のマントであり、
人を殺すためのパワードスーツであり。
そして、指揮系統を維持するためのスーパーコンピューターなのだ。
そのあまりにも巨大な現実とのギャップに、俺の頭は完全にパンクした。
俺は改めて、目の前にいる四人の顔ぶれを見た。
第一機密部【碧命】、水守カスミ。
神の言葉で、人の心を導く「聖」。
第二機密部【紅夜】、久賀理人。
影に潜み、世界の全てを見通す「影」。
第四機密部【白閃】、一条トウカ。
王を守るため、全てを滅ぼす「武」。
そして、第五機密部【灰都】、逆太刀シュウヤ。
神の夢を、現実に変える「知」。
――俺は。
第三機密部【黒銀】、木村アキラ。
この四人の怪物とその部下達を束ね、統括し。
そして指令を下す、「頭脳」。
その与えられた役割の、あまりの重さに。
俺は、今度こそ、意識が遠のいていくのを感じていた。
「この組織、まともなヤツいねぇ……!」
――笑うしか、無かった。
……だが、この地獄をまとめるのが、俺の役割なのだ。