虚無の殺人鬼
アレクサンダー・ムーアは殺人鬼だった。
と言っても、彼は根っからのサイコパスとして生まれたかと言えばそうではない。彼は、両親のいる平凡な家庭で育ち、学業も優秀で大学を卒業したのだから。
1980年代、人々はまだ戦後復興の余韻に浸り、経済成長への漠然とした希望を抱いていた。テクノロジーは発達し、情報が溢れる一方で、人間の内面は静かに空洞化していく時代でもあった。消費社会の喧騒の中で、多くの人々が見失いかけていたものがあった。
ある日、彼はニヒリスティックな思考に目覚めた。なぜか、彼の目に映る光景—コンクリートの道路、赤青黄の信号の光、雨の日の水たまりに反射した太陽の光、街角に佇む人々の表情、風に揺れる街路樹の葉—それらすべてが虚構に思われた。
まるで、舞台のセットが崩れ落ちたかのように。地球ですら、彼はその存在を信じることができなくなった。アインシュタインが絶対的座標は存在しないと示したように、すべての意味は相対的で、結局は無意味だと悟った。23歳のことである。
彼は、心にぽっかりと空いた穴を埋めようとはしなかった。そんなことをしても無意味だからである。
代わりに、彼は趣味に走った。人生に必要のない行為、生きるために無意味な行為、それが趣味である。散々多くの趣味を試したが—読書、音楽、絵画、写真撮影—最終的に殺人に行き着いた。そこに特別な理由はなかった。
一回目は、郊外でさらった中年の男をナイフで殺した。血が流れ出る様子を、彼は実験を観察するかのように眺めていた。
二回目は、深夜の公園でホームレスの老人を絞殺した。誰も彼の死を悼む者はいないだろうと思った。
三回目は、バーで知り合った女性を自宅に誘い、毒を盛った。彼女は苦悶の表情を浮かべて死んでいった。
そして、殺人に慣れてくると、証拠隠滅や死体処理の方法も洗練されてきた。
その後、彼は、この殺人に別の要素を取り入れ始めた。工夫とは少し違う。ある意味では、彼の怠惰からそれは生じている。
彼は、スーパーマーケットに行って、コショウなどの香辛料を購入した。それから、肉を解体するための道具をそろえた。
五人目から彼は死体の処理方法を変えた。
彼は死体の一部を、まるで通常の食材を扱うかのように調理し始めた。香辛料で味付けをし、野菜と組み合わせて。それは彼にとって単なる効率化の手段に過ぎなかった。
そうすることで、処理と食事を同時に行うことができた。それは、彼にとって合理的だった。
その頃、彼の犯行対象に特別な選択基準があったわけではない。ただ、若い者の方が扱いやすかった。全ては実用的な判断だった。
だが、ある日、彼の犯行は同僚の女性エミリーに知れることになった。彼女は偶然、彼の冷蔵庫で人間の指を発見したのだった。
彼女は震え声で言った。「なぜ、このようなことをするの?アレックス、教えて」
彼は無表情で答える。「こんなものに何の意味もない。君が思っているような深い理由なんてない」
だが、それは彼女を納得させない。彼女は恐怖と怒りに震えながら詰め寄る。「私はあなたを理解したいの。何があなたをこんな風にしてしまったの?家族との関係?トラウマ?何かあったはずよ!」
しかし、彼は満足いく回答を見つけることはできなかった。それも、そのはずであった。彼は本当に動機などなく、これらの殺人行為を行っていたのである。
「私も殺すつもりなの?」エミリーは涙を流しながら言った。「殺してみなさいよ。それがあなたの望むものでしょう?」
「そんなものには何の意味も無い。君を殺しても、殺さなくても何も変わらない。すべては無意味だ」
結局、アレックスはエミリーの通報によって逮捕された。しかし、証拠不十分により、彼が立件されたのは一番最初の殺人の一件だけで、他の犯行については立証できなかった。彼は無期懲役刑を宣告された。
彼は、塀の中で退屈な日々を過ごしていた。だが、彼の生活は変わらなかった。どこでも、同じ虚無の空気が流れていた。
コンクリートの塀、錆びた鉄格子、汚れたベッド、薄暗い独房—これらの物理的な障壁を取り除けば、彼は依然として無限の宇宙に浮かんでいるのと変わらなかった。
死んだ人間たちはまた、素粒子となり、宇宙のどこかに漂っている。もしかしたら、彼の体の一部になったものもあるかもしれない。彼らの分子は彼の血肉となり、彼らの原子は彼の呼吸となって、また空気中に戻っていく。
数年後、彼は、塀の中で死んだ。死因は不明だった。看守が見つけた時、彼はベッドに横たわり、まるで眠っているかのような穏やかな表情を浮かべていた。検死の結果も、特に異常は見つからなかった。まるで彼の存在そのものが、ある日突然消え去ったかのように。
彼の死後、独房には何も残らなかった。彼が読んでいた本も、書いていた文字も、全て処分された。まるで、アレクサンダー・ムーアという男が、最初から存在していなかったかのように。