山のお手洗いの○○さん
標高1200メートルのとある山は都心からのアクセスもよく、登山ルートも幾つもあるが、中には人気のないルートもある。急坂が続く上に途中に休憩できる場所が少なく、つづら折りの道には、道の保護の為に、しっかりと石が敷かれているのだが、薄暗く湿っぽい場所なので、それが仇になって登山靴でさえ滑り易い。
その道を下りきった場所、つまりはこの登山道の入り口に、よく工事現場に置かれているような仮設トイレが1基だけ常駐している。
そのトイレには、ちょっとしたいわくがあるのだという。当然水洗ですらなく、今では見掛ける事のない、和式トイレである。それだけでも、嫌がられるのは男女関係なく当たり前である。しかもそこから30分ほど車道を下ると、真っ当トイレがキャンプ場にあるので、こっそりとそこを使うのがこの道を使う登山者の通念だ。
そのトイレには、こういった場所にあるトイレにしては珍しく、ちり紙が木の箱に入って用意されている。このご時世にトイレットペーパーでなく、ちり紙というのも珍しいのだが、日によって用意されている紙の色が異なるのだという。
新聞紙の時は、特に何も起きないが、自分で紙をしごいて拭くことになり、当たり前だが痛い。
白い紙の時、拭いた紙が尻に貼り付き取れなくなるのだという
赤い紙の時、拭いた途端、出血をして血が止まらないのだという
青い紙の時、拭いた時に、手が便器の奥から延びて尻を触るのだという
さて、私が会社の女子仲間を引き連れて、この山を登り、その登山道を下った時のこと、私は前日、ちょっとした飲み会に誘われたが、山に登るので・・・と途中で抜ける予定だったのだが、つい調子にのって、飲み過ぎ。腹の具合がよくないまま、ぎゅるると鳴る腹をなだめつつ、この急坂を下っていた。
正直、限界だったので、リュックを早々に路傍に投げ捨て、大声ではしたなくも「便所、便所」と連呼して、そこに飛び込んだ。
出すべきものを出したという快感にほっとため息を付き、さて尻を拭こうと思ったら、便器の左前に木の箱に・・・青い紙があった。
一瞬、むむ・・・と思ったが、ポケットテッシュは生憎、投げ捨てたリュックの中。外に居る仲間に、それを渡して貰おうかとも思ったけど、一応紙はあるし、妙ちくりんなうわさには、興味がなかった私は、青い紙で尻を拭いた。
とたん、何かが尻を撫でた。悲鳴をあげて立ち上がると、そこには手のひらが、おいでおいでをするように動いている。
更に悲鳴、ドアが仲間達によって叩かれた「どうしたの!!何があったの」と大声で私の安否を確認する。
急いで、ロックを解いて外に飛び出す私、途端に道ばたで四つんばいになって、倒れ込んだ。「手が、手が・・・」と私は、トイレを指で指した。
その途端、糞まみれになったTシャツ、短パンの男がトイレから飛び出してきた。
「痴漢だぁ」と仲間が警察に電話をした。
もう一人の仲間が、トイレをチェックしに行った。そして戻ってくるなり、「盗撮だわぁ、金隠しに小型カメラがあったわよ」と皆に言った。
「こんな処にも仕掛ける人がいるなんて、信じられなーい」一番年若の子が呆れて言った。
「本当に怖いね」トイレをチェックした子が、頷いた。
やがて、警察に電話をしていた子が、場所が場所だけにちょっと時間がかかるけど、ここに居てくださいって。
「えー、私、お手洗い行きたい」と若い子がゆくと、皆が私も私もと言い出した。
「この先に、キャンプ場の綺麗なトイレがあるよ」私は、皆に教えた。
「じゃあ、そこで用を足したら戻ってくるね」と仲間達は、急いで車道を下って行った。
静かな山に戻った。せせらぎの音、鳥の声、明け放れたままのトイレの扉。
ふとみれば、便座の中からにょっきりと青白い手が伸びておいでおいでをしていた。