59 二対の瞳
さて、一件落着といいたいところだけど。残る問題はランドル卿だ。
「災難だったね。それにしても……その、冒険者をしていたというのは本当だったのか」
「嗜んでいた程度です」
「そうだ、書類を見せてくれないかい? ご両親には私から渡そう」
ここで書類を取られてしまったら全部が水の泡。婚約破棄は悲しいことにされないだろうけど。
なんなら、婚約者としての立場はそのままで迷惑料として搾り取られるだけ搾り取られるだろう。婚約破棄なんてして手を切るよりもアリビオの資産を考えると吸えるだけ吸った方が美味しい。
このまま押し通って逃げようか。ドアを覆っていた氷もない。
「着いてきて!」
「はい?」
さりげなく身体をいつでも動かせる準備だけしていたら、鋭い声と共に手を引かれた。
「ルーナさんこれ――は!?」
「乗って! 舌を噛まないようにね」
ふわり。私の身体が浮かび上がる。私だけじゃない。ルーナさんもだ。
そして乗せられたものは――箒だ。
「どういうことなんですか」
「私たちと箒に浮遊魔法をかけているだけよ。空を飛ぶなら箒って決まっているでしょ」
そうなのかな。昔話の魔女は箒で空を飛んだりしてるけど、まさか本当に箒で飛ぶ人がいるなんて。
非効率だと思っていた浮遊魔法だけど使用用途を戦闘に限定しなければ使い道はあるのか。固定観念はよくなかった。
驚き顔のランドル卿を地上に残して箒はどんどん空へと上がっていく。思わずルーナさんの腰を掴む。
「ひゃっ」
膨れ上がった猫獣人特有の尻尾が頬を撫でる。
ミツさんとは違った手触りで気持ちがいいな。獣人相手に言おうものならとんでもないセクハラなので心の中に留めておく。
「失礼しました。それで、何処に向かってるんです」
「アタシの本当の依頼主の所。アナタがそれを持っている以上、後はその人と交渉してもらうわ」
本当の依頼主ということは、それこそルーナさんもランドル卿の弱みを探していたひとりということだろう。銃を持った傭兵然り、ルーナさん然り。
どれだけ敵が多いんだ。それで両親はなんでそんな人に丸め込まれてるんだか。
聞いても後で話すと言うだけで答えてくれない。今話すには説明が面倒なのだと。
「どうして私を殺そうとしたのに連れて行ってくれるんですか?」
「……いいわ。教えてあげる」
今聞くの? と驚いた顔をされた。仕方がない。この空の旅、会話が無いのも何となく気まずいんだから。
あとは、ルーナさんからはもう殺意を感じない。だから話してみたくなったのだ。
「媚びへつらっているアナタを見て失望した気になっていただけで、アタシが目指していたものが変わらずにあっただけよ……悪かったわね」
「最初からそんなにいいものではなかったんですけどね」
「うるさいわ。それに――全力で戦えるのも楽しかったのよ。アナタは余力を残していたみたいだけどね」
どうしてこう冒険者という人種は好戦的なのだろう。私は全く楽しいと思えなかったのに。
それとも、いつものように私の感性がおかしいのだろうか。もともと協調性は低いほうだけど中途半場に冒険者や一般人をしていたせいで自分の感性に自信が持てない。
「そろそろ着くわ。残りの魔力も少ないっていうのに墜落したら目も当てられなかったわね」
「墜落って言いました?」
「死なないように落ちるわ」
ひやりとする言葉を発しながらも辿り着いたのは観光客向けの宿屋、そのバルコニー。
そっと降り立ち私がまだ地面を歩く感覚に慣れないでいるとルーナさんは気にせず窓をノックする。
「開けなさい」
「いいんですか、これ」
いいのよと窓が割れそうな程にノック、もとい叩き続けるルーナさん。
「こんな所にいつまで居させる気かしら」
すると間もなく足音が聞こえた。
「迷惑になるから静かに!」
焦ったような声と共に現れたくすんだ金髪の男が窓を開ける。
「兄さん?」
10年ぶりとはいえ間違えようもない。彼はロージェ・アリビオ。私の兄だ。
ルーナさんの本当の依頼主とは兄さんだったのか? 訝しんでいるとようやく兄の目が私に向いた。
「ありゃ? なんでリーテスがここに居るんだ?」
「アタシが連れて来たのよ。じゃ、あとは兄妹水入らず好きに話しなさいな」
「待ってくださいルーナさん! せめてもう少しだけここに居てください」
さっさと帰ろうとするルーナさんの手を握り引き留める。「ひゃっ」とまた可愛い声が出たが気にしていられない。
この訳の分からない状況にひとり取り残されるのは嫌だった。
ルーナさんに縋る私を見て兄さんはいろいろと察したらしい。まぁ二人とも座りなよ、とソファへと通す。
「ルーナさんの依頼人と聞きました。説明をお願いします」
「なんだその喋り方。気持ち悪」
「そういうのはどうでもいいんですよ。経緯と結論だけ話してくれますか」
いろいろとマイペース。それでいて自分のペースに人を引きずり込もうとするところが変わっていない。
相手にしていると時間を食うのでさっさと終わらせよう。
10年ぶりに幾分か心許せる身内に再会しても込み上げてくる感情なんてあまりなかった。元気だったのか、その程度だった。
「アイスブレイクだというのに。兄の気遣いを無駄にして」
「だからいいんですよ。そういうの」
私と兄さんは性格的な面で言うと割と似ている。マイナスに寄ってしまったのが私で、社会的にプラス面に寄っているのが兄さんだ。
だからこんな前置きなんて本当に無意味なものだ。
「あなたは何をしようとしていたんですか。ルーナさんへの依頼内容は?」
「ランドル卿の元で不正の証拠となる書類の確保。まさかお前が居るとは思っていなかったけど」
この人もこの人で重要な事柄を隠すような人間なので相違が無いか逐一ルーナさんに確認を取っていく。
ああ、だからランドル卿は殺せないと言っていたのか。となるとルーナさんに殺されかけたのは彼女の独断。
最近なんでこんなに殺されかける事案が多いんだろう。呪われてるのかな。一度お払いに行くか。
とにかくこの場で伏せていていたってしょうがない。簡単にここ最近の両親との出来事を話す。
勝手に婚約者にされていた事実も含めて。
「――それで、私はこの不正書類を伝手のある貴族の方に渡す予定です。いくつかの経営をしていらっしゃる方ですから上手く使っていただけるでしょう」
「思いっきりウチを潰す気だな」
「兄さんなら上手く自分だけ切り抜けられるでしょう。就活、応援しています」
「まてまて、僕を無職にするな。就活なんて絶対に嫌だ」
判断が早い、と止められる。善は急げとも言うだろうに。
とはいえ兄さんが止める理由もわかる。アリビオが潰れたら困るのだ。
私と違って気が長い兄は『どうせ親の方が先に死ぬんだ。だからここで疲れない程度にやっていくよ』とアリビオで仕事をしていたわけで。
就活をしたくないだなんて理由で両親と上手く付き合いながら家に残っていた男だ。だから兄さんにも事前に話をしないで進めようとしていた。
「取引だ。その書類を僕に渡せ。それでランドル卿及びアリビオの主権を僕が握る」
「……私に何を提示してくれるんですか」
「父さんと母さんはこっちで何とかする。今後お前の人生には関わらせない」
約束は守る人だ。嘘をついた方が後々面倒になるのもわかっているから。
ましてや私の少々粘着質な性格も知っているだろうから余計に。
兄さんの交換条件はたぶん、私がアリビオを潰すよりも確実性が高い。
両親を私から遠ざける為にアリビオを潰そうとしていたのだから、結果がよりよいものとなるのならなんだっていいのだ。最初から正義感で暴こうとしたんじゃない。
「……この書類の写しはとらせていただきます」
「交渉成立だ」
暴かなくたっていい事実だってある。この不正はまだ行われていないもので、暴いたところでそれなりの人間の首が切られるだけだ。
もちろん冒険者じゃないから職業を解雇されるという意味で。
それなら上手く収まる方法がとれるならそちらを選んだ方がずっといい。法の下の正義だけで世の中は回っていない、それだけの話だ。
「ほんと、なぁなぁで楽して働こうと思ってたら完全にアウトなことをしでかそうとして。あの人たちは本当に何がしたいんだ」
「ランドル卿なんて貴族との伝手も得られたんだし結果的によかったじゃないですか」
「彼の方は他にも黒いことやってるから、適当に証拠を掴んだら見込みのある事業だけ貰い受ける予定だ」
どうせ今回しゃしゃり出てきたのは“アリビオに黒いものがあったら面倒だ。自分が継ぐときに困る”なんて理由だろう。
自覚がある程度には利己主義だけど、兄さんだって表に出さないだけで本質は私とそう変わらない。
「じゃあ、ルーナちゃん」
「では、ルーナさん」
綺麗に纏まったので後は契約を結ぶだけ。私も兄さんも、口約束が信じられる程にお人好しじゃない。
約束とはたとえ肉親であろうともはっきりさせておかなくてはならないもの。
ソファで我関せずと私たちの会話に加わらず紅茶を嗜んでいたルーナさんに声をかける。
「契約魔法をお願いしてもよろしいでしょうか」
「これ以上魔力を使わせる気?」
「ルーナちゃん、追加報酬なら払うからお願いだ」
契約魔法は第三者がやらないと信憑性が薄まってしまうし。
その点、一流の魔道士でもあるルーナさんが作成したものなら安心だ。兄さんと二人でお願いする。
「……わかったわよ! だから同じ瞳でアタシを見ないでちょうだい!」
赤くなりながらルーナさんが折れるまでにかかった時間は一瞬だった。
【レポート リーテス】
いろいろありましたが恙無く終わりました。