58 憧憬
ここで警備隊でも呼ばれると負けるのは私だ。エントランスホールには逃げ道という逃げ道はない。
「ルーナ! リーテスさんに何をしている!」
「旦那様の書類を持ち出そうとした女を引き留めているの」
「なっ」
窓を突き破るにしても、屋敷に守備魔法がかけられていると難しいだろう。
どうやって切り抜ける? 冷や汗が背筋を這う。
「まさか、君も私を狙う傭兵だったのか!?」
「まさか。ただの掃除屋です、よ!」
上段切りを躱しながら叫ぶ。……なるほど、ゴーレムの剣と床の大理石では床の方が強いのか。氷の剣は砕け散っていた。
「アリビオ商会の書類が混じっていたようなので、早退するついでに届けようと思ったんです」
ここで行うべき行為はハッタリだ。
「ルーナ、やめろ!」
よかった、ランドル卿の指示でルーナさんの攻撃が止まる。ゴーレムは未だに剣を構えているけれど。
先ほどは取り乱した様子だったけど今は第三者の介入によって少しばかり冷静になったらしい。魔力から感じる圧力が薄くなっている。
「書斎に落ちていた書類がアリビオ商会のものだったので。すみません、わからないものはランドル卿にお渡しするべきでした」
「なんだ、そうだったのか。ルーナ、彼女にこれ以上の危害を加えることは許可しない。下がれ」
何もわからないバカな女が両親に書類を届けに行こうとした。そのシナリオでいく。
歯を食いしばった、物言いたそうな顔をしたルーナさん映る。
「旦那様、どうしてその女を。この屋敷には私が探知魔法をかけているわ。入ってくるモノもわかるし、出ていくモノもわかる」
ああ、それで私の退勤時にルーナさんがいつも待ち構えて嫌味を言ってきたのか。
となると書類の持出はほぼ確実にバレている訳だ。
隙を見つけ次第扉から押し出るか。それを警戒しているのだろう、ルーナさんは玄関口から動かない。
「ルーナ、彼女はご両親に書類を届けに行こうとしただけだよ。それに書類の違いなんて理解している訳がないじゃないか」
「そんなの嘘よ。リーテス・アリビオならそれぐらいわかるに決まっているわ」
褒められた? この場においてはあまり喜ばしくないけど。
その前に、そもそもルーナさんにアリビオを名乗った記憶がない。ランドル卿から聞きでもしたのだろうか。
「どうしてその女を信じるのかしら?」
ルーナさんの言い分はもっともだ。
この場において私が信頼に足る理由など何一つとしてない。
「決まっているだろう。彼女は私の婚約者なのだから」
「は!?」
声を上げたのはルーナさんと同時だった。何それ。怪しいとは思っていたけど、婚約までは聞いていない。
混乱する私を置いて、いつ決まっただのとランドル卿が話していく。
本当に寝耳に水だった。まさかこの屋敷の依頼が来る前には決まっていただなんて。あの両親は。
「私の婚約者を傷付けるなど許さない」
「……そう。わかったわ」
一通り聞いたルーナさんが静かに呟く。
「ぶちかませ」
ぼそりと魔力の込められた詠唱。
咄嗟にランドル卿と突き飛ばし迫りくる炎弾から庇う。
焦げ臭い。ばさりと肩に髪が落ちる感覚。後ろに纏めていた髪が解かれたのだろう。炎弾が掠ったか。
「正義無き 結末を求める 氷結よ 決して逃がすな」
この詠唱は知っている。下水道清掃で行使していた氷の生成呪文だ。
急いでその場から離れる。ルーナさんが狙った座標から少しでも逃れるように。
咄嗟にランドル卿を炎弾から庇ってしまったけど、よくよく考えると彼はルーナさんの依頼主だ。同士討ち対策ぐらいはしてあるだろう。
「何をするんだ!」
「本当ならアンタも殺したいけれど、まだ駄目なのよ」
ランドル卿が氷で隔たれた先に隔離されていた。他の使用人はとっくに屋敷の奥へと逃げ出している。
そして――闘技場のようにエントランスホールを覆う氷。ドアまでガッチリと固められているようだ。彼女が解くまでは出られないというわけか。
座った瞳のルーナさんが私にゆっくりと身体を向けた。
「でも、リーテス・アリビオに対しては何も言われていないもの。ここで殺すわ」
「この際言いますけど、ルーナさんから恨みを買った覚えは一切ありません。不快な思いをさせていたのなら謝罪しますが」
暗夜行に居た頃からやたらとアタリもきつかったし。
いったいなんなんだ。
「ええ、ええ! 全部不快よ! 謝られたところで許せる訳がない!」
「だから、その理由を言えといっているんです!」
モップを片手にルーナさんへと翔けるが駄目だ。近づこうにもゴーレムが邪魔をする。
ルーナさんに近づけないこと、対象をマークし続けること。大方そのあたりの指示で動いているのだろう。
「誰とも組まず、魔法人形のような的確さで依頼を遂行する。他者に同調などしない筋の通った冒険者――それがアナタでしょう」
いったい誰の話をしている。そんな冒険者知らない。
ルーナさんの周りに浮かんでいた残りの炎がまた向かってくる。4つ、この数なら身体強化を使わなくても処理できる。
「人違いでは?」
「アタシはアンファングに居たアナタを見て、そうなりたくてアタシも冒険者になったのよ!」
確かにアンファングという街で冒険者として活動していたけど。それもリズと喧嘩別れしてソロの冒険者をしていた時代に。
まさかその時の話をしているのだろうか。
感情が高ぶっているのか新たに詠唱と共に生成された炎弾の動きが悪い。魔法には精密なコントロールが必要だから、このまま集中を乱させてもらおう。
何か地の利になるようなものはないかと当たりを見渡して、上に目がいく。
暫くは運動をしながらの雑談といこう。
それに純粋に気になる。昔から人に嫌われやすいものだったけど、何故こうも憎まれているのかは知りたかった。
「あなたの感情と私、何の関係があるんです」
「アタシは独りで冒険者をやろうとしても出来なかった。アナタは独りでも出来る強さがあったのに」
好きで独りだったわけじゃないんだけどな。単純に、コミュニケーションが下手くそだった私は同じパーティを避けられていただけだ。
その証拠に冒険者のランクとしても、こなした依頼の数に反してシルバーランク止まり。ダイヤランクのルーナさんの方がよっぽど高い。
孤高だなんてからかわれながら独りで依頼をしていた時分。思い出して悲しくなってきた。
「やっと、やっと追いついたと思ったら。ヘラヘラ笑って弱ぶってハウスメイドなんて!」
炎弾の動きは悪い。ただ、出力は上がっている。
込めれるだけの魔力を込めているのだろう。これだけの魔法を連続で使用するなんて、やはり彼女は魔道士として優秀だ。
「どうしてよ、どうして強いままのアナタで居てくれなかったのよ!」
迫り来る炎弾。私に到達するまでの僅かな時差を見切り、順に叩き切る。
着弾が1番遅いものはゴーレムの振り下ろす剣を盾に消滅させた。
「ずっと憧れていたのに。他人に媚びへつらう姿なんて見たくなかったわ。やっとアタシの前から消えてくれたと思ったらまた現れて、挙句の果てに婚約だなんて……!」
「婚約に関しては私も存じていません。それにランさんが居ますし」
「あの男もねぇ、アナタに近付いて、最初から気に食わなかったのよ! アタシが遠ざけても遠ざけても懲りないで!」
今回に関しては私、悪くないよね? 今までは多少の早とちりや失言があったり過去の因縁といった当然の自覚ごあった。
でも、ルーナさんが言っている内容なんて言いがかりと言わずしてなんという。
「リーテス・アリビオは他人に寄りかかる女なんかじゃない! ひとりで何でもできる女なのよ! 無様な姿を見せ続けられるぐらいならここで終わらせてやるわ!」
炎の数は相変わらず変わらない。マクロ化している以上、魔法そのものは変えられないのだ。変わるところがあるとすれば――魔力による出力のみ。
天井が真っ赤になるほどの炎が宙を舞っている。魔炎とはいえここは密室空間、少し息苦しくなってきたし危ない。
そろそろ終わらせよう。ルーナさんだって息も乱れているから、魔力に余裕がないのだとわかる。
出力をあげているのは均一な炎弾が揺らめき、魔力切れが近いのを隠すためのブラフ。
だから敢えて魔力を注ぎ込み、彼女も決着をつけようとしているのだ。
ゴーレムの薙ぎ払い。衝撃を逃しきれず受け飛ばされる。だが、距離を稼ぐにはちょうど良かった。
「――あなたも、見当違いな私を見ていたんですね」
「はぁ!?」
今のキャラ作りをしている私よりも、本来の何も隠していない私の姿を見てはいたのだろう。それでも、ルーナさんが憧れているような女は何処にも居ないのだ。
そして、ルーナさんが憧れていた女の姿は私が見せたい姿じゃない。
「勝手に理想化して失望して。いい迷惑なんですよ」
――身体強化。
魔力を四肢に纏わせる。勢いを付けて真っ直ぐとゴーレムへと走る。
「正面から壊そうというの!?」
「粉砕します」
無駄よ。ルーナさんの声が聞こえたが無視して走る。
剣で薙ぎ払われる直前に跳躍。剣を踏み台にゴーレムの頭へと脚を付ける。
「――だから、無駄なのよ! 全部、灰になりなさい!」
更に炎が強く燃え上がる。
その炎さえも私は無視して飛び上がる。次の踏み台はゴーレムの頭だ。天井まで跳躍する為に脚へと魔力を流す。
蹴り上げた衝撃でゴーレムの首がとれた。とはいえどうせすぐに再生する。
だから、再生するに時間がかかるほど砕いてしまえばいい。
きっと大丈夫。ランさんのかけてくれた防御の付与魔法を信じて炎の中へと飛び込んだ。
炎の中を探し――あった。狙う先はシャンデリアと天井を繋ぐ鎖。
モップの柄に魔力を通し、瞬間強化。
思いっきり鎖を突いた。
「そんなっ」
上がった悲鳴はランドル卿のもの。
シャンデリアが落ちる。
まっすぐと落ちて、ゴーレムを粉砕した。
ガラス片や砕かれた大理石の砂埃が飛び交う中。ルーナさんの元へと向かう。
前衛の居なくなった以上は攻撃が届く。
モップを握りしめる私を目にしたルーナさんが杖を構え、心ばかりの防御を張る。
「はぁあ!」
構えた杖ごとルーナさんの横っ腹へとモップの柄を叩き込んだ。
杖は叩き折られ、彼女も壁へと打ち付けられる。
エントランスホールを覆っていた氷が消えていく。魔法は術者の意識が途絶えると消えるもの。
「泥臭い戦い方でしょう。理想とのお別れは出来ましたか?」
意識が途絶えたのは一瞬だったのだろう。それでも十分だ。呻き声を上げるルーナさんに声をかける。
いつだって私はひとりで何かを成し遂げられる人間じゃなかった。出来ていたと思うのならそう見えていただけだ。
昔はリズが傍に居たし、今回もランさんの付与魔法で立ちまわっていたようなものだ。
「やっぱり……アタシが、憧れたままに……強いじゃ……ないの」
それでも、穏やかにさっぱりとした顔で微笑むルーナさんの想いを否定なんてできなかった。