56 コンプライアンス違反
実家を潰すと息巻いてから2日。ランドル卿のお屋敷掃除は今日で最終日だ。
ところで、仕事の途中でバックレる人っているよね。アルバイトが特に多いと聞く。
バイト代を貰わずにバックレるならまだいい方で、店の金を盗んで火を付けて逃亡なんてとんでもない奴だって聞いたことがある。
新聞とかでそんな話を聞いていたうちは半信半疑で、後が考えられないなんて頭おかしいな程度の認識だったのだ。
私は今、似たようなことをやろうとしている。
客先の機密情報持ち出してバックレようとしてるんだから。一応内部告発という扱いにはなるんだろうけど。
正直プロとしてやっちゃいけないことなので後ろ指を指されて済むなら安い方だ。しいて言えば相手も相手で同情の余地がないぐらいだろうか。
私が向かう先は書斎だ。
現在、ランドル卿は優雅なランチタイム。四六時中彼の見ている場所で掃除をしているわけではないし狙うなら今しかなかった。
「失礼します」
一応誰かいては困るのでノックをして入室する。よかった、誰も居ない。
連れてきている使用人も少ないので当然と言えば当然か。
「水よ、満ちろ 水よ、地を這え」
本が濡れてしまわない程度に霧を発生させる。この魔法は簡易的な索敵魔法だ。
魔法で生み出した範囲なら罠の類も含めて何があるのかを探知出来る。大まかにだけど。
呪具の類は無さそう。部屋に異常は無い。
ルーナさんが屋敷に大規模な索敵魔法を展開しているそうだから警戒していたんだけど、そういったものは見受けられなかった。
以前ランドル卿が書類を仕舞い込んでいた引き出しを開ける。……想像通り、持ち込んだであろう仕事の書類が詰まっていた。
何枚か手に取り確認すると律儀にも日付順に並んでいる。これならすぐに見つかるだろう。そして、
「あった」
アリビオ商会との業務提携に関する書類。
中身を確認して、間違いない。これは漏れ出てはいけない類のものだ。
“魔石ラベル変更 ノルド→アルベート” “希釈率変更 24→62” “合計従業員数487”
“等級 ランテ魔石をAとする” “軽減税率票”
書かれている項目に目を通し、確認する。やっぱりだ。
事業内容をまとめた書類の他、指示書も含まれていたのだが――虚偽の産地や従業員の水増しなどに関する書類が混ざっていた。
アリビオの名前が目について読み込んでしまった書類。いろいろとおかしい所があった。
産地の偽装や等級変更はミスで済むかもしれない。けれど、従業員数は国からの補助金に関わってくるから言い逃れは出来ないだろう。
内部者取引の指示まである。真っ黒だ。
「どこまでわかってやっているんだか」
あの人たち――両親はきっと事の重大性がわかっていないと思う。彼の言うがままにサインをしたのだ。
この書類を用意したのはランドル卿だ。つい先日、自身の仕事ぶりを自慢げに語っていたから間違いない。私が何も理解していないと思って機密事項まで話していた。
何故両親が不正を主導していないと言い切れるかと言えば、あの人たちにそんなことを計画するだけの頭なんてない。法的に問題がない程度に利益となるよう数字を誤魔化したり出来ない人間だ。
それでいて先を見通せず、後先を考えず、良い人そうな地位のある人間を信頼する。祖父が死に、父が会長となってからはより顕著なものだった。
実家にいた頃、子どもの主張なんて聞きやしない両親に見切りをつけ、アリビオ商会を食い荒らしに来た人間を兄さんと共に追い払っていたぐらいだ。
最近経営がマシになっているのだって裏で兄さんが絡んでいるのかもしれない。ああ、この計画が成功したら兄さんも無職か。
「……ま、兄さんならアリビオに居なくても何処でもやっていける」
作業指示書を収納鞄へと仕舞う。収納鞄を覗き込まれでもしない限り何が入ってるかなんてバレない。
これはランドル卿とアリビオ商会、両者における不正の証拠。一応アリビオも名の通った商会だし、ランドル卿は貴族という立場。
国の取締機関に提出すると共にゴシップ誌にばら撒いてしまえば完全に揉み消すことなど出来ないだろう。もし揉み消されてしまえばそれこそ裏社会の人たちに流してしまえばいい。
ランドル卿が銃を持った人間――傭兵に狙われていたのもこういった弱みが他にもあったのかもしれない。
悪い人間の敵対者は必ずしも善い人間ではないというだけの話だ。
これからどうするか? 私はこのまま堂々とこの屋敷を出ればいい。今日は従業員の看護の為に早退すると予め言っているのだ。多少早く屋敷を出たところで怪しまれなどしない。
掃除道具を手早く片付けると残っている使用人に声をかけ、帰り支度をする。そわそわしたりだとか、動揺したりだとかはなかった。
この行動は正義の為ではなく、いつものように邪魔するものを排除しているにすぎないのだから。やっていることは普段の掃除と変わりない。
今日はある意味最終日。ちょっと奮発してお総菜屋さんでお刺身を買ってしまおうか。
冷却魔法が必要な刺身は内陸のツェントルムだと特別な日に食べるもの。それか同じく処理が面倒という意味で高い馬刺しやユッケでもいいかも。
ビールもあったら最高だ。止まり木の食堂で買ってこよう。そんなとりとめもないことを考えていたせいだろうか。
そんなとりとめもないことを考えて歩いていたせいだろうか。
「あら、リテイナさん。何処に行くのかしら」
すっかり綺麗になったエントランスホール。扉の前に立つルーナさんの姿に気が付かなかった。
「本日は早退させていただきます。身内の看護がありますので」
「どうして、アナタ自身のことでもないのに他人の介護をする必要があるのかしら? そんな暇があるなら大好きなお掃除でもやっていればいいのに」
厄介な。こういう時に限って。
ストレス発散程度に話しかけるぐらいなら壁殴りでもしていた方がいい。そっちの方が幾分か気がまぎれるはずなのに。
「大切な人なら、自分自身のことでなくとも手助けしたい。或いは傍に居たい。当たり前だと思いますが」
「……そう」
本当の早退理由なんて言える訳がない。だから、真実を交えた虚偽を言ったのに。
気に障ることを言ってしまったのかもしれない。ルーナさんの機嫌が下がっていくのがわかる。どうやらまた私はとるべき行動を間違えたらしい。
「ねぇ、どうして。アナタらしくないじゃない」
「ルーナさん?」
「他人を他人として、誰にも寄りかからず寄り付かせず、独りで立ち続けるのがアナタでしょう」
ルーナさんが俯いた。私らしくない? 何を言っているんだろう。
まずいな。ルーナさんの周りに魔力が渦巻いているのがわかる。そして殺気も。
「中途半場にアタシの前に現れるぐらいなら、死んで」
「理不尽なっ!」
ルーナさんが杖を顕現させたのと私が顕現させたモップを振り下ろしたのは同時だった。