53 アンガーマネジメントの敗北
ランドル卿の依頼も2日目になった本日。夕闇の帰路に着いていると、エプルさんが泣きながら走ってきて驚いた。
すぐに来て欲しいと、ずっと私を探していたのだという。そしてエプルさんに連れられて向かってみれば。
「ご説明をお願いします。モルガナさん」
「こっちが弱かったらそもそも殺られる。んで中途半場に強くて傷付けようもんなら血液爆弾とかいう盛大なカウンターを食らわせてくるってなんなんだ? あいつ」
白い病室。
そこに居るのは眉を潜めて睨み付けてくるヘルマンさんと、包帯でぐるぐるに巻かれたモルガナさんだ。彼が怪我をしているところなんて始めて見た。
意識ははっきりしているようだけど。
「あの自爆野郎、まったく無茶しやがる。オレが身を呈して抑え込まなきゃ野次馬諸共死んでたぞ」
「そうではなく! 経緯を聞いているんです」
飄々とするモルガナさんについ声を荒げてしまった。いけない、気を付けないと。
モルガナさんとランさんが広場で始めたという“喧嘩”について。ランさんは喧嘩を売るような人じゃない。それにモルガナさんだって喧嘩を売る人じゃない筈なのに。
「あなたには若手の元冒険者に喧嘩を売るような暇なんてないでしょう」
ランさんは青い顔をしてまだ眠っている。エルシャ先生曰く、血を流しすぎたらしい。そして魔力がほぼ空になっているのだと。
重症だ。ランさんが自分で治せない傷を負っている時点で異常なのだ。
「オレだってウチを辞めたエースの実力を見たいって思ったんだよ」
「他にやりようはあった筈です」
野次馬の話ではエプルさんと歩いているランさんにモルガナさんが喧嘩をふっかけたと。
でも、話の節々が聞き取れなかったりと妙なのだ。まるで二人の話が意図的に聞こえないようにされているように。
「何を隠しているんです」
「何言ってんだ?」
「とぼけないでください!」
このまま理由も分からず引き下がれるか。とぼけ続けるというならアプローチを変えるだけだ。
出来るだけ冷静に聞こえるようゆっくりと話す。
「……そうですか。リャオ・ランはリテイナーズ・サービスの従業員です。そこの代表である私と法的にお話をしましょうか」
「おいおい、それはやりすぎだろう。冒険者同士の喧嘩だぞ?」
「私たちは掃除屋なので、冒険者の言い分は通用しません」
多少赤字になろうともきっちりとお話し合いをした方がいいかもしれない。焦った様子のモルガナさんからして。
「リテイナ! これ以上モルガナに負担をかけるな」
「あなたには話を聞いていません」
どうせヘルマンさんは中立的な立場になどなりはしない。どうあがいてもモルガナさん寄りのものになる。
なんて思っていたのにその予想は外れた。もしかしたらこれ以上モルガナさんに私を近づけたくなかったのかもしれない。
とはいえヘルマンさんが零した言葉に私は動揺が禁じえなかった。
「くそっ……依頼だ」
「おい、ヘルマン!」
「依頼でリャオ・ランを痛めつけるよう言われた」
ヘルマンさんが制止も聞かずに言った。依頼? リャオ・ランさんを痛めつける?
なんだそれ。なんでそんなもの。なんのために。
駄目だ、考えがまとまらない。落ち着け、私。今は話を聞かなければ。
「そんな依頼、マスターであるモルガナさんが出る程のものなんですか」
「そりゃあウチの元エースだからな」
「誰です。依頼元は」
ランさんが恨まれる理由なんて何も無い。
常に鍛錬して、美味しいものを食べてるだけのあの人に。誰かの益にはなっても害にはならないような人だ。
「守秘義務だ。掃除屋であってもそれぐらいわかるだろう。お前達ときたら暗夜行の邪魔立てしかしないのか?」
「ヘルマン!」
守秘義務だと言われてしまえば私にはどうにも出来ない。法的に立ち向かおうとしても負ける。
「……わかりました。モルガナさん」
「お、おう?」
「もし次、ランさんに手を出そうと言うのなら許しません」
せめて釘を刺しておかないと。
「例え不利益しか残らずとも、時間だけを無駄に浪費しようとも必ず報復します。大した損害にならずとも、逆に私に損害が降りかかろうとも構いません」
「リテイナさん……」
「私の持てる手全てを使って害を与えます。一時の報酬とどちらが得かお考え下さい」
それだけ言って病室から出る。
自分でも正気とは遠いとは分かっていた。損得勘定を度外視してしまったんだから。青白いランさんの顔を見ていると、どうしようも無い焦燥感が湧き上がる。
もうあんな顔の人を見るのは嫌だった。
「待て!」
「ヘルマンさん?」
病院から出て廊下を歩いていると呼び止められた。今更何の用だろう。
「俺はお前が嫌いだ」
「でしょうね。それで、何か?」
日頃の態度からそれぐらい勘づいていた。改めて言われたところで今更だ。さっさとランさんの病室に向かいたいのに。
どうでもいい宣言を聞かされてなんと応えればいいのだろう。前置きはいいから本題に入って欲しい。
「何故あんな依頼をモルガナが受けたと思う?」
「質問に質問で返さないでください」
「……リャオに女の影があるんだと。それでモルガナが確かめに行ったんだ」
「は?」
ランさんに女の影?
絶対にない。そういった器用なことを出来る人じゃないし、物理的にも無理だろう。
朝はエプルさんの世話をしてるし、昼間もひとりの時なんて食堂巡りをしてる目撃証言が勝手に入ってくる。夜だって部屋に居ない日なんて知らない。
「娘がリャオ・ランという男に誑かされたから痛めつけて欲しいという内容だ。それでモルガナがお前を案じて確かめに行ったんだ」
「女なんてそんなのあるわけないじゃないですか。では、なんでお互いにあんなに大怪我を負ったんです」
「……久々に楽しく手合わせが出来たんだとよ。わかるだろう、そこらの人間じゃ手合わせすらモルガナは出来ないんだ」
「なんですか、それ」
言いづらそうにしていた理由はわかった。流石に私の恋人に女の影がありますと言い出せなかったんだろう。
気のいいモルガナさんらしい。だとしても、だ。
手合わせが楽しい? それで盛り上がって辞め時を見失ったなんて言われても。
釈然としない気持ちのままヘルマンさんに礼を言い、ランさんの病室へと向かう。
「失礼します」
「エプル、寝ちゃった」
ずっと傍にいたエプルさんは端に詰めたランさんによってベッドに寝かされていた。ランさんの顔色も先ほどの青白さに比べると断然良い。
いつもの調子で話しかけてくるのでほっとした。
「無理をしないでください」
「ごめん、それは無理」
「言葉遊びじゃないんですよ」
なんて言いつつ、自然と頬が緩む。モルガナさんの事情聴取も終わった。次はランさんだ。
意味が無いとしても知らないままは嫌だった。
「浮気じゃないよ」
「浮気? 喧嘩の件ですか。それなら――」
ランさんが心配せずとも全く疑っていない。
そう言おうとして、いつもより早口のランさんに遮られた。
必死なような、焦っているような。それこそ浮気がバレて慌てているような人の顔をしていた。
「モルガナさんがどれだけ強くても、おれが好きなのはリーテスさんだよ」
「そっち!? いえ、いいんです。続けてください」
「おれもわかったんだ。どれだけ相手が強くても、おれが綺麗だって思うのも好きなのはリーテスさんだって」
「ありがとうございます。あの、すいません、やっぱり最初からその意味を教えていただけませんか」
私もランさんも、ある程度の主語は省くしそれで通じる。けれども今回ばかりは意味が本当にわからなかった。
たぶん根本的な価値観が違うのだ。
説明を求めるとハッとした顔になったランさん。おそらく同じ結論に辿り着いたのだろう。
出来るだけ客観的になるよう教えてくれた。
まずランさんにとっての、というよりも生まれ育った場所の価値観では他人から恋愛的な意味でも好まれる要素とは“強さ”だという。
だからモルガナさんに惚れてはいないと弁解を図ったのだ。
「わかっていますよ。そもそも、あなたと私の強さを比べても一目瞭然じゃないですか」
ランさんは私を“強い”だなんて言うけど、やり合おうものなら瞬殺だ。たぶん10秒もたない。
なに納得したような顔をしてるんだか。
「それでどうしていわれもない喧嘩なんて買ったんです」
「売ってたから。あんな相手と手合わせ出来る機会なんてそうない」
「本当に……」
そうだった。普段は穏やかな顔をしてるけどこの人は戦闘民族出身の戦闘民族だった。
こう考えるとある意味でモルガナさんも被害者かもしれない。言いがかりならはっきりと否定すれば彼も引き下がった筈だ。
それをあえてランさんはぼかしでもしたのだろう。英雄と名高い冒険者との手合わせという誘惑に釣られて。
やってしまった。一方からの決めつけて物を言ってしまったのだ。後で謝ろう。
怒りをコントロールできなかった自分が情けない。
「心配かけてごめん。でも、すごく楽しかったよ。自分の改善点もわかったし」
「3分の1程度、今も人工血液が流れてる自覚あります?」
「人工か……おれの血じゃないから攻撃には使えないね」
反省の色が全く見えない。
塩水を個人に合わせた血液に変化させる魔法なんて、いったいどれだけの人間が使えるのか。治癒魔道士でも医者でも使える人間なんて聞いたことがなかった。
この病院にエルシャ先生が居なかったら死んでいたかもしれないのに。
なのにこうすればよかった、ああすればよかったと喧嘩を振り返りながら話してくれるランさんに肩の力が抜ける。
「まったく……無理をするなとは言いません。でも、死なないでください」
「ウン。頑張る」
「死なない気で頑張ってくださいね」
夜ももう遅い。
エプルさんを起こさないように抱き上げると病院を後にした。