51 一家団欒
朝食を食べた後、部屋に戻ろうかという時に母親が訪ねてきて驚いた。いつか落ち着いたら連絡を取ると言ったものの、まだ暫くは連絡を入れる気なんて全く無かったのに。
『リーちゃんが新聞に出ててびっくりしたわ』
と言われてスノウさんを薙ぎ払った時の記事かと合点がいったけど。それでも私の名前は出ていなかった筈なのに見つけられるなんて思わなかった。
名前に関してはヘンリー卿のコネを使わせてもらい伏せて貰ったのだ。悪目立ちしたくないし。
「それでね、リーちゃんの小さな時ったら――」
母親はずっと私の話で盛り上がっている。ランさんはともかくエプルさんまで楽しそうに聞いていた。
「お父さんはどうしたんですか。あと兄さんと」
「急だったから、持ってきた仕事を片付けているのよ。それにしてもこんなにお淑やかになって」
お兄ちゃんはまだツェントルムに着いていないわ、と。家族総出で来なくてもいいのに。
「もういい歳した大人なんですから、礼節のひとつは身につきます」
「家族なんだからそんなに畏まらなくてもいいのに。寂しいわ」
具体的には10年以上離れていたから。再会した時は涙ぐんで居たけど、今の母親は最後に見た時と何も変わっていなかった。
多少老けたようには思うけど、自然な加齢だ。
「それでリャオ・ランさんとエプルちゃんと一緒にお仕事をしてるんですって?」
「心配なさらずともしっかりと貯蓄をした上で食べて行けるほどの収入はありますので」
「冒険者になったって聞いた時は夜も眠れなかったんだけど、掃除屋さんなら安心ね」
冒険者は夢のある仕事だけど、その分上と下の落差が激しい。本気で毎晩祈るように過ごしてくれたんだと思う。
善い人なのだ。私の母親は。
「アリビオって、魔道具に書かれてのと同じ名前だね」
「あらエプルちゃんったら知ってるの? うちの商会、魔道機器を扱っているのよ」
今更だけど、実家は魔導機器メーカーだ。とは言っても、昔は開発をしていたようだけど今は流通が中心で仲介業といったところ。
名前だけならすぐに上がる企業のひとつだと思う。
「リー姉のお母さんがやってるから、リー姉も魔道具が好きなの?」
「いえ。生活に便利なものを使ってるだけで全く関係ありません」
「もう、素直じゃないんだから」
消費者目線として言わせてもらえば、アリビオ印は商品の出来に落差がありすぎる。技師が制作したものを買い取っているんだけど、そのせいで品質がバラバラなのだ。
それならまだ多少高くともお抱えの魔道技師がいるメーカーの商品を使った方がいい。流石に面倒なのでこの場では言わないけど。
「リーテスさんはいつも素直だよ」
「うふふ、リーちゃんがお友達と仲良くやっているようで安心したわ。ここだけの話、今まであまり良いお友達付き合いじゃなか――」
「お母さん、ベラベラと世間話をしていたら日が暮れますよ」
出来るだけ母親とランさんを話させたくない。
自然に、怪しまれない程度に会話の主導権を握る。
「それと、ランさんはお友達ではなく恋人です。エプルさんも――娘、のようなものなので」
「リー姉……!」
勝手に断言してしまってちょっと言葉が詰まったけども。でも、関係性を表すにはこの名前が一番分かりやすくていいだろう。
嫌そうなら後で謝ろう。そう思ったけど、エプルさんは顔を赤くして笑っていたので案外口に出して良かったのかもしれない。
「え、ええ。リーちゃんったら、素敵な恋人と娘さんをもったのね。時間がある時にみんなでご飯にしましょう」
「ランさん、すいません。私は母とちょっとした話をするのでミツさんのご飯をお願いします」
「わかった」
さっさと厄介事は終わらせてしまおう。母親と父親が一緒に来るとそれはそれで面倒なのだ。
特に兄までくれば最悪だ。後から来るみたいな話もしていたし、穏便に帰ってもらいたい。
◆◆◆
二人には先に戻って貰って、今は母親と向かい合っている。やっぱり話が盛り上がり過ぎてもアレなので席は一番遠く、人の少ない場所へと変えさせて貰った。
乾く喉を緑茶で潤す。気を利かせた女将さんが居れてくれた緑茶が渋くて美味しい。
「それで、いつ戻ってくるの?」
「ツェントルムを拠点として仕事をしているのでノルドには戻りません」
生まれ育った町に愛着なんてない。里帰りだとしても戻る必要などなかった。
「去年、おばあ様が亡くなったわ」
「そうですか。ご愁傷様です」
「貴方はおばあ様に懐いていたから、言い出しづらくて」
「気遣いをありがとうございます」
出来るだけ痛ましそうな顔を作る。そうしないと、詰られるから。家族が死んで何とも思わないのかと。
実際何とも思っていないけどその場に合わせた顔を作るだけの社会性は身に着けていた。
そもそも懐いていた覚えなんてないのに。彼女の記憶はどこかで綺麗なものに変わっているんだろう。
「お墓参りだけでも、ね」
「はい、そのうち。今は手が空かないので。お客様を第一にするよう、おじい様も言っていたでしょう」
「……そうね」
こういう時、祖父の名前を出せばだいたい引き下がるのは知っていた。
祖父はアリビオ商会を興した本人で、父親を置いて家族の指標みたいな人だったから。
「リーテス……! 今までどこに……」
少し重くなった空気が漂う中、声を震わせてやってきたのは父親だ。なんだ、もう来たのか。
「お久しぶりです。心配をおかけしました」
「まったく、連絡のひとつもしないで」
「冒険者になると息巻いて家を出たものの、一向に芽が出なくて。それなのに顔を見せるのは恥ずかしいでしょう」
「そんな! お前が居るだけで俺たちはいいんだよ」
そういうだろう。わかってた。
この人たちと話すコツは、正面から食って掛かることではない。適度に耳障りの良い言葉を並べ立てなければならないのだ。
「今はリーテス・イーナスなんて名乗ってるそうなのよ」
「どういう意味なんだ?」
“イーナス”の名前も知らない相手ではないだろうに。
「アリビオの名前は大きすぎるので友人の名前を借りています」
「友人? あぁ、お前に悪い誘いをした子だね。あの子は今何処に」
「亡くなりました」
「そう。ごめんなさいね。……でも、これ以上貴方が関わらなくて済むなら良かったかもしれないわね」
耐えろ。耐えて、穏便にお帰りしてもらわないと。
気を紛らわせるように茶菓子へと手を伸ばす。一口サイズのしっとりとしたどら焼きが荒んだ心を癒す。
「それで、リャオ・ランさんとはいつお別れするかしら。エプルちゃんの引き取り先も探さないと駄目ね」
「母さん、そのリャオ・ランさんと引き取り先というのは?」
「寂しくなったんだと思うの。リーちゃんったら、不愛想な恋人と身寄りのない女の子を連れて家族ごっこをして遊んでるのよ」
あれだけ二人と和やかに談笑していた癖に。
私の外面だけが良いのはこの人譲りかもしれない。私の母親はこうやって、本人が居ない所で聞くに堪えない本音を言うような人間なのだ。
『家族の前だから本音で話しているのよ。貴方のお友達には直接聞かせていないんだからいいじゃない』
そんな意味の分からない理論を何度言ってきたのか。
咎めたところで挙句の果てには『家族の前で言いたい話を遠慮しなきゃならないなんて寂しいわ』だなんて。
なんて、気持ち悪い。
「そのリャオ・ランさんというのはどんな方なんだ?」
「それがね、とっても不愛想なの。言葉もあまり多くないし。リーちゃんの所で働いているそうですけど、元々は冒険者だったんですって」
は?
ランさんの何処を見て不愛想なんて言葉が飛び出してくるんだろう。
表情筋がおかしくなるほど笑顔を徹底している商人に囲まれて感覚がおかしくなってるんじゃないのか。
「リャオ・ラン……もしかして霹靂の?」
「はい」
「なっ、リーテス。今すぐ別れるんだ。彼は東方の人なんだろう」
今どき大陸を超えてくる人間なんて珍しくもないのに。
そういえば同じ街の人間と結婚しろだなんて考えを持つ人だったな。
「霹靂といえば女性問題でクランを追放されたというしよくない。それに娘なんて、お前もまだ子供みたいなものだろうに」
穏便に、何の問題もなくお帰りを、
なんて思っていたけど。そろそろ疲れてきた。もう、後なんてどうでもいいかもしれない。
これほどまで暴力が使えたらいいのに、なんて野蛮な考えが浮かんできたのも初めてかもしれない。
「いい加減にしてください。クランがどうの言っていますがランさんを唆した女は私ですよ」
「なっ」
いつの話をしているのか。何か月も前でツェントルムではすっかりと忘れられたような噂だ。
私の故郷であるノルドは南部の端の方にあるから最近伝わりでもしたのかもしれない。
「それと。私はあなた方に面倒を見られる歳でもありません。ひとりで自立し、生きてきました」
「リーテス、」
何も出来ない子供の姿をまだ見ているのだろうか。そんな時期は短かったはずだけど。
祖父が死んで家の経営が傾いて。家の手伝いをしながら痴呆の混じった祖母の面倒を見させられた。その終わりの見えない介護は冒険者として家を出るまで続いていた。
家族みんなで協力して苦難に立ち向かわされてきたのだ。
家族の義理だと家の経営が持ち直すまでは付き合ったんだから、もういいだろう。
「家族ごっこと言いますが、あなた方はどうなんです? 祖母の面倒をみる孫娘だなんて外聞のいい家族を目指す母と、中途半端にアリビオの価値観にすっかり洗脳されきった父――」
「馬鹿が!」
「ほら、こうやって都合が悪くなると大きな声の罵倒で遮る。家の経営も傾くわけだ。人の話が聞けないんだから」
もうこの人たちに付き合うのは疲れた。10年ぶりの再会に何か感慨もあるのかと思ったけど驚くほどに何も出てこなかった。
それどころかただ純粋に面倒で、二人にこの人たちの存在を知られたくないとまで思った。
うん、これ以上相手をする理由がない。
「もう話は終わりましょう。時間の無駄ですよ、お互いに」
「お前、そんな冷たいことを言うように育てた覚えはないぞ!」
「まず育てられた覚えがありませんから」
食いついてくる父親と、言葉を失った母親。まぁ地獄絵図。修羅場。
「貴方の為に私達は」
「有難迷惑という言葉が出来るわけです」
「母さんになんてことを……せっかくここまで来たというのにお前なんか知らん! 暫く頭を冷やせ!」
でも、それがなんだ。
「はい、今までありがとうございました。さようなら」
憤慨して止まり木を出ていく両親を笑顔で見送る。それはもう心の底から。
ソワソワとした女将さんや、居心地悪そうな他の冒険者には申し訳がないけれども。
「リーテスさん、ごめん。おれ、」
そっとランさんが眉を下げて2階から降りてきた。たぶん聞いてたんだろうな。それにキャンキャンとした母親の声はよく通るし。
気まずそうなランさんの顔を見て笑ってしまう。どこが無愛想だ。
「こればかりは本当に見せたくなかったんですよ」
「ウン」
「でもね、ひとつわかったんです。私は自分が思っている以上にランさんやエプルさんが好きで、あの人たちが嫌いだったんですね」
何かを好きだと思うにしても比べるものが無ければハッキリと好きだと言えなかった。家族に関しては何だか苦手だな、という認識だったのだ。
こんなつまらない不和なんて誰にでもよくあるものだと思っていたから。
「嫌いだとハッキリと認識するものが出来て改めて“好き”を実感するのも変な話なんですけどね」
「そんなことない。おれは嬉しい」
即座に否定してくれる。たとえ家族ごっこだと邪揄されても。
好きなんだから別にいいじゃないか。