【断章】8
久しぶりに戻ったクランハウス。少しだけ埃っぽい気もするが今は置いておいて。
「なぁ、ヘルマン」
「どうした?」
「今、暗夜行って何人いるっけ」
「19人だ」
ざっと二分の一か、とモルガナは呟く。いや、ハウスメイドも含めると残った人間は二分の一以下だ。
元々暗夜行は中規模クラン程度には人が居たが、今は間違っても中規模などとは言えない。モルガナが依頼を受けた極北大陸に向かったのは半年と少し前。
「依頼の心配をしているのか? 大丈夫だ、俺も出るようにするから恙無く運営できるさ」
「いや、」
「お前はいつも通りに未知の場所に冒険すればいい。また旅の話を聞かせてくれ」
「ヘルマン!」
それでは駄目だとモルガナは首を振る。
クランの半数以上のメンバーが脱退するなど、流石のモルガナですら聞いたことが無い。それも全て自身が招いた事態だ。
「暫く依頼はやめだ。運営について話そう」
「何を言っているんだ?」
まず、ハウスメイドのリーテスが脱退。それに伴いリャオ・ランも。この時点ではあまり暗夜行の運営に影響はなかった。
その次に脱退したのはスノウだ。彼女はモルガナとあまり関わっていなかったクランメンバーを中心に人望があったのだ。
だから脱退を決意したのは彼女自身の意思であったが、周囲の人間からすると追い出したように見えてしまった。
「こんなんじゃ破綻する」
「するわけない。そもそもお前の居る場所が暗夜行なのに」
スノウが脱退すると共に、クランの運営に不信感を抱いた人間が何人か抜け、それを見た人間が更に抜けるといったドミノ倒しが起こったのだ。
運悪く、暗夜行の人間が次を探していると聞きつけた他クランからの引き抜きも横行していた。ヘルマンはともかく、モルガナは自由にすればいいといった主義だったので引き留めはしないと知られていたのだ。
そして最後にルーナの脱退。『アンタの箱庭に飾られる趣味はない』と去っていった。
――箱庭。
言い得て妙だとモルガナは思った。思えば、長い依頼が終わる度ハウスに戻るとそこは心地の良い場所だった。
みんなに笑って迎えられ、旅の話をして土産物ひとつで盛り上がったり。では、他の人間にとってはどうだったのだろうか。
何も言わなかったハウスメイド。彼女だって他に言いたいことがあったのだろう。
「違うんだよ。オレの帰る場所が暗夜行なんだ」
絞り出したようなモルガナの言葉にヘルマンは息を飲んだ。
こんな彼の姿を今まで見たことが無かったのだ。ヘルマンは早々にモルガナとパーティを組めるだけの実力がないと自身の見切りをつけていた。
だからこそ、せめて憧れていた冒険者の手助けがしたいと実質的な暗夜行の運営を行っていた。だというのに、モルガナは重い顔をしている。
やっと己がどこかで間違えたのかもしれないと思い始めた。
「すまない、ずっと拠点を空けていたオレにこのクランについて教えて欲しいんだ」
「それは、」
ここでヘルマンは言い淀んだ。
「……わからないんだ」
運営こそしていたが、彼にとって円滑な経営以外はどうでもいいものだったのだ。
数字ならば出てくる。でも、モルガナが望んでいるものはそれじゃない。それなりの付き合いなのだ。それぐらいはわかる。
「それなら、みんなに暗夜行について聞いてみないか」
最初からまたクランを作ろう。そう言ってモルガナはヘルマンに手を差し出した。
◆◆◆
黒板にフェネック獣人の剣士、ファジルがクランメンバーの意見を片っ端から書き連ねていく。
リーテスにクランの所属変更を漏らしていた彼であるが暗夜行に留まっていた。
「それで、意見としてはクランの福利厚生が悪くなったってのが多いな」
軽く目を通したモルガナが呟く。
苦虫を何十匹も噛み潰した顔をしているヘルマンに対し、苦笑してファジルが答えた。
「ほら、ハウスメイドが立て続けに辞めてるだろ。それで痒い所に手が届かなくなってるんだよ。装備整備とか」
「整備ぐらい自分でやればいいだろう! それに暗夜行で働くというのにすぐ辞めるなんて根性が無さ過ぎる……!」
まぁまぁと憤るヘルマンをファジルは抑える。
「装備の整備ぐらいは自分でやれというのには賛成なんだがなぁ。というより今までリテイナがやってたのか!?」
「そうそう。あいつが抜けた後の事務は副マスが請け負ってるけど、それ以外がどうにもな」
「何故辞める? 残業代も含めて十分に給金は渡しているだろう。誰でも出来る仕事に疲れただの時間がないだの仕事量が多いだのと文句ばかり……」
「確かにリテイナさんの仕事量は多かったみたいだけど、彼女が辞めてからハウスメイドの仕事は減らされているよな?」
一応擁護しておくと、ヘルマンは出来る側の人間だった。リーテスのように工夫しながら仕事を片付けるのではなく、彼は素で真正面からデキるのだ。
そしてモルガナもまた、掃除などをやれと言われればデキる男だった。体力もあり、容量もいい冒険者二人が頭を悩ませる。
本気でわかっていないのだと察したファジルが切り出す。
「あー、普通の凡人はさ、全部が全部完璧に出来ないんだよ。失敗して試行錯誤してちょっとずつゆっくり出来るようになるんだ」
ファジルは自身を凡人だと定義している。
凡人なりにやれることをやってきた結果がダイヤランクの冒険者だ。
「それを一気に覚えろって言われたり全部片づけろって言われたら嫌気がさすんじゃねぇかな」
彼は円滑に物事が回るのならそれでいいと口を出さないようにしていた。誰かが揉めていようが最悪の事態だけは避けるように間に入り、後はずっと息を潜めて過ごしていたのだ。
でも、話があるのだとモルガナに頭を下げられてしまえば。らしくなくとも口を出してしまった。
言い終わった後で後悔するも後の祭り。
「流石だファジル! 周りをみているからこそわかるんだな!」
「……お前の意見も使わせて貰おう」
暗い洞窟からやっと出口の見えた顔をする二人に肩の力が抜けた。
こういった所につい惹かれてしまって辞めるに辞められなかったのだ。
「そういえばリテイナさんと会ったんだけどな、新人のもう辞めた……リャオ・ランだっけ。仲良くしてるみたいだな」
「マスター、あんたどんだけすれ違ってたんだよ。リャオは新人じゃないぞ。3年ぐらいは在籍してたし」
朗らかな世間話のつもりだったのだがヘルマンの空気が凍る。
「あんな女に現を抜かす奴の話はやめろ」
「キミな、うちは別に恋愛禁止とかそういうのもないだろうに。素直に祝ってやれよ」
ほら、要望で女性メンバーが欲しいってのもあるぞとモルガナは笑っているがヘルマンはやはり気に入らなかった。そもそもリーテスが気にくわないのだ。
あの常に平然として、淡々とした女が。暗夜行の為になるよう自主的に動かない癖にモルガナから直々に声をかけられた女が嫌いだった。
気に掛けられていたのに恩を仇で返したのも拍車を掛ける。
「ま、楽しそうにやってるみたいだったから良かったよ」
モルガナはリーテスと始めて会った日を思い出していた。
『貴クランの運営理念に感服し、お役に立ちたいと思い応募致しました』
絶対に思ってすらいないだろうといった内容を淀むことなくスラスラと口に出していた。そもそも暗夜行には運営理念すら無かったのに。
堂々と運営理念なんて言われてしまえば(そういえばそんなもんあったかな……)と逆に思わされそうなほどだった。
『そういうの抜きにして、本音を聞かせてくれないか。ほら、今の志望動機だとどっちみち落とすんだからさ』
どこか危ういふらふらとした雰囲気を持つ女だったように思う。空虚な視線の割に、微笑みながら回り続ける口が痛々しかった。
見てられなくなったモルガナが出来るだけ明るく言うと、リーテスは少し悩んだ後に言ったのだ。
『ただ穏やかに生きたい。他人の事情に振り回されるのも嫌なんです。仕事ならきっちりとこなしますから』
『よっし採用! キミの力が欲しいなぁ!』
採用の決め手は見ていられなかったから。それともう一つ。
リーテスならば、自分を心の底から好くようにはならないだろう。そんな思いがあった。
モルガナは昔から他人に好かれる性質を持っていた。故郷や旅先、どこでだって好かれてしまうのだ。
だからリーテスの誰に対しても変わらない態度を見て採用を決めた。
誰に対しても態度が変わらない人間は二種類居る。
誰もが尊重するべきものに見えている人間と、誰もが風景の一部に見えている人間だ。少なくともリーテスは後者だった。
クランの運営をする以上、視座の公平な者が必要だと思ったのだ。
「リテイナさんも雰囲気が変わって安心したよ。生活環境は穏やかそうじゃなかったけどな」
「あの女の話もやめろ」
モルガナだって人に好かれるのは好きだ。新しい出会いも、みんなで肩を組むのも好きだ。
しかれども偶に自分を一切知らない人間が居る場所に行きたくなる。今回はたまたま近場のバイキングレストランがそうだった。
そうして近場での旅は終わり、またこのクランへと帰ってきた。
居心地が良い家だと思っていたのは自分だけだったのだと手痛い現状も知ってしまった訳だが。
これからは他の人間も帰りたくなるような家を作ろうと決めた。