49 氷結
「ごめんリーテスさん。融合型スライムがそっちに逃げた」
エプルさんを背負いながらランさんが戻ってきた。
「ホウレンソウ! 最初に変なのを見つけたらひとりで対処しないように」
「気を付ける」
融合型スライムとはその名の通り。命の危険を感じた小さなスライムは合体し、巨大化するのだ。
とはいえこの下水道で大繁殖したスライムは酸を吐いたりだとか危ないものはいないのでさした脅威ではない。
「お魚泳いでる」
「身体の成分がだいたい水ですからね」
複数の核が浮かぶ身体の中を泳ぐ魚。スライムに直接的な悪意は無いんだけど、人間や動物が取り込まれると普通に窒息死するんだよね。
あ、ネズミがスライムに巻き込まれて藻掻いている。
「これ、コアを同時にいくつか潰せばいいんだよね」
蠢く巨大スライムを前にトンファーを構えるランさん。
融合型スライムは複数の核からなる魔物。ひとつ核を潰した所で活動は止まらない。けれども複数を同時に潰すと、指揮系統に異変が生じるらしく止まるのだ。
それならランさんに合わせて私も攻撃しよう。飛び出そうと足に力を入れる――が、モルガナさんが手で制した。
「此処からはオレも手伝ってやるよ。一宿一飯の恩だ!」
「くれぐれも建物を傷付けないようお願いします」
「わかってるって」
前に出たモルガナさんの手にはエプルさんの身長を軽く超える大剣。
剣へ魔力が満ちていくのがわかる。
「はぁあ!」
縦に一閃。
その場から動くことなく一振りの斬撃が巨大スライムを切り裂く。
言った通り建物を傷付けることなく核を同時に処理していた。
ぱかり、と割れたスライムはそのまま飛び散った。
「弱い電撃も混ぜといたから麻痺ってるはずだ。逃げねぇうちに残った細かい核を潰しちまうぞ」
「お見事です」
このぐらい、きっとランさんでも対処出来た。英雄の無駄遣いかもしれない。
それでもモルガナさんは笑っていた。こういうところなんだよなぁ。大なり小なり依頼を選べる筈なのに、頼まれたり困ってる人がいたら自分から首を突っ込む。
それも全部が全部、楽しそうに。見ず知らずの人の為に動ける側の人間。
「では、残りを潰していきましょう。定時退社を目指しますよ」
飛び散った核と隅で逃げようとしている核。まだまだ仕事は沢山ある。
げんなりする心を抑えてモップを握りしめる。
「正義無き 結末を求める 氷結よ 決して逃がすな」
澄んだ声が下水道に響く。水と壁に反射して、声は何処までも届く。
え?
飛び散った核が、水が。私たちを除いて此処にいる全てが凍り付いた。
「ぶちかませ」
その直後、氷は粉々に割れた。キラキラと照明に反射する破片が綺麗だ。
そして静寂を取り戻した下水道にはスライムの核はひとつとして残っていない。
「アナタの姿を見たって聞いて来てみると、本当にいるだなんて」
「ルーナ! まさか迎えに」
癖のある黒髪。そしてふわりとした尻尾。まさに黒猫といった猫獣人の美女がヒールを鳴らしている。
ルーナ・クレセントさんだ。“黒姫”の名を持つ暗夜行の冒険者。
「あら、リテイナさん。お久しぶりね」
「ご無沙汰をしています」
彼女のことは紅茶ぶっかけ事件もあるしちょっと苦手だ。わかりやすい暴力なら暴力で返せるけど、地味なものだとどんな対応をしていいかわからない。
ギロリ、とルーナさんに睨まれていた。
「まさかリテイナさんがこんな小汚い所で蠢いてるなんて思わなかったわ」
「はぁ」
「おい、ルーナ!」
こういった時、なんと言えばいいんだろう。実際に小汚い場所と言われれば事実だし。モルガナさんが咎めるもののルーナさんの視線は相変わらず鋭い。
どうしようかなぁとぼぅっとしているとルーナさんの視線がエプルさんの元へ向かい、そのまま斜め上にランさんの元へと流れる。
ますます視線が鋭くなっている気がした。殺気とも言えないけど、これは怒気だろうか。
「あらあら、まだその男に寄りかかっていたのね。それにまぁ子供もなんて、家族ごっこにでも目覚めたのかしら」
「言いたいことはそれだけですか」
家族ごっこ、ごっこかぁ。家族に見えているというのも複雑で、ごっこと言われるのもなんだか嫌だ。
きっと私が思っているよりも家族は悪いものじゃ無いんだろうけど気持ちの問題だ。
「私に構わなくともモルガナさんに用があったのでは?」
さっさとお帰り願おう。まともに頭を悩ませて対応するだけ疲れる。同僚であったならまだしも、今は関係の無い他人なんだから。
何か言いたげなランさんにほっておけばいい、という気持ちを込めて首を振る。
どうでもいいものへ気を使うほど私の思考は優れていない。
「それと。ランさんは私が寄りかかっても倒れない方なので余計なお世話です」
でも、これぐらいは言っていいよね?
永遠を誓うような恋や愛に夢を見ては居ないけど、一緒に居る今ぐらいは頼りにしたい。いつか、離れるまでは。
しっかりとルーナさんと目を合わせて言うと、少しだけ言葉に詰まったようだった。
「……っ! ええ、マスターに話があってきたわ。今日限りでアタシは暗夜行を脱退するから」
「は!?」
モルガナさんから驚嘆が漏れる。ルーはさんもそれなりに古参のメンバーだったからわたしも驚いている。
諍いの起きていたスノウさんも既に居ないし、もうルーナさんが苛立ちを募らせる理由なんて無いはずなのに。
「マスター、アナタは変わらず仲良しこよしに囲まれて楽しくやっていけばいいわ」
それだけ吐き捨てて、ルーナさんは去って行った。残ったのは私たちと、呆然と立ち尽くすモルガナさんだ。
「恥ずかしいとか抜きにして、暗夜行に帰った方がいいのでは」
「あ、ああ! すまん、また今度!」
はっとしたモルガナさんはルーナさんの後を追うように出口へ走り出した。