45 命名規則
今まで、暗夜行で支給されたメイド服を着ていたから知らなかった。
メイド服って意外といいお値段がする。仕事着の専門店に売ってはいるのだが、しっかりとした作りのものは値段相応のものだった。
安くて丈の短いやたらとフリルが付いているものはメイド喫茶の子たちが着るなんちゃってメイド服だ。
「リー姉、どうしたの?」
「メイド服は仕事で使用する物でもあるので、経費で落としてしまおうと考えていました」
「けーひ?」
「覚えて損はないので、今度勉強しましょう」
目に見えてエプルさんがげんなりとした。嘘じゃないんだって。
経理は何処に居ても役立つ知識なんだから。覚えるのが頭を掻きむしりたくなるぐらい面倒なだけで。
「次はおれの買い物だね」
「私のも!」
午後からの買い物、私のメイド服はすぐに終わった。残るはランさんの買い物だ。
それとエプルさんはランさんと同じ東方の服がいいらしく店は二人一緒に済ませられる。
年がら年中メイド服を着ている私と違ってランさんはお洒落さんだ。仕事が無い日は刺繍の細やかな 長袍を着ているし、季節に合わせて刺繍も変わっている。
だからエプルさんの服を選んでも悪いようにはならないだろう。
いつもエプルさんの服は私が買っているけど、何がいいか全くわからないのでとりあえず子供服ブランドのものを着せていた。
ブランドと聞けば高級品のように聞こえるが、高級品がブランドになるんじゃない。モノを突き詰めた先にブランドとなるのだ。だからその耐久性を信じて着せていた。
決して自分のセンスに自信が無いので流行っているブランドで済ませているなんてものでは……なんて考えていると目的の場所に着いていた。
「ここ、おれの好きな店」
服屋の多く並ぶ通りをランさんは一瞥もせずに通り抜けた先。看板には【やどり木服飾店】と書かれていた。
店の外には布や鞄、端切れがごちゃごちゃと並んでいる。マネキンには東方の服がいくつか着させられていた。
店内は薄暗くて営業しているのかちょっと不安になる。が、ランさんは容赦なく扉を開けた。
「来たよ」
「久しぶりだヨ~」
店の奥で作業台に向かい合っていた店主? が顔を上げて手を振っていた。どうやらしっかりと営業していたらしい。
店主さんは狐色のふわふわとした髪を持つ男性だ。店主さんと仲が良いようで気安げな雰囲気を出している。
「珍しいネ。他の人と来てるの」
「今日は二人の服が欲しい。いい奴入ってない?」
「あるヨあるヨ~!」
うん? 二人の?
店主さんが私とエプルさんを見てにっこりと笑う。
「ランさんとエプルさんの買い物なんじゃ……?」
ウンと肯定する。
「おれとエプルの買い物。リーテスさんは何色が好き? 何でも似合うと思うから気に入ったのがあったらそれにしよう」
「それはランさんの買い物とは言わないんですよ」
不思議そうに首を傾げられても。こういうのは? とぴっちりしたドレスを着させられているマネキンを指差されえても困る。
こんな感じの服がタイプだったんだ、と記憶には残しておくけども。
「リャオ・ラン、そろそろお嬢さんたちをワタシにも紹介してヨ」
軽くにらみ合っていると店主さんが間に入る。人前だというのについうっかりとしていた。
デートなんて言うから浮かれてしまっていたのかもしれない。
「申し遅れました。私はリーテス・イーナスです」
「リー姉とラン兄のところのエプルです!」
急いで自己紹介をする。私のところの、なんて表現に顔がにやけそうになるのを隠すようにお辞儀をした。
「ワタシはミャオ=ニャオ・マオだヨ。気軽にニャオって呼んでネ」
「よろしくお願いします、ニャオさん」
一応本人の許可もあることだし失礼にはあたらないはず? 東方大陸に限った話ではないのだが、他の人種や部族出身の方だと名前の呼び方も異なるので難しいのだ。
冒険者ならカードに登録された名前は基本的に呼んでも大丈夫なものを使っているので地雷を踏むことは少ないんだけど。
私の名前もツェントルムに引っ越す前、冒険者ギルドで更新したし。
「へぇ~、なるほど……ランさん、ネェ」
「どうしたんですか」
意味ありげにニヤニヤと笑い始めるニャオさん。通訳してくれないかな、とランさんに顔を向けると少しむすりとしていた。
「そういうのいいから早く入荷した服見せて」
「だってだって! リーテスさんとエプルちゃんはいつからその呼び方してるの?」
ランさんを無視してニャオさんは盛り上がる。いつからと言われても。
「私は最初からでしたけど……エプルさんはどのぐらいでしたっけ」
「あんまり覚えてないかも。最初はリャオ兄って呼んでたとは思うけど」
思い出しながらぽつぽつと話しているとニャオさんは尚更楽しそうに笑った。
対してランさんはむすりとしている。
「リャオ・ラン、お前ド変態だヨ」
唐突な罵倒。もしかしなくても名前系の地雷を何か踏んでいたのだろうか。
エプルさんと顔を見合わせているとニャオさんが教えてくれた。
「ワタシとリャオ・ランは似たような慣習の部族出身なんだけど、一番最後の名前はよっぽど親しいか家族ぐらいにしか呼ばせないヨ」
「はい?」
「無知の相手に漬け込んで呼ばせるなんてほんと酷い」
ほぼ4年越しの答え合わせ。まさか、そんな。
「あれ? でも冒険者カードの記載はリャオ・ランでしたよね。そんな大切な名前を」
暗夜行にいた頃、事務処理の関係で冒険者カードを見たから知っている。
諱の文化を持つ人達も居るので、冒険者カードには基本的に呼ばれたい名前で登録するのだ。
「姓名の欄がよく分からなかったから。リャオ・ランで登録したらみんなリャオって呼ぶしそのままにした」
「ああ、なるほど」
南部大陸のよくある命名規則だとリャオが名前になるから。呼ばれたくないランの方は自分から言い出さない限り呼ばれなかったのだろう。
私だってランさんからそう呼ぶように言われて呼んでいるのだ。
最初は溝があるのかとショックを受けていたっけ。最近は何か理由があるのだろうとはともっていたけど。
「その場合は姓がビョウで名がリャオでもいい気がするヨ」
名前の感覚としてはビョウ族出身のリャオさんという形らしい。
名前ではなく一族や家名がランさんの出身地では呼び名として使われているのだとか。
「でも基本的に他人はリャオ・ランみたいな呼び方だネ」
冒険者の二つ名だって同姓同名を更に区別して印象付ける為にあるから似たようなものだろう。
「ワタシの場合は響きがカワイイからニャオ呼びが気に入ってるヨ」
そこは個人の裁量となるようだ。
東方の一部の部族にとっては一番最後の名前は気軽に呼んではいけないとしっかり覚えた。ついランさんと同じように呼んでしまうところだったから危なかったな。
「みんな名前がたくさんあるのに何で私はエプルなんだろう」
「確か……獣人種は個々としての独立心が強いのであまり家名を持つ文化が薄いのだとか」
「変じゃない?」
普通ですよと、不安そうなエプルさんの頭を撫でる。名前の価値観なんてそれこそ人それぞれなのだ。
大切な自分の一部として親しい人にしか呼ばせない人間も居れば、私のように特に拘りが無い人間も居る。
冒険者カードや他の商業ギルドのカードだって個人の識別の為に姓名が使われているだけなのだ。名だけだと腐るほど同じ名前が居てややこしいから。
「もう名前の話はいいでしょ。ニャオ・マオ、早く」
「せっかちは嫌われるヨ」
憎まれ口を叩きながらもニャオさんは棚から服を取り出す。
全部細やかな刺繍がされていて綺麗だ。
「これ新作の旗袍。ジュウアンから輸入した布だからいい奴だヨ。子供服はこっちネ」
「ここの服、たくさん暴れてもなかなか破れないからおすすめ」
「冒険者用の服を売ってたんだけどウチの縫製がいいばかりにやぶれなくて。商売あがったりだヨ」
誇らしげにニャンさんは笑っていた。このやどり木、東方から輸入した布をお抱えの職人たちが仕立てているらしい。
東方から南部に渡ってきた冒険者用の服屋というニッチなコンセプトだったのだが――彼の言う通り、丈夫すぎて買い替える必要がなく逆に売れなかったのだという。
だから今は丈夫さはそのままに、刺繍など装飾を作りこんで一般人も欲しくなるようなデザインで制作しているのだと。
「では私はこの緑と青い服を。エプルさんはゆっくり選んでくださいね」
やっぱりどの服がいいのかわからないのでランさんの目線をこっそりと辿る。
僅かながらにも視線が長く留まったものを選んでおいた。なるほど、深めにスリットが入っているものが好みなのか。
「リーテスさん、たいがいに魔性の女だネ」
「何を言っているんですか。領収書の発行もお願いします」
「リーテスさんおれが買うから」
「経費で落とすので」
元々は冒険者用の服屋なのだから経費で落としても怪しまれないな、よし。ちょっとがっくりとしているランさんが面白い。
そしてエプルさんも程なくして服を選んでいた。可愛らしい旗袍を選ぶのかと思いきやまさかの道着。
朝のお稽古に使う服をランさんとお揃いにしたかったらしい。ほんとうちの子可愛いな。
店から出て、ランさんが拗ねたように言った。
違うな、この顔は拗ねてるんじゃない。照れてるんだ。
「あとおれの名前は、リーテスさんにそう呼んで欲しかっただけだから。下心はちょっとしか無かったから」
ランさんもやっぱり可愛いな。