43 桜の樹の下には
さて、あと残る問題は。
「何も聞かないんですかって、え!?」
ふとランさんを見るといそいそと道着を脱いでいた。肌寒い夜だというのに下には薄いインナーが一枚。
目のやり場に困って俯く。露出も多い人だって珍しくないんだけど、ランさんはいつも着込んでいるし目に毒というか倒錯的というか……!
「腕、バキバキなんでしょ。応急処置」
「いやいや、服着てください! 固定には私のエプロンを使うので」
インナーも脱いでしまいかねない勢いのランさんのご厚意を辞退しつつエプロンで折れた腕を固定する。
添木が見つからなかったのでモップをちょうどいい長さに折って貰った。あんなに一心同体のように戦っていたのに小枝のように折れるモップ。
さようなら、二代目。
「痛ァ゛」
「大丈夫?」
「ぅう……ランさんの顔を見たら急に痛み出したというか」
がーん、と効果音がなりそうな顔になるランさん。言葉が足りなかった。悪い意味では無い。
じくじくを通り越して生命維持の激痛を訴える腕。残りわずかな魔力で一時的に痛覚を鈍くする。自分の身体なら好き勝手出来るから便利だ。
「私ひとりの時は脳内麻薬みたいな、変なテンションになって痛みを忘れてただけですよ。でもランさんを見たら妙に気が抜けたというか」
「そっか」
遠い場所から自分の家に帰るような感覚があるとしたら、こんな感じかもしれない。思えば暗夜行に寝泊まりしていた時も、気が休まるかと言えば否だ。
あくまでもあそこは職場でそんな感覚なんて一度もなかったな。
「それで、何か言いたいことってあります?」
「エルシャ先生の所ってまだ開いてるかな」
「一応24時間営業の病院だったとは思いますが」
なんだかはぐらかされている気がする。たぶん気の所為じゃない。
「じゃ、行こ。おれは他人に治癒魔法は出来ないから」
「流石に私もこの規模の怪我はどうにもなりませんね。止血が精々です」
切り裂かれた箇所や折れた腕の応急処置を終えると病院へと歩き出す。
抱きかかえられそうになったが断固として拒否した。いい歳して恥ずかしいし。
「その、いったい何時から見てたんですか」
「場所がわかったのはリーテスさんの名前が呼ばれた時。聴力を強化して探してたから」
「名前って……ほぼ最初じゃないですか」
「あそこに着いたのは石巻タオルを投げたぐらい?」
この人はまったく。私の問題だと、ある程度の決着が着くまで手を出さなかったのだ。
あれだけ気を張っていたのに気配すら気が付かなかった。きっと、本当に危なくなれば手助けはしてくれたのだろう。
「わざわざ来なくても良かったのに。エプルさんも居るのに」
「エプルならミツに土産の肉をあげてるから」
寂しがっていないのならいいんだけど。
でもミツさんが居るなら大丈夫だろう。あの子は魔獣だけど子守が上手いから。
「あなたは本当に、何も聞かないんですね」
「聞いたら教えてくれるでしょ。リーテスさんは嘘つかないし」
「そうですね」
因縁ありげにキャフェイさんと殺し合っていたり、私を探している最中に名前を聞いたのなら“リーテス・イーナス”ではなかったのか?
とかいろいろツッコミどころはある筈なのに。
「あんまり興味無い感じです?」
あえて聞かずにいるなんてランさんがわからない。
元からあまり他人に興味を抱くタイプではないとわかっていたけど。
私もその興味を抱けない対象だったのかと軽くショックを受ける。自分語りをしたい訳じゃないんだけども。
「リーテスさんは嘘つかないけど、話したくないことは話さないでしょ」
「それはまぁ」
「だから聞かない。黙らせたくない。それなら他の話をずっとしていたい」
珍しく早口になるランさんに驚いた。
彼の言う通りだ。私は口でいろいろと誤魔化すけど、嘘はつかないようにしている。
一度ついた嘘は隠すために嘘を重ねるしかなくなってしまう。重ねた嘘はいずれ破綻する。それなら曖昧なままが一番いい。
まさかランさんに見透かされているとは思わなかった。内心で驚いているとランさんが続けて口を開く。
「リーテスさんの声、好き」
好きな声を、私の声を聞いていたいのだと。それって。
「とんでもない口説き文句ですよ。他ではあまり言わないようにした方がいいかと」
「言わない」
「それならいいんですけど」
きっぱりとランさんは言い切る。
「他の人には絶対言わない」
そういうところなんだけどな。要らぬ誤解を避ける為にも、もう少し自分の容姿に気を付けて欲しい。
ただでさえ整っているのだ。年頃の少女だとイチコロの威力がある。
「リーテスさんが好きだから、リーテスさんの声も好き」
「はい?」
驚いた。けれどもそれ以上になんでランさんが一番驚いたような顔をしているのだろう。
まるで、言うつもりなんてなかったみたいな顔をして。
勘違いだったら恥ずかしい。まさか、もしかして。それでも。
「そうですね。私もランさんと話すのは好きなので」
無難な対応をしておかないと。
だって。間違っている。どうかこのまま何もなかったことにして欲しいと願う。
だというのに、願いは届かない。ランさんが意を決したような顔になっていた。
もう、それ以上はやめてくれ。
「リーテスさんが好き。親愛も敬愛も恋愛も全部込めて好き」
まったくどうして。あんな驚いた顔をしていた癖に。何も聞かなかったことにしたのに。
その気持ちは嬉しい。嫌われるよりも好かれる方がずっといい。
「……それは勘違いですよ、ランさん。ほら、あなたぐらいの年頃だとちょうど年上に惹かれますからね」
「違う。見た目も内面も全部好き」
私がランさんを好きだとすると、その気持ちは本物だろう。だけど、ランさんの私に対する気持ちは違う。
「違いません。この際はっきりと言いますが、私はそれなりに人間性を作っています」
故郷から出てきたまんまの私は人から好かれるはずもない女なのだ。
例外があるとしたら一緒に出てきて冒険者になった友達ぐらい。
「見た目も含めて、出来る限り他人から好かれるように。あなたが好ましく思っている部分は偽物です」
私は自分のことでもないのに皆で汗水たらして協力しあうのが理解できない。人並みのような感傷だって無い。要は他人と上手く同調できない。
それで冒険者を辞めた時、どうしようもない自分をなんとかしようと思ったのだ。見た目も清楚なメイドに変えて、言葉使いは誰が相手でも丁寧に聞こえるように。
可哀想なものに手を差し伸べるような、善い人間に擬態して当たり障りなく少しでも他人から好かれようと思った。
キャフェイさんが言った『そんなだからお前は何処に居ても馴染めない』は罵倒でもなくただの真実だ。
虚偽ならともかく、真実を言われたところで何とも思わない。
「ねぇ、リーテスさんは本当の自分を知ってもらいたいって思ってるの」
「それは……よくわかりません」
5年も擬態していたのだ。今更本当の自分と言われても。
作った人間性に失望して嫌われるのは嫌だ。けれども本性を見られて嫌われるのも嫌だ。
まさにどっちつかず。詰んでいる。
「じゃあ、おれのこと嫌い?」
ランさんが自身に指を刺して首を傾げる。
そんなの、あるはずがない。逆はこの先あるかもしれないけど、私が嫌うなんて無い。
「あなたと同じ感情とは言えませんが好きですよ」
「エプルとミツは?」
「好きなのだと思います。嫌われたくない」
「なら問題ない」
ランさんが安心したように頬を緩めた。
問題ないとは? 話が繋がらない。
「おれはリーテスさんなら何でも好き。見せたい所を見せてくれるなら見る。リーテスさんが見せたくない所は見ない」
何を言っているのか理解出来なかった。言葉の意味は分かる。でも何を思って言っているのか、真意がわからない。
いや、むしろランさんは自分が言ったことの意味をわかっているのだろうか。
「おかしいです。そんなの、都合が良すぎる」
「全部を知るのってそんなに大切? 知らなくても笑って過ごせるならいいんじゃないの……リーテスさんが辛いなら駄目だけど」
辛い? と聞くランさんに首を振る。
作った姿を見せて罪悪感を感じるようではとっくに辞めている。
むしろ今が心地いいから見せたくないのだ。
「嫌なら全部辞めればいい。でもおれが嫌じゃないなら、一緒に居て」
「ただの都合がいい人ですよ」
「言ったでしょ、リーテスさんなら何でも好きって。おれにも都合がいいから大丈夫」
一緒に居たい時に居られるから互いに益があるのだと。
そうだ。無償で誰かの為に都合よく動くのは理解できない。
けれどもお互いに利があるのなら。お互いの損益で動いているのなら理解が出来る。
「辞めたくなるまで、一緒に居てもいいですか」
あなたが、とは言えなかった。その言葉を口に出してしまえばただのズルい人間になってしまう。
おそるおそるランさんの様子を伺うと――
「ウン!」
声でっか。そしてとても嬉しそうな姿に肩の力が抜ける。
たぶん、私は難しく考えすぎていたのだ。もっと単純なことを見逃していた。
何処で何をしたいのか。そんなわかりきったものを。
「ランさんはこれから、どうなりたいんですか」
このままリテイナーズ・サービスを続けるのも、冒険者に戻るのも。
選択はいろいろとあるだろう。
「将来的にはおれと一緒に死体を埋めるような仲になって欲しい」
「え、嫌ですけど」
咄嗟に断ってしまった。そして発言元、ランさんの顔は絶望に染まっていた。
「そんな……」
この言い回し、ランさんの一族に伝わる“結婚してください”という告白だったらしい。
わかるか! ただの遺体遺棄共犯の誘いにしか聞こえない。
倒した強敵を一緒に埋葬という名の初めての共同作業
→死体の上には美しい桜が咲く
→末永く一緒にお花見をしましょうね
といった由来があるらしいのだが……東方事情は複雑怪奇だ。
「おれはこのままみんなで過ごせたらいいな」
「そうですね。私もそう思います」
すぐに誤解は解けたけど、ボロボロで血濡れの私といい死体発言といいムードの欠片がひとつ無くて笑ってしまった。
なんなら目の前は既に病院だ。
リーテスが戦闘力と比べてシルバーランクの冒険者だった理由は協調性が皆無だったからです。