41 馬鹿と鋏は使いよう
追い込まれた人間は何をするかわからない。
まさに今、キャフェイさんは追い込まれた人間なのだろう。殺気がピリピリと私の肌を撫でる。
ここで私を殺そうとも何の意味も、何の益も無いのに。
きっと、後のことなんて何も考えていないのだろう。その判断さえ持ち合わせていない。
「この5年! お前が私の心の鎖をめちゃくちゃにして、やっと立ち直ったというのにッ!」
「……昔やったことは謝りますけど、あれだって火のない所に煙は立たないと言いますし。身から出た錆じゃないですかね」
「黙れッ!」
さて、5年前に私が何をしたかというと。
簡単に言うと、心の鎖の悪い噂を軽く振り撒いたのだ。でも、酒場で冒険者仲間に話したりする程度でギルドから干されるような酷いことはしていない。
元から存在していた噂を流しただけ。メンバーの女性に売春を斡旋しているだとか、そういった噂について裏取りした内容を加えただけだ。
あくまでも本当の話を酒の肴程度に仲間へとしただけ。
とはいえ冒険者が信用商売である以上、噂の威力は絶大だ。それなりの被害を心の鎖に与えていた。
「それに今回は何もしていませんよ」
仕方がなかった。
一緒に冒険者をやろうと故郷から出て来た友達といろいろあって別れて、久々に再会したら心の鎖で磨り減るほどに働かされていたんだから。
それでいて無駄に冒険者として実力もあったせいで脱退も許されず、搾取され続けていた。
だから、噂を振り撒いた。その悪い噂の火消しに心の鎖があたふたしているどさくさに紛れて脱退させたのだ。
その際に暗躍? していた私の存在がキャフェイさんにバレて一生分ぐらい詰られたという昔話。
「――殺してやる」
目がギラギラと血走っていて怖い。確かキャフェイさんってもっと丁寧な話し方だったはずなのに。
それだけ頭に来ているんだろうな。
「落ち着いてくださいよ。私を殺しても得なんてありませんから」
「お前を殺したら私の気が晴れる。それだけよ」
単純でいいな、それ。
皮肉にも、私自身も身から出た錆とでも言おうか。最近なんだか自分の行動で回りまわって殺意を向けられている気がする。
人のことなんて言えない。
「問答無用ですか」
じゃらり、と鎖が揺れる。そして鎖の先、キャフェイさんが手に持つのは大きな鎌。
対して私が構えているのはモップ。鎖鎌と長物、武器の相性としては最悪かもしれない。
いくら冷静な判断が出来ていない相手と言ってもキャフェイさんの実力は本物だ。
“夜叉”の二つ名を持つダイヤランクの冒険者。彼女の戦い方は――知っている。
だって、私が噂を利用した絡め手を取る前に冒険者らしく勝負を挑んで半殺しにされたからね!
「お前も懲りていないようね。今度こそ死ねッ!」
油断などしない。
身体を魔力で覆う。神経を極限まで張り詰める。風の動き一つですら見逃さない。
「厄介な……!」
投擲された鎖鎌を身体を逸らし避ける。
そしてすぐさま地を蹴り横へ避ける。
私が居た所には、石畳を砕きながら跳ね返った刃が通り抜けていた。
まだだ。
更に地を蹴る。
ヒュンと、風を切る音が耳に届く。
鎌はキャフェイさんの手に戻っていた。
となると、次に来るのは分銅鎖だとわかっている。
「ちょこまかと」
「一度やられた以上は覚えますよ」
以前は完膚なきまでに痛めつけられたのだ。ならば同じ轍は踏まない。
鎖の軌道を読みながら私は走る。
鎖鎌は中距離から近距離を得意とする得物だ。対してこちらはモップ。近づかなければどうにもならない。
「傭兵にまで身を落として私たちに嫌がらせがしたいの!?」
「もしかして傭兵としてメルディ子爵に雇われたとでも? 思い込みの激しいこと」
走りながら刃を弾き、鎖の追撃を躱す。
弾けばその分だけ鎖に絡めとられる隙を与えてしまう。だから出来るだけ回避に徹する。
弾くのは避けられないものだけ。
僅かな合間を見つけて収納鞄からタオルを顕現させた。使えるものは何でも使うしかない。
「せいっ!」
砕かれた石畳の破片をタオルで包み、軽く投げる。宙に浮いたタオルをモップで打った。
石の重みによってタオルは勢いよくキャフェイさんの元へと飛ぶ。
「火よ、燃え上がれ」
そしてタオルを燃焼させた。カラカラに乾いたタオルはよく燃えるのだ。
私は攻撃魔法の類は苦手だけど、物は使い様。攻撃手段の一部として使うぐらいは出来る。
「なっ!?」
炎の塊となったタオルにキャフェイさんが気を取られている一瞬。
その隙を見逃さずに距離を詰める。
「はぁあああ!」
モップの柄で腹を狙う。
だが、鎖鎌で阻まれた。
「甘いのよ小娘が」
炎がただのタオルを燃やしたものだとわかったキャフェイさんは消火などせず、すぐに躱すだけに留めたのだ。
嫌になるほど対応が早い。
迫りくる分銅鎖をバックステップで避ける。錘は私の後ろ、積み上げられた木箱を粉々に砕いていた。
「ちょっと冷静になっていません? やめましょうよ、こんなこと」
明らかに最初よりも動きがよくなってきている。
怒りのままに振るわれていた刃が確実に殺す為のものへと。
「しっかりと理解しているわ。私にはもう後がない。だから、せめてお前を殺す」
そういえば心の鎖の後ろ盾になっていた貴族も今回、資金繰りで摘発されていたな。ちなみにその貴族はメルディ子爵とは政敵。
暗躍していたのはロコさんだけど、その全ての憎しみが私に向かっているのだろう。
5年前のことも含めて。
「リズ・イーナス」
キャフェイさんが口を開いた。
「あの子も、お前と出会わなければ不幸な目に合わなかったのに」
私の、友達。
一緒に冒険者をやろうと故郷から出てきて、仲違いして。そして心の鎖から脱退させる為に手を貸した相手だ。
黙り込んだ私を見て醜悪にキャフェイさんは笑った。
「お前と別れて、男にも捨てられたあの子を私たちが拾ってやったというのに。お前が冒険者に誘ったから。故郷に居ればあの子も幸せだっただろうに」
「――だから、何だと言うのです」
人は自分が有利だと思った瞬間に気が緩む。だから、私は魔力で更に身体を強化してキャフェイさんにモップを叩きつけていた。
「がっ」
べらべらと話し続けようとする口を閉ざしてやりたいとは思わなかった。ただ、見つけた隙を突いただけ。
追撃をしようとするも距離を取られる。
15mほどか。キャフェイさんも手練れだし身体強化でも使わない限り詰められないな。
「チッ」
身体強化と武器補強というなんちゃって強化、魔力で身体や武器を覆っているのだが効率が悪い。効率の悪さはランさんの強化付与と比べると顕著だ。
常に使っていると魔力が枯渇する。だからここぞという一瞬の強化に使う。なんちゃって強化たる所以だ。
長期戦には向かない。だから早く片付けてしまわないと本当に殺されてしまう。
まずいな、次の手を考えないと。
「年寄りの昔話は嫌われますよ」
全力でキャフェイさんの相手をするか、残りの魔力を全て使い逃走に徹するか。
逃走も出来なくはないけど後が面倒だ。だってキャフェイさんは全力で私を殺しにかかってるし。
後日、周囲を巻き込んだ自爆テロなんて起こされたら寝覚めが悪い。
「お前は人の心がないというの!?」
どうすべきか考えていると怒鳴られた。生憎と精神的なところを抉られて思い悩むような可愛らしい性格をしていない。
リズは私が一緒に冒険者をやろうと誘ったから不幸にしてしまった。冒険者は稼げるけど世知辛い商売なのだ。
でも、友達の不幸の一端は心の鎖にもあるわけで。
「少なくとも、あなたには何を言われようが気になりません」
「そんなだからお前は何処に居ても馴染めないんだ!」
既知の女同士だとこういった醜い争いになるから嫌だ。
また、鎖鎌が飛んでくる。
もう覚悟を決めてしまおう。ここで終わらせる。
ザシュリ
跳ね返った刃が私の腕を裂く。傷は浅い。
致命傷を避けた回避だけをして最短距離でキャフェイさんの元へ進む。
「自棄になったつもり」
投げやりな私の態度が伝わってしまったようだ。でも、別に良い。
「火よ、燃え上がれ」
小さな炎がキャフェイさんの目前に輝く。
それから収納鞄から取り出した瓶を投げつけた。
「こんな目晦ましを何度――も」
炎など目もくれず、瓶を砕いたキャフェイさんが硬直した。
瓶の中に入っていたのはぬるりと滑る液体。そして彼女に降り注ぐのは消えかけの火の粉。
人間は一定の許容量を超えると体が動かなくなる。頭が真っ白になるというやつだ。
「がぁッ!」
キャフェイさんが硬直している間に急所である頭を思いっきり打ち付けた。
「油かと思いました? 大丈夫ですよ。それ、ただの洗剤ですから」
そんな危険物持ち歩いているわけがない。さもなくば私も油まみれの人間に近づかないし。
今の私は掃除屋、常に持ち歩いているものは掃除道具だけだ。
「よく、も」
すぐさま後ろへ下がられてしまう。そして鎖が私の左腕に巻き付く。
この鎖も私がやっているのと同じように、いや、それ以上に強化されているのだろう。ギチギチと締め上げる。
それなら――ちょうどいい。
「ぉおおおお!」
痛みを誤魔化すように叫ぶ。
撒きつけられた腕で鎖ごとキャフェイさんを引き寄せる。
魔力で腕を強化したから、引き千切られはしないはずだ。
「捨て身!?」
ごきり、体の内側から響く嫌な音。
だからどうした。
私程度に動揺した時点でもう勝負は付いていた。
「はぁあっ!」
利き手が無事な以上はまだどうとでもなる。
モップの先でキャフェイさんの手の甲を打ち鎖鎌を引き離す。
鎖が緩んだ瞬間に腕を引き抜いた。ぷらぷらと揺れる腕が邪魔だと感じるが、今は放置。
「せいっ!」
「ぎぃあっ」
片腕でくるりとモップを回しキャフェイさんの首を打つ。
人間である以上、どこを打てば響くかはわかる。
それでも片腕だとあまり威力が出ない。
二打、三打と追撃をかける。いくら相手も身体を強化していようと打ち続ければ壊れるはずだ。
「はぁ!」
キャフェイさんを覆っていた魔力が途切れる。
――今だ。
残りの魔力を全て注ぐ。
モップの強度を補強。動く片腕の筋力を強化。
ぎょろりと瞳を開くキャフェイさんの頭へとモップを振り下ろす。
飛び散った脳髄の掃除が大変そう、だなんて見当はずれなことを考えながら。
「リーテスさん、そこまで」
気も漫ろだったのが悪かったのだろう。
身体が動かない。鎖で絡めとられた時とは比にならないぐらいに。
そして背に感じる温もり。
「ランさん……?」
優しく痛まないように。
されども全く自由の効かないようランさんによって羽交い絞めにされていた。