38 現行犯
さて、昨日設置された呪具の効果はどれほどかというと――大漁だった。
「う、ぁあ、あ」
「たすけ、て」
若い女の子たちがざっと10人は塀の前で固まっていた。それも手には塗料や張り紙を持って。
どう見ても物証だ。現行犯で突き出せるだろう。
「私の呪具にかかればこんなものよ」
「すごいですね」
得意気なアルネラさんの隣で私は素直に驚いていた。まさか、こうも効果のあるなものだとは思わなかったのだ。
呪具は条件付けなど、細かな術式の組み合わせで完成する。私は呪具を解呪しろと言われたら出来るが作れ、となると首を振る。
誰にも解けない問題を解く人間と、誰にも解けない問題を作る人間ではどちらがより高度な知識を必要とされるのかという話だ。
「なによその顔」
「称賛しているだけです。本当に一晩ももつなんて」
「ま、まぁね。だって得意だもの! 文字はウェイクさんが教えてくれたからね」
小型の魔獣であるトラネコを捕まえるような気軽さで塀に呪をアルネラさんが刻んでいたから見くびっていた。
人間は魔獣よりも知能もあって手数が多いから同じようにはいかないはずなのに。
それでも彼女にとっては対象がトラネコであろうと人間であろうと変わらなかった、それだけだったのだ。
照れているアルネラさんが自身の技術をどう評価しているかはわからない。たぶんだけど、そこまでのものを作ったとは思っていないのだろう。
「これで私たちの仕事も終わり? 呆気ないわね」
「事情聴取を兼ねてロコさんが同行しているので、お話は帰ってからですかね」
警備隊によって連れて行かれる女性たちを眺めながらアルネラさんが口を開いた。
呆気ないと言えば呆気ないが、こうもクランメンバーを抑えられては心の鎖も活動出来ないだろうし。
「そうですね……妨害する者が居なければ屋敷で元々働いていた使用人たちも復帰できますから。長引いても仕事はそれまでの繋ぎですかね」
「ヘンリーさんの悪い噂も無くなればいいんだけど。噂に振り回されるのは大変だもの」
「ええ、その通りです。でも、ヘンリー卿の噂に関してはすぐに晴れると思いますよ」
心の鎖に賛同する記者とかがある程度の情報操作をしていたみたいだけど、貴族の屋敷に落書きをして捕まるなんて擁護のしようがないだろう。
今までは一部、それも少数の新聞社が心の鎖に同情的な記事を大きく書き立てていたから世間からの同情が集まっていた。
ヘンリー卿が権力を盾に女性保護を掲げる心の鎖を潰そうとしていたなんて。事実は逆にもかかわらず。
でも、こうも大人数で不祥事を起こせば他の新聞社によって中立的な記事も書かれるはずだ。
「一部の大きな声の人間が噂というか情報操作をしているので。客観的な他の人間が介入するとある程度は収まるでしょう」
「ゴシップに飛びつく世間様も頭空っぽで腹が立つけどね」
「そのぶん、世間様もすぐに悪い噂を忘れま――」
――ヒュンッツ
風を切る音がした。
「どうしてこんな酷いことをするんですかっ!」
聞き覚えのある声。そして同時に眩い光弾。
「わっ」と悲鳴を上げるアルネラさんの首根っこを掴んで回避する。
光弾がぶつかった先、石畳が割れて破片が飛び散った。
「なによ、これっ」
「私の後ろに居てください」
アルネラさんを背に隠し、モップを顕現させる。
渦巻く魔力に反応して白銀の髪をたなびかせた少女が私を睨みつけていた。
「……スノウさん? どうしてここに」
杖を構えていたのは――暗夜行の“白姫”ことスノウ・プリメアさんだ。
今も彼女を起点として周りに光弾がくるくると回っている。これは攻撃を受けているとみて間違いなさそうだ。
「女の子たちを虐める酷い人たちが居るって聞いてきたんですっ! まさかリテイナさんだったなんて……」
人聞きの悪い。このままだとあらぬ誤解を吹聴されてしまいそう。
ともかく否定はしておく。
「傷付けていません。私たちは掃除の依頼を受けて来ただけです」
「誰かを傷付けることが掃除だって言うんですかっ!」
これって、私たちが若い女の子たちを悪徳貴族と一緒になって傷付けた悪者になっているんだろうか。……彼女の言い分からしてなっているんだろうな。
心の鎖に友達でもいたのかもしれない。
「いえ、そうではなくてですね」
否定を重ねても、この状態から説得するのって無理な気がする。
だってスノウさんの怒りに合わせて周りの魔力がピリピリと張り詰めているし。彼女、わりと思い込んだら一途な所があるから余計に難しい。
「法の手続きに則り心の鎖の方たちは事情聴取の為に連行されただけですよ。義憤に駆られるのは結構ですが、暗夜行のあなたが他クランに首を突っ込むのはどうかと」
クランは基本的に相互不干渉だ。合同で動くなんて珍しい。ましてや暗夜行ほどの規模にもなると合同で動くメリットもないのだ。
だから恐らくは心の鎖の肩を持っているのはスノウさんの独断。誰にでも優しいスノウさんは交友関係が広いようだったから。
「副マスターの許可はとったのですか」
で、あるならば。畳みかける先はこっちだ。
副マスターはそういった危機管理には敏感だからいい顔はしないだろう。
「暗夜行は脱退しましたっ! 今の私は心の鎖の所属ですっ」
「は?」
私は思わず思考が止まる。そうか……脱退したのか。
スノウさんについて悪い噂も抜けたなんて噂もまだ聞いていない。だから最近の話だろう。
悪い噂が無いのはクランを円満に脱退したから。悪い抜け方をしたらそれこそ私たちみたいに干されるだろうし。
「私を拾ってくださった皆さんを傷付けるなんておかしいですっ」
「むしろ被害者はこちらですが」
たぶん、クランがギスギスしている事情を考えて彼女の脱退に文句など出なかったのだろう。どちらが先に脱退を言い出したのかはわからないが。
「リテイナさんは賢いから、悪い貴族さんに付いたら有利になるって考えたんですよねっ!」
「はい?」
なんだか超理論が展開されてない? 私がいろいろと裏事情を考えている間にスノウさんだって考えていたのか。
こそこそとアルネラさんも「アレ、何よ。怖いんだけど」と引いた声を出す。
「頭を冷やしてくださいっ! 怪我をしても、反省したら私がちゃんと治しますから……!」
スノウさんの周りを浮遊していた光弾が私目掛けて放たれた。