37 呪具
ちょっとした業務連絡も兼ねて案件ごとに付け始めたレポート。仕事を始める前の朝に読んでいるのだが、ランさんやエプルさんとの交換日記の用で少しだけ楽しい。
とはいえ二人は今回の案件からは外れてもらう訳で、暫くはレポートを書く機会もないだろう。
「うわっ、なによこれ! 昨日の今日よ!?」
「昨日よりはまだ少ないですね」
レポートの内容を思い出して現実逃避したくなるぐらいにはげんなりとしていた。
昨日の夕刻、仕事を終えて帰る頃には何もなかったからきっと夜のうちにやられたのだろう。
『悪徳領主』『豚貴族』『私腹を肥やすな』
『非人道企業』『この顔を見たら警備隊に』
『消せると思うな』『諦めない心』『私たちの絆の力』
また落書きや張り紙が増えていた。
しかも文言がちょっと変わっている。なんかいいこと言ってる風になってるんだけど余計に意味が分からない。
「御屋敷の使用人の方も、これを繰り返され欝病を発症したそうです」
「やったことをひっくり返される徒労感ってほんとキツいわね」
とにかくまた掃除だ。
流石に広い塀を全部汚すだけの時間や体力が無かったのか正門近くしか汚されていない。いたちごっこだとしても掃除するしかない。
思えば、人が生活するうえで産まれる汚れは掃除して来たけど悪意から産まれたものを掃除するのは初めてかもしれない。呪具トラバサミは例外ということで。
「本当に懲りない連中です」
「お疲れ様です、ロコさん」
ごしごしと磨きながらインクを落としているとロコさんがため息を付きながら塀を眺めていた。
昨日から本格的に屋敷を開けているようで今は一時的に戻って来たのだろう。
「アルネラさん、時間がかかりましたが例の許可証を発行してきました。容赦なくやってください」
「仕事が早いわね! そうとくれば一網打尽よ!」
「許可証?」
ロコさんから書類を受け取ったアルネラさんが眩い笑顔を浮かべた。
「街中での呪具発動許可証よ。全員ぶっ殺してやるわ」
「屋敷を曰く付きにしてどうするんですか」
にこにこ笑ってないでロコさんも止めて欲しい。元密猟者のアルネラさんなんだから、比喩ではなく相手を殺しかねない。
「死なない程度か、お亡くなりになってもメルディ家とは無関係だと分かる形でお願いします」
殺人教唆か? この人が口に出すと冗談に聞こえないな。冗談だよね? アルネラさんも「面倒ね」だなんて。
昨日汚れ切った塀を掃除しただけあって相当頭に来ているのだろう。昨日の今日で汚されたらそれは心も折れるよね。折れた心がとんでもない反発心になっているのかもしれない。
「ロコさん、その許可証とはつまり」
「本来なら街中での害獣被害対策などに使用される許可証なのですが……まぁ屋敷を損傷する虫を駆除する為です。あまり変わらないかと」
やっぱり面倒な許可証事情。きっとロコさんもお役所で貰って来たのだ。こういった街中で発動する呪具は許可証が必要となる。
心の鎖は確か、国から女性保護に関する補助金も貰っているクランだから大変だっただろう。
貴族であるメルディ家からの要請ではあるが、呪具の対象が国から特別支援金が居りているクラン。それでいて迷惑を被っている近隣住民や心の鎖の活動を支援している世間からの心象。
いろいろと板挟みの思いの中で許可証を発行したと考えられる。数カ月前から発行申請をしていたらしいから、ほんと……役人って大変だな。
「発動条件は悪意を持って壁に触れた人間、効果は一週間の腹痛と触れた瞬間の脱毛でどうかしら!」
「我が主は相手をあまり傷付けないように、と仰っていました。ええ、僕の解釈としても許容範囲です」
凶悪な。旦那様のお言葉を独自解尺でスルーしている。解釈って便利。
呪具の定義は作成者のよって決められた条件によって効果が発動する物に刻まれた魔法だ。だからこの塀に術式を書き込んでも、塀そのものが呪具となる。
魔法と一口に言っても呪具のようなものや、その場で水を生成するようなものなど種類は豊富だ。
魔法分類学なんて学問もあるぐらい。でも、普通は使えて便利ならそれでいいってことであんまり考えずにつかうんだけど。なんなら魔導機器の登場によって生活魔法すら覚える必要が無くなっているし。
呪具について考えていると話が逸れた。
アルネラさんの呪具について流石に見て見ぬフリ出来ないところがあった。私はおずおずと手を上げて発言する。
「その……落書きをしているのはたぶん末端の方たちだと思うのでほどほどに」
上に居る人間ほど人の目がある場所に出る。そして目に入れられないような汚れ仕事は下々の仕事だ。
「なによ、あんたもアホ女たちの肩を持つの?」
「はい。末端の人間は衣食住を握られています。それに“やれ”と言われたことをやらないと、どうにも出来ない人だっているんです」
やっぱりあまりキツいのはよくない。
可哀想だ。
「だからって、」
「後がない人間は自分の判断を持ち合わせていないんです。提示された条件を最良でマシだと思う。それで縋りついてしまう」
「それは……」
「――自分が後悔しない為にもほどほどに精一杯やった、でいいじゃないですか」
言い募ろうとするアルネラさんを宥めていると少しだけ思い悩んだような顔をしていた。
ギャングの山に密猟をしていたなんて、褒められない経験を思い出したのかもしれない。あれに関しては報復が怖いギャングと実刑判決を受けかねない犯罪行為が重なってたからよくやったなって思う。
「それなら効果は身体の硬直。深夜だろうと雨だろうと関係なし。それで警備隊に突き出したらいいんでしょ。それでどうよ、ロコさん」
「……生ぬるい気はしますがいいでしょう」
わかってくれたのならよかった。だって、末端がどんな人間かなんて知っている。
何処にも行けなくて、帰る場所も無くて。独りぼっちで。まだ、自分はマシなのだと思うしかないような状況。
正常な判断で傍から見たら馬鹿げてるとはっきりと言えるような境遇の人間ばかりだ。
幼馴染の友達が久しぶりに会ったらそうなってたんだから。知っているからこそキツい。
「私たちは自分の判断で、ウェイクさんと一緒に密猟するって決めたけどね!」
「そうでしたか」
それはそれで犯罪なんだけどな。