36 シール剥がし
翌日、私は御屋敷を取り囲む塀の掃除を行うことにした。
まだ心の鎖の人間は居ないようで、やるなら今のうちだろう。
『悪徳領主』『豚貴族』『私腹を肥やすな』
『ブラック企業』『鬼畜』『アホ』『バカ』『ブタ』
『非人道企業』『この顔を見たら警備隊に』
落書きや張り紙がべったりとひっついている。生卵の類は腐ると大変なので他の使用人が掃除しているらしいが、とにかく最悪だ。
高級住宅街、素敵なお屋敷なのにメルディ邸だけテイストが違う。ここだけ世紀末だ。
近隣住民からも苦情が来ているらしく早急に解決したいと言っていた。
「最初は部屋掃除からじゃないの? 外から先に掃除しちゃったらまた汚されると思うんだけど」
アルネラさんが首を傾げる。
彼女は掃除において私の補佐だ。後は作業を妨害された際の戦闘要員。
私に投げ飛ばされる程度で大丈夫かな。いざとなれば私が盾役をするしかないかもしれない。
「人は“汚してもいい”と思う場所を更に汚してしまうものです。だから、次に掃除する時が楽になるように綺麗にしておきます」
「ふーん、そういうものなの」
割れ窓理論だかそんな感じの名前が付いていたはず。
窓が割られている家があると近所の家の窓も割られてしまう。あとは落書きの多い場所では他のポイ捨ても増えた、みたいなものだ。
1つの無秩序が他の無秩序も呼び込んでしまうというもの。
「悪意を持って汚す人間も居れば“周りがやっているから”、それだけの理由で便乗する全く関係ない人間もいるんです」
「へぇ。じゃあ、綺麗にしたら心の鎖とは関係ない奴が汚しに来なくなるってわけね」
「全く来なくなるわけではないでしょう。それでも、どれほどの効果があるかはわかりませんが良心に訴えかけます」
ちょっとでもマシになればいいんじゃないかな……。せっかく綺麗なお屋敷なのにあまりにもこの惨状は酷い。
悪意が悪意を呼ぶ前に少しでもマシになればいい。
「さて、厄介な方たちが来る前に終わらせましょう」
改めて落書きだらけの塀と向かい合う。
「水よ、満たせ」
あ、これ水性だ。ダメもとで水を出してみたらインクが滲んだ。ほんとうに良かった。これが油性だと詰んでた。
頑固な油性インクであるけど、一応アレにも落とし方は存在するのだ。一部の例外を除いて。
その例外がこの塀だった。石材やブロックは奥まで油性インクが染み込んでしまい、定着してしまうと落ちないのだ。
「あんたが水をかけた所を落としていけばいいわけね」
「お願いします……この水魔法なら基礎も基礎ですしアルネラさんも使えるのでは?」
「適材適所よ。私じゃ魔力消費を抑えながら一節で発動なんて無理」
「慣れれば楽なんですけどね。掃除に便利で」
実戦であれば“霧”を出した時のように組み合わせなければ使い物にならない私の魔法。でも、ちょっと水気が欲しいなぁって時にはすごく使い勝手がいいと我ながら思っている。
魔法が得意な人だと飲み水も出してしまうそうだけど、私の水だと腹を壊しそうで流石に出来ない。自分の出したものが清浄なものだと信じきることが出来ないので駄目だ。
魔法はイメージひとつで応用が効く。それでいて強力な自己暗示みたいなところがあるから仕方ない。
「あんたどれだけ魔力があるのよ」
「保有量は人並みですが、術式を効率化しているので消費量は少ないですね」
「え、聞きたいんだけど!」
どうやらアルネラさんは魔法の理論そのものに興味があるらしい。
隠すものでもないので簡単に説明すると大きく頷いていた。
「とはいえ実戦の中で改良したものなので粗があるんですけどね」
「でも一節の詠唱に収めるにはその方法が一番良いと思う」
そもそも、私の魔法は何度も言うように基礎。わざわざ効率化する必要がない。それも威力を落としてまで。
それに探せば私以上に効率化している人は沢山いると思う。それこそランさんの強化魔法みたいに無詠唱とか。
「詳しいんですね。雰囲気で魔法を使う人が一般人でも多いのに」
「だって整えられたものって綺麗じゃない。……あんたの魔法も無駄が無くて綺麗だと思うわ。術式から読める人格が効率主義ってぐらいしかわからないもの」
怖。術式から人格が特定できるって何?
私の魔法は業務に追われた末、苦肉の策で編み出した効率化であって自分の性格が効率主義なんてそんなことはない……はず。
「私のトラバサミ、解呪したのがあんたってのは若頭から聞いたわ」
「作成者でしたか」
「次は絶対に私にしかわからない脆弱性を作るんだから」
作らないでください。あれを解呪出来たのも捕獲用だってわかってたから直接掴んで力業で解呪出来ただけなのに。
事実、登龍一家の解呪に当たった人は失敗して寝込んでたし。
そうやって駄弁りながら広い広いお屋敷の長い長い塀を二人がかりで綺麗にしていく。今回はデッキブラシの出番だ。
確かに、こんなに広いんだったら慣れてない人が水魔法を使ったら疲れるだろう。
私は暗夜行で外壁の掃除をする際、一々水を汲みに行くのが面倒で魔法を使っていた。ホースを引いて掃除してたら踏んづけられて破裂して大変なことになったんだよね。
「次は張り紙を剥がしましょう」
「べったりくっついてるけど」
「……頑張りましょう」
手が回らなかったのか張り紙は古いものから新しいものまで。あとは剥がそうとして失敗して接着剤が残ってしまっているものまである。
「熱よ、ここに」
熱魔法を行使し、張り紙を高くなりすぎない温度で温めていく。高温になりすぎると接着剤が余計に強くなってしまうので注意しないと。
お高いスチームアイロンが欲しくて諦められなかった私は魔法で代用しようと出力調整練習に励んでいた。だから前よりも上手くなったはずだ。
「こういった接着剤は熱に弱いので温めながらゆっくりと剥がしていきます」
「ほんと多芸ね。いろんな意味で」
「掃除に関しては常に情報収集していますから。張られて時間が経ったものは水で濡らしていくので、先ほどのようにブラシ磨きをお願いします」
「水魔法なら私がやってみるからいいわ。さっき効率化を教えてもらったし」
今日の掃除は塀掃除だけで終わりそうだ。
それでも、アルネラさんが手伝ってくれているおかげで想像よりもずっと早く終わりそうだった。
【レポート1 リーテス】
みなさんには少し休暇を取っていただきたいと思います。
最近働きづめでしたから、リフレッシュ休暇ですね。休める時に休めばこそ、次の仕事に精が出るというものです。
とはいえ何か用事がありましたらすぐに連絡してくださいね。
【Re:レポート1 リャオ・ラン】
今回の依頼を手伝えないのがとても、もどかしいです。
リーテスさんの留守をしっかりと守り抜きます。エプルやミツの世話は任せてください。
それに今回は荒事も辞さない依頼だと聞きました。何か力になれることがあったら言ってください。力で解決することは得意です。