【断章】5
登龍一家の所有するお山にはトラネコたちが平和に暮らしていた。周りから見ると怖い怖いヤクザのお山でも、トラネコたちにとっては自分たちに害のある人間が近づかないとても住みやすい場所だった。
『今年こそは優勝させてくれよ』
『バカ! それを口に出すなって』
『そうだった。とにかく頼んだぞ!』
などと意味の分からない言葉を吐きながら人間たちが長年、何世代にも渡って餌を与えていたのだ。
そのおかげでヤクザのお山のトラネコたちは人間との関りが深く、人語もある程度理解をしていた。
本来魔獣が人語を理解するには調教師が長い時間をかけ、信頼関係を結ばなくてはならないにも関わらず。
他には意思疎通の魔法も存在するが、使える人間など一部だけだ。
毛皮も珍しい虎模様でふかふか。意思疎通も既に出来る魔獣。骨も解毒の漢方になる。
狙われない訳が無かった。トラネコたちは密猟者に目を付けられてしまったのである。
けれどもトラネコたちが暮らすのはヤクザのお山。生半可な覚悟の密猟者は来ない。結果として、一流ともいえる冒険者崩れの密猟者がやってきてしまったのだ。
とまぁそんな前置きはどうでもいい。
この度独り立ちをしたトラネコ――ミツはベッドの上でごろごろと寛いでいた。
「抜け毛が……」
困ったようにリーテスが呟く。が、ミツには知ったこっちゃない。ミツにとって彼女は友人だ。
トラネコは独り立ちをすると単独で生きると思われているがそんなことはない。ただ独りが好きな個体が多いだけで場合によっては協力して狩りだってする。
だから彼女は同じ獲物を協力して狩りとった友なのだ。
「あの、ミツさん用のベッドをすぐに買ってくるのでどいていただいても……駄目か」
「みぃ」
気に入ったのだから退くわけがない。ぷいと顔を逸らす。
「はぁ、コロコロを買ってくるか」
一緒に住んでいては独り立ちをしてないのでは? なんて疑問だって野暮だ。兄妹や母猫と離れて暮らしているのでこれは独り立ちである。
べたりと転がっていると隣にリーテスも腰掛けた。
そろりと手を伸ばしてくるので黙って撫でられてやる。スリスリと身体をすり合わせると心地よいのはミツだって知っているのだ。
「あなたを連れてきて、本当によかったんだよね」
「にゃ」
「時々、わからなくなる。ランさんも、エプルさんもなんで私と一緒に居るんだろう」
「みゃ~」
ぼそぼそと話すリーテスにミツは何言ってるんだこいつ? という顔を向けた。
一緒に居たいから居る。心地よい場所だから退かない。何故それがわからないのだろう。
人間の感性はおかしいのだろうかとミツは不思議に思っているのだ。
「悪いことを言ったってわかってる。それもあんまり駄目って言って嫌われないように回りくどい方法で。ミツさんもちゃんと家があった方がいいよね」
吐き出すようにリーテスは懺悔する。
既にこの止まり木の一室は自身の縄張りだと思っているので問題ない。
でも、相槌が欲しそうなリーテスにとりあえず「なぉん」と鳴いておいた。
「本当はね、拠点の話が出た時ちょっとだけ嬉しかったんだ。でも、駄目。重いでしょ」
重い、とは物理的なものと精神的なもの。両方だ。
「今はまだ、あんまりしがらみも無いからリテイナーズ・サービスもすぐに辞められる」
「にぃ」
「ランさんだって悪い噂も薄れて来たしいつでも冒険者に戻れる。だってあの人は悪い女に唆された被害者なんだから。それで、私はどこか違う街でひっそり暮らせばいい。エプルさんを学校に通わせられるぐらいの貯えもある」
もちろんミツさんのご飯も、とリーテスは言った。そしてその生活が気に入らなければ山に戻ればいいとも。
「でも、拠点を構えたら後に引けなくなる。そんな気がするんだ。だって、家って地に足付けて生きる人が持つものでしょ」
荷物は少ない方がいい。背負い込んでしまうと身軽に動けなくなる。
今の“家”である止まり木だって、借りるのを辞めてしまえばそれで終わり。リテイナーズ・サービスだって役所への書類一枚で廃業出来る。
どこをとっても気軽なものだ。
「誰かと行動するのはあんまり慣れてない。利害関係だけとか、最初からわかりあえないってわかってる方が楽」
「にゃあん」
「だからリスイさんと話すのはある意味気楽かも。だってあの人、損益考えて動く人っぽいし」
ミツを撫でるリーテスの手は止まらない。ゆっくりと撫で続けている。
上手とはいえないが、反応を見て撫で方を変え試行錯誤している。
「純粋な好意だけって難しいね。いっそあなたぐらい意思が通じなかったらいいのに」
「みゃ~あ」
「ミツさんはうちに居る限り餌が手に入る。私はこうやってモフモフできる。単純な利害の一致だ」
ちょっと聞き捨てならない言葉が聞こえた。ミツは顔を上げる。
この女、まさか自分が餌目的で居ると思っているのか? と。
「ふふ、魔獣に言ってもわかるわけな――痛っ!」
「みぃ!」
これ以上は口を開くなよ、とミツは猫パンチを決めた。
「いきなり何するんだ。やっぱり人間ですら意思疎通出来ないんだからミツさんも難し、痛っ!」
明らかに見下したような発言に対しミツはもう一度叩きつける。爪を出していないだけ感謝して欲しい。
そして意思疎通が出来ていないと思っているのはリーテスだけである。
ミツからするとあまりの伝わらなさに“シバいたろかコイツ”の感情で本当に軽くシバいただけだ。それに痛いというほどの力はいれていない。
「にゃ」
一応叩いた後にはリーテスの手へふかふかとした頭をスリつけてフォローを入れる。
叩きっぱなしだとただの喧嘩だ。じゃれ合いのわからない人間にはこのぐらいでいい。
「……ほんと可愛いな。仲直りしましょう。えーと、クッキー食べます?」
「にゃ~」
渡されたクッキーを爪で砕いてリーテスへ半分押し付ける。
真っ白のシーツにボロボロとクッキーの欠片が舞う。小さく悲鳴が上がったがミツには関係ない。
「あ、半分くれるのか。ありがとうございます」
サクサクとクッキーを食べる。
自分の分がなくなり、リーテスの裾へ肉球を押し付ける。
少し悩んでからもう一枚渡された。それを何度か繰り返し、ミツはリーテスの膝の上に乗る。
なるほど、ここはベッドよりも心地が良い場所だと認識した。
「あの子たちと一緒に居る間は面倒見のいいリーテス・イーナスで居ようと思う」
「にゃお」
「今以上に仲良くなれなくても、ありのままの自分を見せるぐらいならこのままでいい」
――だって、嫌われたくないんだ。
そう言ってリーテスはまた一枚、ミツの口元へとクッキーを運んだ。
言っている内容はどこか突き放すようなものなのに、いつもよりも距離感が近いとミツは感じる。半歩引いたような見えない壁が無い。
まったく、人間は面倒な生き物だ。偶にこうやって語る時間が必要だと言うのなら、自分はまだ人間の言葉を解していないフリをしよう。
そう考えられるほどにミツはデキるトラネコだった。伊達に姉ちゃんとして母猫と一緒に兄妹達の子育てをしていないのである。
暫くして。
「あーーー! この泥棒猫!」
「エプルさん!? どこでそんな言葉を覚えて来たんですか」
「なんでリー姉の膝に居るの! そこ私の場所!」
うるさいのが帰ってきた。エプルは最近、リャオ・ランに近くの公園を会場として護身術を教わっている。
そして今ちょうど帰って来たのだ。ミツを退かしてリーテスの膝へエプルは割り込もうとするが、ミツも退くまいとふんばる。
犬と猫の争い。それぞれから立てられた爪がギチギチとリーテスに襲い掛かった。リーテスが静かに悲鳴を上げているが縄張り争いに夢中なミツとエプルは気付かない。
「お二人とも、クッキーを出すので落ち着いてください」
「クッキー!」
「はい、バターたっぷりのやつです」
なんとかリーテスは己の膝を守ろうと秘蔵のクッキーを取り出して事態の解決を図った。