32 ハウス
「あんたたち、拠点は持たないのかい?」
いつものようにとまり木で朝食を食べていると、エプルさんに甘いデザートを渡しに来た女将さんが言った。
その言葉に私は静止する。ランさんも、尻尾をぶんぶんと振って喜んでいたエプルさんでさえも。
「考えていませんでした」
「ウチを使ってた冒険者だってクランが軌道に乗ったら安アパート借りて拠点にしていたからね」
「すいません、確かに手紙鳥の出入りといい配慮が足りていませんでした」
「いやだわ、そういうんじゃないのよ。うちはずっと居てくれたら嬉しいからね」
ただ気になっただけだと女将さんは笑う。
でも彼女が疑問に思うのも当然だろう。私がとまり木に来て半年。つまりはリテイナーズ・サービスの発足と同じ期間だ。
悪い噂も薄れてきて、仕事も貰えるようになったし稼ぎだけだと中堅冒険者ぐらいの収入はある。なんならリピーター客も居てくれるし安定性だけでも彼らを超えているかもしれない。
「拠点ってどんなの?」
「事務所といいますか自分達の家でお客様を迎える場所、ですかね」
「私たちの家!」
エプルさんが大きな瞳を輝かせているのがわかる。拠点、拠点かぁ。
確かにリテイナーズ・サービスは軌道に乗っているといってもいいだろう。でも、拠点を構えるかというと。
本当にいいの? そんな引っ掛かりがあってなかなか踏み切れないのだ。
「リャオさんもさ、キッチン付きの拠点を構えちゃえばリーテスさんの料理にありつけるかもしれないね」
「それは――!」
普段あまり運営方針には口を出さないランさんが天啓を得たような顔をしている。いたずらっぽく女将さんは笑うと仕事に戻っていった。
料理の腕を買ってくれるのは嬉しいんだけども。でも、その辺の料理屋の方がずっと美味しいから!
あたふたとしているとエプルさんが私の裾を引っ張った。
意を決したように尻尾がピンと張りつめている。
「リー姉、拠点がいい! 拠点に住みたい!」
「その……私たちでは恐らく安い拠点しか借りられないでしょう。そのような場所ではたいていペットの飼育が禁止されています」
「どういうこと?」
困ったな。子どもの決意というものは案外固いものだ。
なんとかして諦めて貰えないかな。
「ミツさんと一緒に居られなくなります」
「えー!」
ペット禁止とは人間以外全般を言う。安いアパートメントだと鳴き声や汚れの問題でだいたい禁止されているのだ。
賃貸料金が安い場所でもペットの飼育が認められている物件はあるのだが、治安が最悪な立地だったり。そんな場所にエプルさんを連れて行きたくない。
従属獣とはいえミツさんは魔獣。もちろんアウト。調教師となる冒険者が少ない訳だ。
「私とランさんが依頼の時は女将さんのお手伝いやミツさんと過ごしていましたよね」
「うん」
「拠点には女将さんも居ませんし、ミツさんも従属獣用の場所に預けなくてはいけません。独りでのお留守番になってしまいます」
「えぇ……」
よし、エプルさんは揺らいでいるな。
心苦しいけれど嘘は言ってない。全部本当のことだ。悪い大人でごめんね!
「それなら拠点を買い取ればいい」
理屈で押さえつけられる子どもが居れば、理屈さえ金の力で叩き伏せる大人も居る。
「私たちの収入と合わせて考えると、治安面において心配が残る場所か生活できるかさえ怪しい場所になるでしょう」
「暗夜行に居た時の給金。おれ、ほぼ使ってないからちゃんとした拠点なら買えると思う」
でしょうね!
プラチナ冒険者は冒険者の中でも一流。上にはダイヤなんてランクもあるけど、それにしても金を持っているに変わりない。
たぶん、ランさんが言っていることは事実だ。だってこの人のお金の使い道、食べるか宿代ぐらいだし。
「ラン兄が買うの?」
「ウン。買ったら完全におれたちの家。ペット禁止なんて規則もない」
「すごい! リー姉、それじゃダメなの?」
金の力は大人に許された権力だ。
いつか言っていた“ケーキを一人ワンホール買って食べよう”と同じニュアンスでランさんは拠点の購入を持ち掛ける。
「それは、ランさんのポケットマネーで購入するという話でしょうか」
「そう」
そんな権力を持った悪い大人には理屈で黙ってもらうしかない。
「でしたら、リテイナーズ・サービスの拠点としての利用は難しいです」
「なんで」
「一応これでもリテイナーズ・サービスは事業として行政に登録しています」
掃除屋としてリテイナーズ・サービスの活動をしているけど、仕事は掃除だけじゃない。
書類作成とか納税とか控除とかこれでもいろいろとやっていたのだ。二人に支払う給料計算とその手続きも含めて。
ちまちまと個人的に稼ぐ分には見逃されていたのだが、登龍一家の報酬が大きすぎて誤魔化せなくなっていたのだ。ちなみにあの報酬も登龍一家のフロント企業を通して支払われている。
更に余談。
「拠点はその組織によって購入されなければなりません。この場合はリテイナーズ・サービスですね。なのでランさん個人では購入できないという訳です」
「リーテスさんにおれの金を渡す」
その購入だって冒険者はまだ行政の監視が緩い。冒険者たちがお金を出し合って拠点を購入、なんてよくある話。
でもそれが冒険者ではないリテイナーズ・サービスのような個人的な事業だと話は変わってくる。
「その場合、出来なくはありませんがかなり難しいですね。贈与する先は私個人ではなくリテイナーズ・サービスとなります。私個人でもランさんと同じ理由で購入できませんから。ランさん個人所有の財産をリテイナーズ・サービスに贈与する場合、いくつかの書類が必要となります。本人確認や贈与書類、あとは魔法や薬で洗脳されていないかといった検査も必要ですね。また、ご出身が南部ではなく東方大陸であるので更に書類の数も増えるでしょう。他、突然振興事業に資金提供したとなれば資金洗浄の疑いも持たれます。冒険者としての活動履歴や南部大陸の滞在日数を証明する書類が必要ですね。それらを乗り越えても贈与税も取られてしまうので控除も含め手続きが増えます」
ここは一気に畳み掛けるしかない。
隙を見せてはいけないと一息に言い切った。言い終わってから、平然を装っているものの口の中はカラカラだ。
「やることもしょるいもいっぱい」
ランさんは茫然としている。
これも嘘は言ってない。全部本当のことだ。
ただ、一気にやろうとするんじゃなくて少しずつ片付けたりだとか、ランさんは南部での滞在日数が知名度によって証明されているので手続きが幾分か楽になるのだが――
心苦しさは感じるが言わなくてもいいだろう。
「リーテスさん、リテイナーズ・サービスとしてもっと稼げるように頑張る」
「私もちゃんと拠点が買えるようにお掃除の勉強する!」
ともかく説得? によって拠点所有を二人は諦めてくれたようだ。
やめて! やる気出さないで! 罪悪感が凄いから!
「無理をしない程度に、ほどほどにしてくださいね。身体と健康が一番ですから」
引きつった顔にならないように精一杯微笑んだ。
悪い女