29 調教師
大事をとって入院していただけで休みが一日増えたようなものだ。本日めでたく退院。
あれだけ体の肉を抉られる怪我をしたのに薬のおかげで今は傷ひとつない。全快といっていいだろう。
なんて驕っていると。
「わかってるんです? アナタめちゃくちゃ運が良かっただけなんですよ」
「はい」
エルフ族の女医、エルシャ先生に怒られていた。
怪我を見てくれた先生なのだが、目がめちゃくちゃ怖い。どこまでも落ちていきそうな虚空の目で怒られている。
ぱっと見は青髪の、小柄で可愛らしい先生といった印象なのだが瞳の深さが怖すぎるのだ。言うことをどうやっても聞かなければならない気にさせられる。
「まずひとつ、衣服とアナタ自身にかけられた防御の付与魔法です。無ければ手足どころか胴体が吹き飛んでいましたですよ」
「ひぇ」
怖! よくもまぁ生きてたな。
防御の付与魔法をかけられてもなおそれなりに深手だったのに。
あれだけの付与魔法をかけられるランさんが居たから良かったものの、居なければ四肢爆散していたのか。命の恩人だ。
「それと、矢から毒が検出されましたです。適切な処置がされていなければどちらにせよ手足は腐り落ちていたですね」
「ひぇ」
怖!! よく傷ひとつ残らず無事だったな。
矢本体に塗った毒の効果を実体化魔法にまで拡散させていたのだろう。そこまで出来る人間が密猟者なんて世も末だ。
「適切な処置?」
「トラネコがアナタの毒が付着した創傷を舐めとったおかげで傷跡も残らなかったです。ちなみにトラネコは強い毒耐性があるですよ」
畜生の優しい思いやりによる拷問を受けていたと思ったんだけどちゃんと理由があったんだ……いや、本当に畜生とか毛玉とか思ってごめんなさい。
こっちもこっちでとんでももない命の恩魔獣だった。トラネコは解毒薬の材料にもなるのだとか。
それでいてヴェスト・タイガースの優勝需要でトラネコの価値が吊り上がり各地で乱獲が起きているらしい。国の保護魔獣なので密猟は重罪だというのに。
「というわけで、アナタも適切な処置をするです。これ、二日分の飲み薬です」
「塗り薬じゃないんですね」
「免疫を高め、自己治癒能力を上げる為のものです」
外傷は既に治っているし、あとは内側の問題ということか。
貰った飲み薬を鞄に入れる。他の病院では診断書を持って提携している薬師の元へ行かなければいけないのだが、エルシャ先生は自分で薬の調合すら出来るようだ。
このポーション、別段不調はないし今後の為にも冷蔵庫で保管したら駄目かな。
「次に怪我した際に使おうと思わないことです。この薬は今のアナタに合わせて調合したものですよ」
「……はい」
怖!!! 内心を見透かされている。
エルシャ先生の疑うような瞳に怯えながら病院を出た。
「……あ」
「にゃーあ」
病院から出てすぐ、トラネコが待ち構えていた。近くを通りがかった子どもが「トライガーみたいな猫ちゃん」なんて言ってるけどヴェスト・タイガースのトライガーの元ネタだし本家だ。
これって付いてきたってことだよね。困ったな。
「うちに来ますか」
「みぃ」
言葉が通じているのか通じていないのか。尻尾を立てて擦り寄ってくる。
猫を拾うのと魔獣を拾うのとでは全く違う。届け出を然るべき所に提出しなければならない。
世の調教士たちも魔獣や魔物を捕まえて終わりではないのだ。その後には細々とした書類提出が待っている。
書類作成してくれる近所の魔獣医を探さないと。
「当院に入れる訳にはいきませんが餌は渡していたです。餌に薬品を入れたので雑菌や寄生虫の類は処理出来ているはずですよ」
「先生!」
トラネコを前に悩んでいるとエルシャ先生が隣に来ていた。
「一応、診断書は書いたです」
「ありがとうございます。エルシャ先生って魔獣も診られるんですか」
「生き物ならだいたい診られるですよ」
渡しそびれたと追いかけてくれたのだ。それにしても生き物全般診察出来るなんてエルシャ先生凄いな。用意周到というか。
トラネコの診断書を受け取ると確かに色々と情報が書き込まれている。これなら環境庁に提出しても認められるだろう。
「この子、雌なんですね」
「はいです。それとトラネコはある程度育つまで家族単位で暮らすです。この子はちょうど独り立ち直前ぐらいですね」
従属させた魔獣を街中で連れ歩くには許可がいる。危ない寄生虫なんていたらちょっとした騒ぎになるし。
中には召喚魔法で呼び出す方式によって書類作成をしていない調教士も居るらしいけど、その場合は召喚士とも呼ばれる。
「なるほど。私と一緒だと狩りに行かずとも餌が貰えるとでも思ったんですかね」
「その可能性はあるです」
みー! みー! と強く鳴き始めたが一体どうしたんだろう。
餌目当てなんて会話を聞かれたのだろうか。流石に人間の言葉を理解していない……よね?
魔獣は魔法を使えない獣よりも知能が高い。長く人と暮らしていると人語も理解できるらしいけど、この子はつい先日まで野性だったしまさか、ね。
「連れ歩き許可証を発行してもらうだけになりそうですが、今日中に役所を回ろうと思います」
「環境庁に提出したらそのまま保護魔獣飼育許可証も貰えるです」
「そうなんですか。役所を梯子しないといけないと思っていました」
街中の連れ歩き許可証に飼育許可証、そして特殊な個体もそれぞれ対応する許可証が必要でとにかく面倒なのだ。
冒険者は調教士を目指すなら同時に法も学ばなければならないので志望者は少ない。
これも法が整っていなかった頃に従属させていた魔物が暴れて数多の被害者が発生したり、とにかくいろいろとあったらしい。事件の前例が増える度に提出書類の数も増えていったのだ。
「名前は……まぁ、後で考えましょう。抱き上げてもいいですか」
「みゃあ」
手を伸ばすと大人しく腕の中に収まった。街中で許可のない魔獣を放しておけない苦肉の策だったのだが。
このトラネコは人語を理解できているのでは? なんて疑念を胸に私は役所へと向かった。