8.5.歴史記念館後編
「兄ちゃん兄ちゃん」
と、肩を叩いて軽い口調で聞く男が声をかけてくる。黒い帽子に銀縁眼鏡、無精髭を生やした年相応の男。
「はい」
「聞く耳立てるつもりはなかったんだけどな。聞こえてしまったもんでな」
「気を悪くしてないですよ」
「昔村長を恨んだ農民があらゆる呪いを掛けたって話、知ってるか?」
今度は予想だにしない話が舞い込んでくる。
「いえ」
「俺な、その伝説の書物ってやつを探してんだよ」
「あそこにはないんですか?」
丁度、浅霧が立っているところに視線を送った。
「姉ちゃんがずっと立ってるだろ? 読もうにも読めんよ」
「はあ」
「で、藁人形やら蠱毒やら、そういった呪いの類をやってたそうなんだ。だが、それが全く実らなかった。だから実力行使でこの村で事件が起きたんだよ」
「それが、村長の殺害?」
「そうそう。それから、村長の呪いだ。相当理不尽に感じてたらしいぞ。自分たちが掛けた呪いが実らず、村長の呪いは本当だったらしいんだ」
「まさか、そんな馬鹿な」
「実際に見たって話だ。ゾンビをな。それから、三十年に一度の儀式が始まるきっかけとなった。
ここからが面白いんだけどな。そんな時、死んだ人間を生き返らす黒魔術の本を、心を病んだ母親がどっかか仕入れてきたって話があるんだけどさ、知ってるか?」
「全然。そういうの信じてるんですか?」
「なに。信じる信じないじゃないんだよ。立派な呪物じゃないか」
「呪物?」
「そうそう。俺は高郷広明って言うんだけど、呪物を集めててさ。そいつを貰えないかと探しに来たわけ。まぁ、貰えないにしてもさ、人目で良いからお目にかかりたくて」
(そんな趣味の人もいるんだなぁ)
しかし、そうは言っても非常に興味深いものではある。
「どんな代物なんです?」
「どうも依代となる人間を一人、まぁこの村で言うなら、死んだ子どもと同年齢の子どもだな。そいつを一人使って、死んだ人間を憑依させるって感じなんだ。当然、元いた人格は完全に殺される。で、その後、それを下ろすために人間一人分の血が必要らしいんだ」
「一人分って、結構多いじゃないですか」
「まぁな。成人となれば約五リットルくらいだろ? 体重によりけりだけど、まぁ結構な量が必要になる。今回は赤ん坊だろうから、そこまで多くはないんだろうけど。
それを元にして、本人の骨や髪の毛、遺伝子がわかるものを元にして冥界から連れ戻す。そして、五合星にいる対象に卸すって形なんだ。
けど、これがな。生半可なことではなくて、完全に定着するのに一晩かかるらしいんだ。それに、他の人には誰にも見られてはならない」
「っていうことは、叫んでも気づかれないようにしなければならないってことですか?」
「そう。完全に外から遮断された、そうだな。地下施設とでも言えばいいか、そこに監禁しなきゃならない。
当然、その人間に死なれちゃいけない。舌噛まれたりしたら、たとえ憑依したところで生き返るわけじゃないからな」
「でも、黒魔術なんでしょ?」
「そう。代償もある。生贄に使われた血の持ち主を、間接的にも殺すことになる。な? ゾクゾクするだろ?」
「ま、まぁ」
「こんなもの相当だろ? 一体何人が食われたり、翻弄されたと思う? 生き返らせたいやつなんて、生きていれば一人くらいはいるもんだろ?」
そんな時、まだ死んだわけでないが、早海の顔が頭に浮かんだ。たとえそれが非現実的であったとしても、藁にも縋る思いでそんなものを利用してしまうかもしれない。心身が参っている人を利用しようとする者は、この世にたくさんいる。
「ま、見つけたら教えてくれよ。紅楽で泊まってるからよ」
「何号室ですか?」
「三号室。君は?」
「九号室です」
「じゃあ、よろしく」
そう言って、高郷は歴史記念館を去っていく。残されたのは浅霧と帆野。今、従業員と思われる人が一人館内を掃除しているが、隣の些細な会話でさえ聞き取れるほどの静寂。ヒソヒソと喋っていても、喋っているということだけは把握できる。
浅霧は未だ、例の書物の前にいる。そちらへと向かって隣に立った。
「なにかわかりました?」
「うーん、まぁたいしたことは書いてませんでした。結構、歴史あるみたいです」
「いろいろと聞けましたよ」
「そうなんですね。後で聞かせてください」
その時だった。衝撃音に似たなにが、遠くの方で轟く。それは雷のようではなく、なにかが爆発したような、そんな音。
「なんだ?」
反射的に声が漏れてしまう。
「結構大きな音でしたね」
その音の正体を探るべく、歴史記念館を後にした。




