9.私と共に歩く人
最終話です。ご覧いただきありがとうございます。
(ふぅ……疲れましたわ)
メイリーアンは一人廊下を歩いていた。
あの後、控え室にて帝家の女官に体を検分され、記録が取られた。同時に簡単な確認と質問が行われたものの、詳細な聞き取りは後日とのことになったのだ。忌まわしいブレスレットは太子妃の力で外してもらえたため、これからはもう自由に話すことができる。
宴の会場となる広間に向かっていると、外に面した回廊の柱の影から何やら声が聞こえた。
(誰かいるのですかしら)
そっと覗くと、皇国の太子と太子妃が佇んでいる。二人の前には桃色の小鳥がばさばさと羽を動かしており、何やら喋っていた。
『……ってことでこっちは大丈夫だから心配しないで。あーやっと冬烈と夏爽に会えて嬉しい!』
「もし……?」
遠慮がちに話しかけると、小鳥が黙り、太子と太子妃が振り向いた。驚いた様子はないので、メイリーアンの接近を察知していたのだろうか。
「申し訳ございません、声が聞こえたもので。お取り込み中でしたか」
「構いませんわ。ちょうど終わったところです」
太子妃がにこやかに答える。小鳥はさっとその肩に乗った。
(言葉を話すならば、どなたかの使役なのでしょうか。自律して会話が可能なタイプか、主の意識を憑依させられるタイプか……太子妃殿下がお連れなのだから神獣かもしれませんわ)
光を放ちながら風を巻き起こしていた時点でただの鳥ではないと思っていたが。
「太子妃殿下、先ほどはありがとうございました」
意識を鳥から切り替え、メイリーアンは頭を下げて礼を言う。皇国の太子妃も身体検査に立ち会ってくれたのだ。常に柔らかな笑みを浮かべ、確認のために痣や傷に触れて来る手は配慮の気配を帯びていた。
太子妃の漆黒の瞳がこちらに据えられ、穏やかな声がかけられる。
「メイリーアン・イステンド殿。こちらは会場への道です。検査が終われば自室に戻るよう伝えたでしょう」
「ですが、片付けや誘導を手伝えないかと思いまして……」
「その誠意は良きことと思いますが、あなたが出て行けば様々な意味で注目を浴びてしまいますよ。それはフューイ大公子の本意ではないのではありませんか」
「あ……」
話こそフューイが中心で進めていたものの、今日の騒動の焦点となったのはメイリーアンだ。
皇国の太子が一歩進み出る。その双眸に鮮烈に閃く、絶大なまでの意思の力。まるで、大嵐が建造物を根こそぎなぎ倒した後でも凜と立ち続けている、一本の樹木のようだった。どれだけ大きな荒波に呑まれても、決して溺れない――何ものにも折ることの敵わぬ凄絶な自我が、美しい黒瞳の中で輝いている。
「我が妃より、かなり酷い傷も幾つかあったと聞いている。難儀な思いをしていたのだな。今宵は部屋に戻り、ゆるりと休むのが良いであろう」
玉を振るように澄んだ声が紡がれる。好戦的で苛烈な者が多い帝家を宥められる唯一の存在が、皇家の者だと言われている。
「はい、太子殿下……そうさせていただきますわ」
反論する材料もなく、メイリーアンは頷いた。そこでふと思い出す。
「そうですわ。太子殿下ならびに太子妃殿下におかれましては、御子様のご誕生おめでとうございます。双子であったとお聞きしております」
ざぁと風が吹き抜け、太子と太子妃の長髪を揺らした。この二人にとって第三子、第四子となる双子の姉妹が誕生したのはつい先日のことだ。太子妃は柔らかな表情を微塵も崩さない。太子が無表情で淡々と言う。
「ありがとう。……私たちも間もなく皇国に帰る。今日は世話になったな。メイリーアン嬢、そなたも部屋へ戻るがいい」
「はい」
それからはもうこちらを見ることはなく、太子と太子妃は身を翻して去って行った。ラウと帝国の太子妃サテアーネが二人を出迎えているのが遠目に見える。
(お二人とも、何だかお元気がないご様子でした。今日は色々ありましたもの、お疲れでいらしたのかしら)
「メイリーアン!」
立ち尽くしていると、会場の扉が開き、フューイが駆け寄って来た。
「検査は終わったのか。ん? どうしたんだ、浮かない顔をして」
「いいえ、何でもありませんわ。今こちらで皇国の殿下方とお会いしたのですけれど、粗相をしていなかったか心配で」
幼少期から15歳になるまで、お前こそが最上だと言われ持ち上げられ続けて来たメイリーアンは、自分よりも目上の者への対応がよく分からない。作法は守っているつもりだが、どこかで礼を失していないか気にしてしまう。
「そういうことも含めて、これから一つ一つ学んで行こう。私もお前も、互いに支え合い教え合っていける。二人でならきっと大丈夫だ」
「はい、フューイ様」
メイリーアンはフューイに手を引かれ、太子たちとは反対の方向へと進み出す。向かう先には、もう父もモンザート侯爵もラウたちもいない。自分と共にこの先を歩んで行くのはフューイだ。
「あの、一つお願いがあるのです」
「何だ?」
「私のことはリーアと呼んで下さいませんか」
メイリーアンのフルネームの一部である『リーア』は、限られたものにしか呼ぶことができない特別なものだ。
フューイが瞠目し、花が咲いたように笑った。
「喜んで、リーア」
繋いだ手にそっと力が込められる。メイリーアンもおずおずとそれを握り返した。
自分の人生は、ここからようやく始まるのだと思った。
◆◆◆
その後の調査の中で、ジェレクとアラン、ユミーシェルはメイリーアンへの暴言と暴行を認めた。
ジェレクは人家を巻き込む起爆霊具を街中に設置した罪も加わり、イステンド大公家からの絶縁と貴族籍剥奪の上、一般の犯罪者と共に鉱山での重労働につかされることになった。本人は、神の加護を得ている自分は死後天界に昇ることができるため、人としての生を終えるまでの辛抱だと思っているらしい。
だが実際のところ、ジェレクに寵を与えているのは悪神と呼ばれる負の神だ。穢れた心を持つ者は穢れを好む神に愛される。清らかな神を装ってジェレクに接しているため、彼はその事実に気付いていない。死した後は天に昇ることはできるだろうが、その悪神の眷属神とされてたっぷりと可愛がられるだろう。それはもう、悪神に相応しいおぞましい方法で。
暴行の主犯であったアランは貴族用の更生施設に入れられ、付属する工場で働きながら、厳格な教官たちによる再教育を受けている。大公家や貴族籍から追われたわけではないため、今後の反省の程度によっては贖罪を終えた後に分家を立てることも許される。
なお、彼の守護神も悪神であるため、更正しなければ死後は絶望的となる。
ジェレクにしろアランにしろ、きっぱりと改悛して魂が清らかになれば悪神は加護を与えなくなり、代わりに清廉な神々が目をかけてくれるようになるため、今後の心持ち次第でまだ望みはある。
だが、今のところジェレクもアランも反省の色は見られていない。
家族の中では最も罪が軽かったジェレクの妻ユミーシェルは、アランよりも数段階軽い施設に送られ、専門の指導を受けながら自省と奉仕活動に従事している。
イステンド家の使用人たちも、各々の行いに応じて解雇や罰金、投獄、今後一定期間は特定の職に従事できないなどの制裁を課された。
また、モンザート侯爵はメイリーアンの利用に加え、賄賂の受け取りや不正帳簿が明らかになり、平民に落とされて労働施設でこき使われている。彼も神の声を聞く力を持つため、死後は天に招かれ神の使いとなる栄誉に浴する。だが、ほぼ確実に悪神付きの神使にされ、大いなる生き地獄を味わうことになるだろう。
そしてメイリーアンは、過去に行っていた他者への振る舞いに問題はあったものの、家庭環境が大きな要因となっていたこと、当時は未成年であったこと、既に心を改めて善行を積もうとしていたことなどから、施設への入所は免除され、新イステンド大公フューイを精力的に支えるという条件の下で直ちの婚姻が許された。
メイリーアンがひっそりと手助けして来た者たち、あるいはその場面を目撃していた者たちが彼女への認識を修正し、酌量を望む声が上がったことも影響している。
大公夫人となったメイリーアンは、夫フューイと共に自身の性格を矯正しながら、更正施設から派遣される専任の指導教官の下で一から学び直し、健全な愛し方と愛され方を学んでいった。また、かつて横柄な振る舞いで傷付けた人々には誠意を以て謝罪を繰り返し、心を込めた手紙や贈り物、寄付などを届け、様々な慈善活動、奉仕活動を行い、精一杯の償いを行った。
それに呼応するように、ゆっくりと、しかし確実に彼女に対する評は回復していき、周囲の目も好意的なものになっていった。
そしてメイリーアンの心は、徐々に四大高位神が愛した本来の美しさを取り戻していき、それに伴うように、魂の奥に澱んでいた邪悪な穢れは消失した。
そして彼女は夫と協力しつつイステンド大公家の信頼回復に奔走し、一男二女に恵まれ、成長した我が子に次代の大公位を継承するという役目を果たして生涯を終える。その果てに昇った天界で、やはり悪神に愛されていた父が悲惨な状況に――それこそ地獄に落ちた方がましだという苦境に陥っていることを知ったが、もはや心が動くことはなかった。
彼女はそのまま、同時期に昇天した夫と、後に昇ってきた子どもたちと共に、神の園で静かに暮らしたという。
拙い作品だったと思いますが、最後までお読みいただき本当にありがとうございました。




