7.胸の奥で灯る熱
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ラスト3話です。
「太子殿下、どうか本件に関し厳正な取り調べをお願い申し上げます」
ラウが感情の読めない双眸でフューイとジェレク、アラン、ユミーシェル、そしてメイリーアンを順に見た。かつては優しげな気配を湛えて自分を見つめていた淡い碧眼に、もう好意の色はない。そのことを再確認させられたメイリーアンは、ドレスの裾をぎゅっと握りしめた。
「そなたの話は分かった。だが、あくまで一方的な主張だ。そなたの思い違い、あるいは認識の齟齬などもあるやもしれぬゆえ、イステンド大公及び大公子アラン、大公夫人の言い分も聞かねばならぬであろう」
淡々と言ったラウは、つと眼差しを鋭くした。
「とはいえ、仮定の話としてそなたの言が真であるとすれば、非常に大きな問題だ。民の規範となるべき大公家の者たちが生贄役の一人を虐げ、義憤に駆られて抗議した者の口を封じるために、危険な霊具で人家を盾に脅迫していたことになる」
空の青を透かして輝く水晶のような瞳が、真実を見通すようにジェレクに向かって注がれる。
「こたびの件は帝家が調べよう。帝国最高位の貴族たる大公家に関する件であり、大公子が神器を己が身に取り込んでまで告発した。さらにその内容が民を巻き込むものとなれば、帝家が動かねばならぬ」
座している席の肘置きをとんと軽く叩き、泰然とした声音が放たれた。会場にいる皆が静まり返ってその声に聞き入っている。
「イステンド大公にもこの場にて発言の機会を与えよう。冤罪であればそれもまた由々しきこと。ただ今の告発に異論があれば申してみよ」
ただし、と、ラウの形良い唇が容赦ない言葉を紡ぎ出して行く。
「ただし、そなたらの主張のいかんに関わらず調査は行う。我が力を用いれば、イステンド邸内の様子を過去視で確認することもできる。自白の力で家人や使用人に強制的に真実を語らせることも、心を読むこともできる。また、イステンドの別邸も調べ、起爆霊具の有無や痕跡等についても確認を取る」
ラウの力は比類なきものだ。過去視を弾く結界が張ってあろうが問題なく貫通して真実を見通すことができる。
「ごまかせると考えてはならぬ。メイリーアン嬢が装着していたブレスレットの件に関してもだ。帝家の力の前では結界も抵抗も隠蔽も通用しない。少しでも嘘を吐いていれば分かるゆえ、偽りは無意味である。さて、それを踏まえた上で異論があるならばこの場で申すのだ」
とん、と再度肘置きが叩かれると、ジェレクの金縛りが解けた。浅く呼吸したジェレクは、青白い顔で視線をあちこちに動かし、口を小さく開閉させながら何かを言おうとするが――結局それは言葉にならぬまま項垂れ、がっくりとその場に膝を付いた。
「反論せぬのか。図星ゆえにできぬのか、それとも急な冤罪で言葉が出て来ないだけか……調べればすぐに分かることだ。最も、その様子を見ればどちらであるかは予想できるがな」
宴に参加していた皆が、じりじりとジェレクから距離を取る。アランとユミーシェルからもだ。ユミーシェルは半泣きの顔で、「違う、違うの、ちょっとした冗談のつもりで」と呟いているが、誰にも相手にされていない。
メイリーアンもまた、足元から崩れ落ちそうな安堵を抱えて必死に立っていた。
(帝家が動いて下さるなら言い逃れはできませんわ。真実が明るみに出る。――では、私は助かるの? あの地獄が終わるの? 一生逃げられないと思っていた地獄が……)
まだ信じられない。少しでも力を抜けば、このまま脱力してへたり込んでしまうかもしれない。だが、ふと暖かな何かが体に触れたのを感じて目を向けると、フューイがそっと支えてくれていた。
「私がこの場でやるべきことは一つでした。メイリーアンが受けて来た仕打ちを広く公表し、アランの婚約者から解放すること」
すらりとした人差し指が立てられる。メイリーアンを救い出すために、フューイはリスクを覚悟して神器を取り込んでくれたのだ。
「宴が始まると、私はアランを物陰に呼び出し、皆の前で婚約破棄を宣言して彼女を自由にしてくれるよう頼みました」
そこまで話したフューイは、メイリーアンにだけ聞こえるようにこっそりと、「相手に瑕疵がないにも関わらず一方的に破棄した場合、破棄した側の有責とすることができるからな」と付け足してから、声量を戻して続ける。
「さて、すると愚弟は何と言ったと思いますか」
にっこりとつり上がった唇とは裏腹に、瞳の奥には微塵も笑みがない。
『あんな使い勝手のいいサンドバッグを手放したくない。そうだ、正妻になるという婚約を破棄する代わりに、愛人契約を結んでもっとこき使えばいいのか!』
笑顔の形に整えられた顔で放たれた言葉と共に、寒気を感じるような気迫が迸った。アランがカタカタと膝を震わせ、周囲の人々は二の腕を抑える。
「そうして私の依頼は断られてしまったのですが、その後の愚弟は何故だか不幸続きでして。顔面から床にすっころぶ、壁の突起に目をぶつける、上から水の入った花瓶が落ちて来る、他にも多数……運の悪いことが続くと考えが変わったようで、こころよく私の願いに応じてくれました。……最初から素直になっていればいものを」
最後は周りには届かないくらいの小声だった。アランに続いた事故は、十中八九フューイが力を使ったのだろう。だが、あくまでフューイはお願いをしただけであり、応じたのはアラン自身の判断と決定によるものであったという体を崩さない。
顔中を腫らし濡れねずみになっていたアランを思い出して遠い目になるメイリーアンだが、自分はあれよりも遥かに酷い目に遭っているので、気の毒には思わない。
「だが、慈悲深いメイリーアンはアランの言葉に同意することで、婚約を一方的な破棄ではなく両者の合意による解消にした。後者の方がアランの責めは軽減される。彼女は非常に寛大だ」
(いえ、そんなつもりは全く……ただ流されるままに事が進んだだけで)
内心の本音を口に出せるはずもないメイリーアンの前で、フューイは床に崩れ落ちたまま動かぬジェレクと、色を失っているアランを交互に見遣る。瑠璃の双眸が寸の間だけ翳った。肉親へ残した最後の情を表すように。
「……私が今後やるべきことは、父上の罪状が確定次第、速やかに大公位を継いで新たな当主となること。一連の件の始末を付け、泥にまみれた家門を清算するために。その後は別の者に当主の地位を譲り、イステンド家の籍から抜ける」
メイリーアンへの暴行もさることながら、街中に起爆霊具を大量に仕掛けたとなればジェレクの地位剥奪は免れない。
「そして、メイリーアン。全てを清算した暁には、改めて私と婚約して欲しい」
「清算した後に婚約するということですの……?」
「ああ。被害者であるお前をこれ以上我が家の揉め事に巻き込みたくはない。私が大公になれば、その権限でお前の婚約解消を完了させ、イステンド家から除籍して自由にする。むろん、生活に不自由しないよう援助は行う」
イステンド家から出されても、メイリーアンはもう生家たるノルギアス家には戻れない。その結果平民になることになったとしても、十分に暮らしていけるよう保障するという。
「私が当主を降りた後、正式に婚約を申し込む。数年かかるかもしれないが、それまで待っていてくれないか。むろん、嫌であれば断ってくれて構わない。その場合でも援助は打ち切らないから安心していい」
メイリーアンは現在18歳だ。さらに数年経てば、行き遅れと言ってもいい年齢になっているだろう。それを憂慮しているのか、フューイの眼差しには申し訳なさそうな色が滲んでいた。
「お前からすれば、イステンド家の男である私など顔も見たくないかもしれないが……」
目を伏せて寂しそうに呟く姿を見た瞬間、メイリーアンの胸の奥でゆらりと熱が揺らめいた。いつの間にか自分でも気が付かない内に育んでいた――かつての婚約者ラウに感じていた淡い想いに通じる、しかしそれよりもずっと強く大きな熱さ。
「そんなことはありませんわ。……数年待たなくてはなりませんの?」
瑠璃の瞳が瞬いた。メイリーアンはそれを正面から見返す。
「アラン様との婚約を解消した後、すぐにフューイ様と再婚約するのでは駄目でしょうか」
「それは……そうすればお前をイステンド家の清算作業に巻き込んでしまう。お前はこれ以上辛い思いをしなくてもいい」
「いいえ、私はあなたを支えたく思います。あなたと一緒に今後起こる様々なことを背負って行きたいのです」
味方がいなかった邸内で、フューイの存在にどれだけ励まされ、心救われていたか。もしも自分の婚約者がアランではなくこの人であったなら、とありもしない幻想を抱き、叶わぬ夢だと諦めて来た。その夢が現実になろうとしている。
「私はあなたのお顔ならば一日中でも見ていられますわ」
「メイリーアン……」
瞠目したフューイと見つめ合った時、アランが掠れ声を上げた。
「ま、待て、大公位を継ぐがすぐに譲るだと? じゃあ誰がその後釜になるんだ。分家から引っ張って来るのか? 年齢と実力を考えれば兄上と俺以外に適当な奴なんかいないだろう。……あ、分かった。俺が大公になるんだな!」
お前だけは絶対にない。
この場にいる皆が――茫然自失状態になっていたジェレクと、上座で悠然としている主家の面々すらも含めた全員が――心を揃えてそう思った。
(アラン様……あなた、今暴行容疑で告発されているのですわよ。お分かりではありませんの?)
起爆霊具の話題でジェレクの悪業に焦点が当てられたものの、メイリーアンに対する暴行の主犯はあくまでこのアランである。
「お前は馬鹿か。いや、大馬鹿だな。お前に大公の責が務まるはずがない。外面だけは気前よく、その実は自分より弱い者を見下し力でねじ伏せるような粗暴者が」
羽虫でも見るような目で両断されたアランが、さっと顔に朱を走らせた。
「だ、だが……後任がいないのは事実だろう! 本当に責任を持つならば後進に譲るのではなく、自分が最後まで当主として義務を遂行するはず。いくら綺麗にしたとて、これからのイステンドを待つのは茨の道だ。それを他の奴に押し付けることは薄情だ!」
「……」
フューイが笑顔を崩さないままで黙り込む。個々の考え方にもよることなので一概には判断できないが、アランの言い分も一理はあった。
「兄上は結局、その女が欲しいだけだ。だが、兄上とてイステンド家の者だ。散々その女を虐げていた家の一員なんだよ。それが原因で疎まれるのが嫌で籍を抜きたいんだろう。だから殊勝に、清算して地位を降りると言っているんだ! この卑怯者が!」
「――イステンド大公子アラン。今の言葉は自白と受け取ってもいいのか」
温度のない声で言葉を挟んだのはラウだった。予想外のことだったのだろう、アランがぎょっと凍り付く。
「た、太子殿下……え、自白?」
「散々その女を虐げていた、と自分で申したであろう。この場にいる全員が聞いたぞ」
「……あっ……」
「そなたは、メイリーアン嬢に対し理不尽な扱いをしているという自覚があった。つまり故意であったということか」
「え、いえ、その」
赤から青に顔色を変えて口を押さえたアランを、ジェレクが射殺しそうな目で睨んでいる。ユミーシェルは今にも気絶してしまいそうだ。
(馬鹿ですわ、この方……)
奇跡の力に目覚めた者は知能が向上するが、思慮深さや性格まで変わるわけではない。普段から口軽く浅慮な言動を繰り返す者は、このようにして迂闊に口を滑らせることもある。
必死で言い訳を考えているのか、碧眼を小刻みに揺らしているアランを尻目に、メイリーアンはフューイに向き直った。勝手に口を滑らせて自滅した元婚約者に未練などあるはずがない。
「フューイ様、正直に仰って下さいまし。あなたが当主を降りたとして、後任の当てはあるのですか? 清算が終了したとしても、家門の信頼と名誉の回復には時間がかかります。その荒波を引き受けて下さる志高き方で、かつ大公に相応しい実力と資質を持つ方はいらっしゃるのでしょうか」
ありがとうございました。




