2.いびつな教育
ご覧いただきありがとうございます。
◆◆◆
(私はミレニアム帝国随一の名家、ノルギアス大公家の一人娘として生まれました)
西の帝国と東の皇国が統治するこの世界は、神々への信仰が強く、時折神の声を聞き様々な奇跡を起こす力を持つ者が生まれる。
そのような者たちは神官として帝城あるいは皇宮に迎え入れられ、自身の力を活用して神に仕え国に寄与する。
帝家や高位貴族には力を持って生まれる者が多く、力の有無と強弱で容赦なく序列が決められる。
そして力を持つ者の中でも、いずれかの神に気に入られ加護を受けた者は特別だ。天寵の証として自身も神格を賜わり、神の列に連なることを許され、聖なる存在として崇められる。
(私は7歳の時に力に目覚め、最高神たる四大高位神の寵を受け奇跡の御子の称号を手にしました)
神の声を聞く者は、大体は一桁の年齢か遅くとも十代前半までには力に目覚める。また、力の覚醒と同時に頭脳が急激に発達し、大人と対等以上の会話をすることが可能になる。
(けれど、周囲に歪んだ大人しかいなければ思考や価値観はおかしくなっていきます)
メイリーアンが覚醒すると、ノルギアス家の当時の大公であった父は別人のように優しくなった。
今までの養育は全て使用人に任せきりで、会いに行っても最低限の対応しかしてくれなかったが、娘が奇跡の御子となった後は甲斐甲斐しく世話を焼き、目をかけてくれるようになった。
(ずっと無関心だったお父様に優しく微笑みかけられて、大きな手で撫でられて、触れ合う時間が取れて……私はとても嬉しかった)
そのような中、メイリーアンは父と近くの森に散策に出かけた。穏やかな陽光が降り注ぐ中をのんびりと歩いていると、突然狼の群れが現れて自分たちを取り囲み、襲いかかって来た。
神の加護を受けたばかりであり、力の使い方もまだ分からなかったメイリーアンは、一気にパニックになってしまった。護衛たちは転移霊具で一目散に逃げ出し、父だけが必死で狼と戦って退けてくれた。
『リーア、すまない……怖い思いをさせてしまった』
狼たちが逃げ去った後、泣きじゃくるメイリーアンを、父は壊れ物でも扱うかのように抱きしめてくれた。
当然ながら散策はお開きとなり、大公邸の自室でメイリーアンが休んでいると、やって来た父は沈痛な面持ちで告げた。
『森での件はお前を狙った陰謀だった』
父の右腕は分厚い包帯を巻かれて吊られていた。狼と戦った時に負傷してしまったのだ。
『四大高位神全柱に愛されるお前を脅威に思う勢力が、今の内に亡き者にしてしまおうとした。召喚霊具で凶暴な狼の群れを喚び込んだようだ。一般に流通している霊具は、危険なものは喚び出せないよう制限がかかっているが……違法に改造したのだろう』
霊具と呼ばれる特殊な道具を用いれば、ただ人であっても神官と同じような奇跡を起こすことができる。
『逃げ出した護衛は、私たちを置いて離脱するよう暗示をかけられていた。それに、あの時私もお前を連れて転移しようとしたが、できなかった。転移を邪魔する霊具が私とお前の服に仕込まれていたのだ。おそらく敵の勢力が近くまで食い込んでいる』
多少難しい言い回しをされても、力に覚醒し知能が向上したメイリーアンには理解できる。
(何と恐ろしいことかと、私は幼心に震え上がりました)
森での恐怖が蘇り、身を縮めて涙を流すメイリーアンを、父は左腕で力一杯抱えてくれた。
『いいかリーア、簡単に人を信用してはいけない。この邸の使用人でも、友人でも、容易く心を開いてはならない。もしかしたらそいつが敵かスパイかもしれない』
『お父様、怖いです……』
『大丈夫だ、父様が守ってやる。お前には遠く及ばないが、私とて神の加護を受けている。私はお前の母と約束したのだ、愛しいお前を守ると』
母はメイリーアンを産み落とした後、産後の肥立ちが悪くそのまま亡くなった。治癒霊具を駆使し、医師を兼ねた神官も呼んで対処に当たったものの、甲斐無く逝去してしまったそうだ。
『母様がいない今、お前の味方は父様だけだ。父様と、父様がいいと言った人以外は信じてはいけない。それに、気弱な態度を見せて侮られることも良くない。いつでも堂々と強く在れる術を教えてあげよう。父様の言う通りにするんだ』
『分かりましたわ、お父様』
――落ち着いて考えてみれば、父の言動には違和感があった。
神の寵を受ける父は強大な力を持つ。彼の掌握下にある大公邸で、護衛複数人への洗脳や服への細工など可能なのか。霊具程度でその力を邪魔できるのか。狼ごとき、怪我など負わず瞬時に撃退できるはずではないのか。何故自分の力で怪我を治癒せず、見せつけるように包帯を巻いたままにしていたのか。
だが、思いもよらぬ出来事により焦燥していたメイリーアンはそれらの疑問を頭の片隅に追いやり、父の言葉を丸ごと信じた。
(あの時の私には、父がヒーローに見えていました。裏切り者の護衛たちが逃げ出した中、一人命賭けで狼と戦い、怪我を負いながらも私を守り抜き、抱きしめてくれた人。誰が敵か分からない中で信じられる唯一の味方。そう思ったのです)
そもそも、元々の父は自分に関心がなく、四大高位神の寵を得た途端に態度を急変させたのだという事実は、メイリーアンの中ですっかり霞んでしまった。
そしてこの日から、メイリーアンは父を絶対的に信じ、その言葉通りに動く傀儡となった。
『下の者には常に厳しく毅然と接するのだ。お前は崇高なる奇跡の御子。下位の者がお前を不快にさせればそれを叱責し、二度と間違えぬよう罰を与え、下の者はその慈悲を有り難く受け入れる。それこそが正しく健全な関係性なのだよ』
『お前は帝家と並ぶ最上の存在である。他者は皆、お前に仕える者なのだ』
『お前がやることは何でも正しい。お前は最高神の愛娘だ。お前が法律、お前が秩序、お前が正義なのだ。お前は常に一番であり、何よりも優先される』
万事がこのような調子であり、父に従う者ばかりが厳選された邸の使用人は口を揃えて『全てご主人様の仰る通りでございます』と繰り返すばかりだった。
(私は周囲の異常さを自覚する機会を与えられないまま、歪み増長していきました)
『リーア、今日はお前の後見になってくれる者を紹介しよう。私の友人であるモンザート侯爵だ。モンザート侯は信用できる。侯の言葉は父様の言葉と思い、よく聞くように』
『どうぞよろしくお願いいたします、メイリーアンお嬢様』
父の忠実な懐刀である侯爵は、父と同様にメイリーアンを徹底的に肯定した。彼はメイリーアンにとって第二の父となった。
また、教育に関しては通学か自宅学習を選択できる。父は当然後者を選び、自分の息がかかった教師たちを用意してメイリーアンを囲い込んだ。
父の意のままになるよう、都合のいい人材に育つよう、歪曲した考えと基準を植え付けられながら育てられる日々。
その教えのまま、茶会や交流会では他家の貴族と子女に対し高圧的に振る舞った。相手に怒号を飛ばし頰を打ち据え、飲み物をかけることなど日常茶飯事。
メイリーアンが10歳になる頃には、高飛車な振る舞いが少しずつ噂になっていったが、父は大公家の権力と奇跡の御子の威光を盾に黙らせた。
噂を聞いた帝家から幾度か確認や注意が入ったものの、それものらりくらりとかわし続けた。主家たる帝家であっても、独立した家の家庭事情には容易に干渉できない。特に子女の教育に関しては各々の家の方針や伝統などもあるのでなおさらだ。
そしてメイリーアンが11歳になる年、転機が訪れる。
自室を訪れた父と侯爵は、分かりやすく肩を落としていた。
『リーア、残念な報らせがある。お前を皇帝陛下の長男の婚約者にすることとなった。神の寵を受けていない、帝家の出来損ないだ』
当代皇帝レイティの長男は、神の声を聞き奇跡を起こす力は得ているものの、加護は得ていない。
一方、最高神の申し子たるメイリーアンはそれに相応しい高い神格を賜っている。地上での生を終えた後は天界に昇り、神々の一柱に加わって永遠の楽園で過ごすのだと聞かされていた。
『尊きお前をあのような駄作にやりたくない。だが、帝家の他の方々には既にお相手がいる。加えて、陛下からもどうかこの通りだと頭を下げて懇願されては断るわけにもいかん。どうか堪えてくれ』
(私はお父様の言葉を信じました。本当はお父様の方から私を売り込み、奇跡の御子という立場を武器に婚約者にねじ込んだなどと、知る由もありませんでした)
帝家に嫁げばメイリーアンは皇帝の義娘になる。その繋がりができるだけでも旨味があると考えたのだ。
父の思惑を知らぬまま嫌々対面した皇帝の長男は、淡い金髪と蒼天に透かした水晶のような碧眼を持ち、帝家独特の絶世の美貌を備えていた。
『あなたのような素敵な方が婚約者になってくれて嬉しい』
はにかむように微笑んだ彼は、この時16歳。帝国も皇国も15で成人扱いとなるため、大人の仲間入りをして1年ほど経つ頃であった。
『君の伴侶として相応しい者になれるよう精進するよ。私のことはラウと呼んで欲しい。どうかよろしく』
そう言って手を伸ばしてくれた長男――ラウを、メイリーアンは酷い言葉で拒絶した。
その後も、何とか歩み寄ろうとしてくれたラウをことごとく突き放し、罵倒し、打擲し、心も体も傷付けた。そうするのが当然であったため、悪気や悪意すらなかった。
奇跡の御子であるメイリーアンは圧倒的な上位者だから、どのような言動をしてもいい。
下位の者は無条件で従い、常にメイリーアンを満足させられるよう研鑽し精進しなければならない。
帝家の者とはいえ、低位の神の加護すら持たぬラウはメイリーアンよりも下の立場である。
ずっとずっと、そのように教えられ続けて来た。
父に、後見たる侯爵に、父が雇った教師たちに。使用人たちもそれを肯定して来た。周囲にいる下位貴族やその子女たちも、大公家と奇跡の御子の力を恐れ面と向かっての反論をしなかった。
ゆえに異常さと間違いに気が付けなかった。
他の価値観など知らなかった。
正しい愛情表現の方法が分からなかった。
(ごめんなさいラウ様。ごめんなさい、ごめんなさい)
いくら謝っても足りない、届かない、詫び切れない。
近付こうとするたびに手酷い対応を受けるラウの瞳からは、次第に笑顔が消え悲しみが降り積もって行った。
(私は……正しい愛を知らなかったのです。健全な愛し方も愛され方も、知らなかった)
ただ一方的に相手を攻撃し、否定するだけの関係が愛であるはずがない。
それでも、ラウは根気強くメイリーアンに歩み寄ろうと努力を続けてくれた。時に褒め、時に諭し、時には意見しながら、間違った在り方を是正しようと苦心していた。
(ラウ様の弟君や皇帝陛下までもが、私の歪みを修正しようと手を差し伸べてくれましたのに――私は全く聞く耳を持たなかったのです)
そうしろと父に言い含められていたからだ。
『帝家とはいえ容易に信用してはならない。決して気を許すな、言葉を聞くな。父様とモンザート侯爵、それに教師たちの教えのみを守るのだ』
メイリーアンは父の言葉を無邪気に信じた。
そして父と侯爵に言われるまま、ラウに幾度も婚約の解消を申し出た。正式な婚約解消の書類も準備し、持って行った。大公家側の印は押してあるため、後は帝家が押印すれば完成する。
だが、ラウは寂しそうな顔でやんわりと解消を断った。
『そうか、断られてしまったか。父様の言った通りだっただろう。ああ、可哀想なリーア。お前は奇跡の御子だ。帝家はお前を手放すわけにはいかないのだよ』
報告を受け、顔を覆って嘆く父のわざとらしさを察せなかった。
父は、帝家が最高神の愛娘たるメイリーアンを捨てられないことを織り込み、わざと印を押した書類を用意していたぶり、優越感に浸っていたのだ。自分たちの前では帝家すらも遠慮し、下手に出て顔色を伺うのだと信じていた。
――実に愚かな父娘だ。
皇帝がメイリーアンを切り捨てなかったのは、他ならぬラウが猶予を懇願してくれていたからであったのに。
『リーア。話がある。大事な話なんだ。少しだけでいいゆえ、時間を取ってくれないか』
婚約して以降、ラウは幾度もそう持ちかけて来た。その度にそれを拒み、冷たい言動で退け続けて来たのはメイリーアン自身。
ラウからの譲歩と妥協、配慮はずっと続くものだと信じて疑わなかった。
ありがとうございました。




