1.信じられる人はいない
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統一暦2999年。
「メ……メ、メーリュイィアーン! お、俺はぁ、お前との婚約を破棄するぅ!」
(何を仰っているのか分かりませんわ)
顔面をぼこぼこに腫らして宣言する青年を眺め、メイリーアンは内心で独りごちた。青年の鮮やかな金髪は無残にほつれ、目元は青黒く染まり、服は何故かびしょ濡れ。散々たる有様だが、仮にも自分の婚約者である男だ。
「ア……アラン様、一体いかがなされましたの? 酷いお姿ですわ。――早く治癒の霊具を用意して下さい」
その言葉を聞いた使用人が、慌ててパーティー会場を飛び出して行く。
広間の天井や壁など至るところに飾られたペナントやタペストリー、飲食物と共にテーブルを彩るパッチワーク。
千織の宴と呼ばれる豪華絢爛な宴は、帝国の最上位貴族だけが開ける特別なものだ。
(どうしましょう、栄えあるイステンド家のパーティーでこのような……)
およそ三千年の歴史を持ち、世界の西半分を統べる帝国・ミレニアム。メイリーアンが所属するのは、帝国貴族の中でも頂点に君臨するイステンド大公家だ。その名家が主催するパーティーで起きた珍事に、周囲の客たちが困惑と好奇を露わにしている。
「そうですわ。アラン様、メーリュイィアーンなるお方はどちらにいらっしゃいますの? コンニャク、とは神千国の食べ物でしたわね。コンニャクを破棄なさるのですか。今日のパーティーにはコンニャク料理はありませんが……」
ミレニアム帝国と並び立つ神千国は、世界の東側を治める皇国だ。
(今日のパーティーには帝国と皇国の太子殿下方もお招きしているのに。これ以上騒ぎを大きくできませんわ)
焦っていると、ざわめきを断ち切って苦笑じみた声が響いた。
「うーん……ダメだな、やり直し!」
人垣をすり抜け、蜂蜜色の髪を持つ青年が現れる。ぱんぱんと手を打ち鳴らす音は、まるで風船が勢いよく割れるかのようだ。
「フューイ様……」
「あ、兄上!」
「メイリーアン、驚かせてごめんな。……お前は本当に使えない」
青年――フューイは瑠璃のごとき青さを持つ瞳で柔らかくメイリーアンに笑いかけ、次いで相貌を氷のように豹変させてアランを睨め付けた。アランが蛇に睨まれた蛙さながらに怯えた顔をする。
「まったく困った愚弟だ。誰が聞いても分かるようにはっきり宣言してくれと頼んだだろう、これ以上兄を困らせないでくれよ」
フューイがパチンと指を鳴らすと、アランの顔から瞬く間に腫れが引いていく。
「特別に治癒してやった。私はお前よりはよほど優秀な神官だからな。――はいもう一度」
「ひぃ……! メ、メイリーアン、俺はお前との婚約を破棄するッ」
「……はい?」
呆然と呟くと、瑠璃色の瞳がきらりと輝いた。
「はいと言ったな。ああ、スムーズに承諾してくれて良かった。やっとお前を自由にしてやれる」
(いえ、今のはいは了承ではなく聞き返したのであって……)
治癒能力のある霊具を持って来た使用人が、割って入るタイミングを逃したらしく、扉の近くで固まっている。
フューイが胸に手を当てて微笑んだ。
「さて、今度は私からお前への申し入れだ。メイリーアン、この件が……いや、これから起こる一連の件が片付いたら、私と婚約してくれないか」
「え……」
周囲の動揺は波のように広がり、上座にいる太子とその妃たちまでがこちらに視線を向けていた。帝国の太子たちは金髪碧眼、皇国の太子たちは黒髪黒目だ。皇国の太子妃は、肩に桃色の小鳥を乗せている。
(ラウ様……)
見知った姿を見付けたメイリーアンの胸がずきりと痛む。そこに、大柄な男性が足音荒く駆け込んで来た。
「何の騒ぎだ、これはどういうことだ!」
「大公閣下だ」
「イステンド家のご当主がいらっしゃった」
あちこちから囁きが漏れる。フューイが冷めた目を向けた。
「おや、これは父上。ようやくのご到着ですか」
「帝室の――帝家の方々がご臨席の場で騒ぎを起こすとは……! 皇家の太子殿下方もいらっしゃるというのに!」
鋭い碧眼が射抜くようにこちらに向けられた。
「メイリーアン、またお前か!」
(違いますわ)
心の中で否定するも、声には出せない。そんなことをすれば、後でどのような目に遭うか。
「父上。あなたは、いえ、あなたたちはいつもそうだ。都合の悪いことは全て彼女に押し付ける」
「何だと!?」
「だが、それも今日までです。本日を持って、メイリーアンはアランの婚約者ではなくなります。たった今、両者が婚約破棄に合意しましたので。この場にいる皆が証人です。合意があるのですから、正しくは解消ですが――どちらにせよ婚約は白紙となります」
「そんなことができるか! 婚約関係を解消するには当主の許可が必要だろうが! 私は許さんぞ!」
「父上の許しは不要。新たに当主となる私が許可を出せばいいだけのことです」
「は? 新たな当主?」
「ええ。父上にはその地位を降りていただきます」
父親の巨躯に怯みもせず、フューイはきっぱりと言い切った。そしてメイリーアンを振り返る。
「すぐに終わらせる。大丈夫だ、私を信じろ。必ずお前を助ける」
シャンデリアに照らされて輝くハニーブロンドを眺め、メイリーアンは唇を噛み締めた。
(信じられませんわ)
幼い頃からの出来事が一気に脳裏を駆け巡る。
(私は誰も信じられない)
それを皮切りに頭の中の日めくりが逆回しに巻き上げられ、遥か昔まで記憶が遡って行った。
ありがとうございました。




