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年相応な自分

 三者面談も終わった頃、学校には再び午後授業が戻り、生徒達の気だるそうな顔を拝む日々が始まった。


 この前の面談が終わってから今日まで、珍しく怪獣は一度も出現することはなかった。

 涼子さんからは油断しないように、と口酸っぱく言われていたものの、ロボットに乗る機会もなく、身が引き締まる気分の時間は少し減っていた。

 やらなければならないとこととわかっていつつ、本心では嫌なことから逃げたい。そんな気持ちを抱くことは、長く退屈な授業を嫌がるこの学校の生徒達となんら変わらない感情なんだろう、と思いながら、年相応な自分に少しだけ情けなくなりながら、学校での時間を過ごした。


 あと、午後授業再開以外にも、最近自分の内心というか、人並みな部分に気付かされる出来事があった。


「ねえ、ヒデオ」


 三者面談をした翌日、午前授業が終わると僕に声をかけてくる人がいた。新垣さんだった。なんだか、この前とは違い少し楽しそうな顔をしていた。


「ご機嫌いかが?」


「藪から棒にどうしたの?」


 ……今更、初めて知ったことだが、新垣さんは機嫌が良いと、淑女ぶるところがあるそうだ。

 そんな似非淑女が、一体僕に何の用だろう。訝しげな眼で、僕は新垣さんを見ていた。


「トランペットは吹けるようになった?」


「はあ?」


 新垣さんのトランペットを借り、一切の音が出せなかったのは昨日の話。トランペットを吹けるようになることは、一日どうのでそんな容易く出来ることではないだろうし、何より一夜漬けで特訓したと彼女に宣言した覚えも、僕にはなかった。


「吹けるようになってないんだ。もう、ヒデオったら」


「どうしたのさ、本当に」


「教えてあげよっか」


 そう言ってきた新垣さんの目は、どうしてかとても輝いて見えた。

 怪獣を屠るロボットの操縦士に物を教えることに優越感を覚えているのか。はたまた、中途半端が嫌いだからなのか。


 ……僕と一緒にいたい、のか。


 最後だと嬉しいが、多分真ん中あたりが塩梅だろう。


「あたし、誰かに何かを教えるの、好きなんだ」


 良かった。塩梅で。


「あと、ヒデオに何かを教えるのも優越感に浸れて楽しそうっ」


 ……。


 そんな一幕を経て、その日の放課後から、僕の一日が少し変わった。


 新垣さんのお節介のように始まったトランペット練習だったが、今までの日常が変わる。非日常に足を踏み入れ、その時間を送ることは、どうしてか新鮮味もあって楽しかった。


 彼女のお古のマウスピースとやらをもらい、息を吹き込んでみた。その際、彼女の見様見真似。聞いたままに息を吹き込んでみたが……中々彼女のような音が出せなかった。

 そのことが少し悔しかった。中々うまくいかないものだ。


「ヒデオ、実はあんまり肺活量がないよね」


 新垣さんは、僕の吹き方を見て気付いたようにそう言った。


「そう?」


「うん」


 そう言って、新垣さんは鞄に入れていたペットボトルを取り出した。

 中身があることに気付くと、すぐにそれを飲み干した。


「これ、潰してみて」


 ペットボトルを手渡され、僕は手でそれを握りつぶした。

 ベキベキ、という音とともに、


「違う違う。息で潰して」


 新垣さんが言った。

 新垣さんは僕からペットボトルを取り上げ、蓋を取って、形を戻した。


「ヒデオって、意外と抜けているところがあるんだね」


「そう?」


「そうよ。……はい」


 ……今更ながら、これ間接キスだよな。彼女、そういうの気にしないのだろうか。気にしてないから、普通に手渡してきたんだろうな。


「……ちょっと、トレイ行って来ていい?」


 少し逡巡していると、新垣さんが言ってきた。


「いいよ」


「ごめんね」


 そう言って、新垣さんは駆け出した。


「ちゃんと練習しててね」


「うん」


 返事をして、彼女の姿が見えなくなったことを確認して、僕は水道場へ行き、ペットボトルの口元を水ですすいだ。

 彼女が気にしなくても、僕はどうしても気にしてしまうのだった。


 渡り廊下に戻り、窓を開けて外の様子を眺めながら、僕は彼女の指示通りの練習をした。カフェオレのペットボトルは柔らかいように見えて、中々景気よく潰れてくれなかった。

 こりゃあ、確かに難しそう。


 そう思いながら、ペットボトルを口に加えたまま、間抜けな顔で窓辺に体を預けながらぼーっとしていた。


 校舎の向こうから、音色が響いた。

 一つ。二つ。たくさん。


 たくさんの音色。その中には、トランペットの音色も混じっていた。吹奏楽部の合奏だろうか。


「ごめんごめん」


 その音色を聞きながら、しばらく彼女の言いつけを守っていると、新垣さんが戻ってきた。


 少し、気になることがあった。


「ねえ」


 ペットボトルを口から外して、声をかけた。


「ん?」


 新垣さんは、いつか見せた顔とまったく違う……無邪気な笑顔で首を傾げていた。


「……君は、あっちの練習に混じらないの?」


 言ってから後悔した。

 新垣さんの悲しそうな顔を見て、後悔した。


「あたし、A組から落ちたの」


 A組とは、多分コンクール組のことだろう。


「どうして? 君はそこまで下手には聞こえない」


 昨日は確かに、彼女の音色が外れていることを指摘したが……それはプロと比較しての話。学生程度のレベルであれば、彼女の実力はとてもコンクール発表組から外れるものとは思えなかった。


「お母さん、あたしには吹奏楽部止めてほしいみたいだから」


「どうして?」


「……大学受験に、吹奏楽部のテストはないからね」


 より良い大学。より良い人生。

 我が子にそんな素晴らしい人生を送ってほしいという親の気持ちは……一人で生きて、一人で生きることが出来ない僕にはよくわかった。


 ……ただ。


 やりたいことが出来る条件が揃っていても、やりたいことが出来ないことがあるということを知らしめさせられた。


 そういえば、彼女の母親は彼女の三者面談でたくさん声を発していた。それだけ自分の望む未来に彼女に進んでいって欲しいのだろう。

 

 だから多分、彼女の親の介入があって、彼女はA組とやらから外されたのだろう。


「まあ、ヒデオなんかとは比べ物にもならないだろうけどね」


 だから、悲観しない。

 そう宣言するような、悲しそうな笑顔だった。




 今日も僕は、彼女とトランペット練習に励んでいる。

 望む未来を得られない彼女が、少しでも僕に教えることで辛い現実から目を背けられるなら、手助けしてあげたい。


 そう思ったのだ。

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