特例
三者面談は、須藤先生が僕の進路を叶えるため、今後どうしていくかを相談していこう、と言う話に纏まり幕を下ろした。
三者面談のある今週は、全ての授業が半日授業となり、午後は面談以外の時間は部活動、もしくは帰宅。つまりは遊ぶ時間に当てられるようになっていた。
校舎の外、校庭付近からサッカー部の喧騒とした叫び声が漏れていた。昼ご飯を食べて、練習を始めて、まもなく二時間ほどが経過しようかという頃、体も温まってやる気もみなぎってきた時間なんだろうと、その雄たけびを聞きながらぼんやりと思っていた。
「お、ヒデオじゃん」
廊下に出ると、既に次の生徒がスタンバイしていた。名前は知らないが、サッカー部のユニフォームを羽織っていた。
「こんにちは」
「あらぁ、あなたロボットの操縦士さん?」
挨拶すると、少年の隣にいた母親らしき人が僕に食いついてきた。
「はい、そうです」
あまり引き気味の態度を見せて機嫌を損ねたくなかったので、微笑み会釈した。
「あたし、実はあなたをこうして生で見るの初めてなの。握手してくださる?」
「はい」
手を差し出すと、乾燥気味の右手の感触が手に伝った。少年の母親らしき人は、僕なんかの握手で大層喜んでくれたのか、手をぶんぶんと数度振り回した。
「ありがとう。一生の自慢にするわ」
「それは良かった」
「おいおばさん、ハズイから止めろよ」
「いいじゃない。減る物でもない」
少年がため息を吐いた。どうやら母親に手を焼いているらしい。
「悪かったな、ヒデオ」
「いいよ、減る物でもないからね」
そう言うと、少年の母親は大層喜んだ。
「ヒデオは……このまま帰んの?」
「そうだね、部活もしてないから」
「あらぁ、この学校で部活動は強制じゃなかったかしら?」
少年の母親が首を傾げた。
「特例だよ、特例。こいつ、ロボットの操縦士だから。そんな部活動なんてやってる暇ないんだよ」
「そういうことです」
少しだけ、胸にチクリと針が刺さったような痛みが走った。それでも笑顔は崩さなかった。
「羨ましいよなあ。本当もう、俺なんてサッカー部で毎日十キロ走らされてさあ」
「こら、操縦士さんはもっと過酷な環境で命かけて戦ってんのよ。あんたなんかと比べないの」
「いいえ、僕も彼のこと、尊敬しているので」
そう言うと、少年はへへっと得意げに頭を掻いた。
「おうい、薫。そろそろ始めたいんだけど」
「あ、先生。わりいわりい。じゃあな、ヒデオ」
「うん」
少年と母親は教室に消えていった。
少年のことを尊敬している。
それは事実だった。
彼は僕が制限されている部活動をすることが出来る人だったから。僕が出来ないことを出来る人だったから。
僕は、部活動が出来ない。いいや、することを許されていない。政府の指示で、身体的疲労を蓄えないように、と言われているから。わざわざ校則の特例という形でそれをしないで学校生活を送っている。
正直、少年のことが羨ましかった。
部活動とは、一体どれほど楽しいことなのだろう。気の置けない連中と汗を流し、勝利を掴む感覚はどんなものなのだろう。
僕には出来ないことを彼は出来る。
だから、僕は彼を尊敬する。
……あの少年のせいで、素直に家に帰りたくなくなってしまった。
少し……ほんの少し誰かと、話をしたくなってしまった。
だけど、校舎を巡ってふと気付いた。
僕にはどうやら、気の置ける話し相手もいないらしい。
皆は僕をヒーローと称える。
だから、皆にとって僕は……友達ではなかった。彼らにとっても僕は、特例だったのだ。
帰ろう。
突き付けられた事実に、なんだか全てがどうでも良くなって、僕はようやくそう決心した。
廊下を歩き、玄関に辿り着いて、靴を履き替えて……。
「……ん?」
校舎のどこかから聞こえるトランペットの音に気付いた。
眠るヴィシュヌの木。
最近、吹奏楽部コンクールで人気を博している名曲だ。古代インドで生まれた神話に登場する最高神、ヴィシュヌをタイトルに入れた曲。
その曲のトランペットパートの音が、ひたすら校舎のどこかから聞こえていた。
いつの間にか、その音に魅入られていた。
……ヴィシュヌは、宇宙を維持するための神と言われている。
三歩で世界を一周出来、世界が出来てから終わるまでの時間は、ヴィシュヌにとってはまばたき一回分の時間と等しいと、そんな逸話のある神だ。
そんな神が、もしこの世にいたら。
僕は……特例なんかではなく、一人のただの人として、皆と友達になれたのかもしれない。
そう思って……多分、救われたくて、僕は音色の鳴る方へ歩を進めた。
校舎へ戻り、階段を昇り……三階の渡り廊下で、窓を開けてトランペットを吹く少女に再開した。
「……新垣さん」
「……あ」
新垣さんはトランペットを吹くのを止めて、この前見せた顔を見せていた。何かに怯える顔を、見せていた。
……失敗した。
音色に導かれるんじゃなかった。
そうじゃなかったら、あの音色を聞けたまま学校を立ち去れたかもしれないのに。
音色は止んだ。
ここにヴィシュヌはいない。
守護者と呼ばれる神はいない。
「……半音、ずれてたね」
「え?」
このまま無言で立ち去るのは、気分が良くなかった。だからせめて、彼女の手助けをしようと思って、僕は彼女に近寄った。
「さっきの小節、譜面で言うと……ここ。ここ、高くて出すの辛いんだろう?」
「ど、どうして?」
「仕事柄、多少耳が鍛えられているんだ。だから、すぐわかった。原曲もしょっちゅう聞いてたし」
「……吹奏楽、好きなの?」
「よく聞くだけさ。気持ちを落ち着かせたい時。神頼みをしたい時。そう言う時、聞く」
……言ってて、なんだか悲しい男みたいだと思った。
しかし思った後に、それが事実であることを思い出した。
「トランペットを吹いたことは?」
「ない。聞く専だよ、僕」
「そうなんだ。じゃあ……」
新垣さんは、手に持っていたトランペットをこちらに差し出した。
「吹いてみる?」
……開いた口が塞がらなかった。
「なんで?」
僕、トランペット吹いたことないって言っただろう。
「ヒデオなら、吹けるんじゃないかなって」
「……無理だよ」
「やってみないとわからない」
「いやだから……」
再び否定の言葉を紡ごうとして……。
新垣さんの真っすぐな瞳とぶつかった。
僕は彼女からトランペットを受け取って、大きく息を吸った……。
「……フゥ……ツーゥ」
まともな音は出なかった。
しばらく息を吐き続けて、無理しすぎて、トランペットから口を離すや否や、僕は思いっきり咳込んだ。
僕の様子を見ていた新垣さんは……、
「あははっ」
楽しそうに笑っていた。
「ヒデオ」
「ん?」
「カッコワルイ。ヒデオ、まるでただの高校生だね」
そう微笑む彼女を見て、罵倒されたはずなのに……少しだけ心が安らいだ気がした。