1話 物語の幕は古箱と共に開く
冷房を効かせるため部屋を閉め切っていて尚、蝉の声のうるさい日和。
先日祖父が亡くなり、部屋の遺品を整理しているのだが、おかしなものを見つけた。
やや縦長の古い木箱だ。油性ペンか何かで「ねつく」と書かれている。それだけでも随分様子がおかしいが、それ以上に開けることができないというのが不可思議であった。箱の上部には蓋が付いているのだが、鍵や仕掛けがあるわけでもないのにどれだけ力をこめようと開かないのだ。
「捨てるか」
と近ごろ断捨離をキメている母。
「いや、何かわからんもの捨てるのはどうなん?何ごみか判断付かんし」
「ゆうてちっとも開かんのでしょ」
「何か祟られそうじゃない?」
「ハンマーでガンガンやってるくせにどの口が言うか。神社でお祓いしてもらうから大丈夫でしょ」
「貴重な品かも知れんし、預かっとくてのは…」
「またそう言って。アンタもうだいぶ物持ってったでしょう。これ以上は邪魔になるだけ」
「うーん…」
確かに、本などの遺品を既に自分の部屋に入れており、スペースはもうあまり無かった。故に母の言うことは至極真っ当なのだが、何となく気になってしまう。このまま正体を暴かぬまま処分してはならない。錯覚かもしれないが、木箱が自分にそう訴えかけてるようにすら思えた。
そうしてウンウン悩んでいると
「じゃあ明日の朝まで時間あげるから、それまでに開けて。できなかったら捨てましょう」
という母からの妥協案が提案された。夏休みの大学生、暇しかないので「わかった」と受け入れた。
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一向に開かぬまま深夜になってしまった。衝撃を与えるだとか、火にくべるだとかいう物理的手段はあらかた昼間に試したのだが、開くどころか傷もつかない。そのことを母に伝えると、
「燃えないゴミで出すしかないかあ」
そういう問題ではない。
ともあれ、この箱を物理的手段で開けることができないと分かった以上、超自然的手段をとるしかない。ならば、
「開けゴマ」
ものを開ける呪文の中で唯一知っているものを唱えてみる。が、特に変化はない。
「うーん…」
万策尽きたか月高番作。月高番作って誰だ。などと謎の人物を空想し、箱を掲げながら伸びをすると、
「ん?」
箱の底面に小さく文字が書いてあることに気づく。
「…4月19日の絵?」
生前油絵教室に通っていたとかで、遺品には絵画がいくつかあった。それらは幸いにまだ捨てられずに残してあり、4月19日に描かれたと思われる絵を探す。
「これかあ?」
額の端に4月19日とサインのある絵を見つけた。紫と緑のギザギザの葉を持つ植物と、梅干しが描かれている。祖父より先に亡くなった祖母が、よく使っていた食材だ。
「…シソ?」
タイトルは「アリがとうババあ」。カタカナ部分だけ抜き出すと「アリババ」。物語「アリババと40人の盗賊」で有名なワードといえば「開けゴマ」。
「あっれえ?」
「開けゴマ」に戻ってきてしまった。
いや、唱えるのではないのかもしれない。そう思い箱に呪文を書いてみようとした。しかしインクが箱につかず、書くことができない。では言語が違うのではと思い、アラビア語の発音を検索して唱えたが開かない。
段々と、箱そのものとこんなものを遺した祖父に怒りが込み上げてきたので、茶で心を落ち着ける。そのうえで改めてヒントを探す。絵の内容にも意味があるのではないか?シソが描かれた油絵をよくよく観察する。
シソの油絵。
しそのあぶらえ?
「あ」
シソ、アブラエ、開けゴマ、この三つ共に関連したものと言えば、これしかない。ゴマによく似ており、シソ科で、地域によっては「あぶらえ」と呼ばれているものは、
「開けエゴマ」
カタ、と音がした。恐る恐る蓋に触れると、先ほどまであった固着感がない。動く。持ち上げる。抵抗なくパカリと蓋は外れた。
やった。
ついに箱が開いたのだ。
疑問と箱が解かれた開放感あるいは解放感と、内容物への好奇心から、身は前に乗り出し、そのまま箱の内部を覗き込む。
まず目に飛び込んできたのは、毛だ。
亜麻色の、絹のように艶やかな、頭髪。それが球状の何かに滑らかに繁茂している。
期待があった。
興奮で汗ばんだ手を、箱と内容物の隙間に差し込み、それに触れる。ふんわりと柔らかな毛の感触の奥に、渦を巻くような複雑な形状とこりこりした手触りの構造物が、球状の左右に付属している。
我慢ならず持ち上げる。
果たしてそれは、生首と呼ばれるものであった。
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