9:報酬・公衆に講習
「ほう。あの蜘蛛の解毒薬があるのか。それがあれば蜘蛛の被害も減らせるのだが… 。」
運転をしながら話しを聞いていたレイカーが口ごもった。
「何か問題? 」
マニーが首を傾げた。
「いや、我々の研究で無し得なかった解毒薬を持っているというのは、桐生君が虫の仲間と疑われるのではないかと心配しているのだ。君だけが単独で虫に対処出来る事に英雄視する者も居るが疑念を抱く者も居る。無論、私は桐生君を信頼しているが。そうだ、解毒薬を開発したのは国の機関という事にしてもらえないか? そうすれば民衆も受け入れ易い。」
「桐生さんへの疑念を晴らしていただけないんですか? 」
桐生は別に構わないと思ったが、ブリギッテが納得しなかった。
「残念だが私は一議長に過ぎない。王様ではないので、強制的に私の意見に従わせる事は出来んのだよ。」
レイカーの言葉に表面上の嘘は無い。グリシアは共和国であり主権は国民にある。その国民に選挙で選ばれた15名の評議委員で構成されるのが国の重要事項を決定する評議会であり、その評議委員の投票で決定されるのが評議会議長である。議長には決定権は無く、多数決によって議決される。グリシアの法制度についてはブリギッテも学生時代に学んでいるので反論の余地は無かった。だが、マニーは知っている。レイカーが圧倒的な国民の支持と絶対的な議会支持に支えられて絶大な権力を持っている事を。レイカーの応援演説の有無で選挙結果が左右されてしまうほど、圧倒的国民の支持率を誇るレイカーに反旗を掲げるような評議委員は存在しない。それでも、桐生の疑念を晴らさない理由があるとすれば、政治的な思惑だ。国民の支持が一部でも桐生に流れる事への危惧。桐生の行動範囲への無言の制約。解毒剤を作ったという国民評価。敵に回せば手強い政敵になりかねない。ならば手駒に引き入れよう。マニーはレイカーがそう考えていると読んでいた。それが当たっているかは、今のところレイカー本人にしか分からない。やがてレイカーの車はバルカーノの家に到着した。
「今日は急に頼んですまなかった。今のところ、この国に限らず単騎で大型の虫に対抗出来る戦力は存在しないのだ。頼りにさせて貰ってもいいかな? 」
「それは構わない。」
見返りは求めないと言われたとはいえ、桐生の唯一の収入源がレイカーからの寄進である。さすがにノーとは言い難い。
「ついでと言っては何だが講習会を開いては貰えないだろうか? 桐生君への疑念を晴らすのにも役立つと思うのだが。」
「講習会? 何を講義しろと? 」
「君が戦った虫、ワーム、蜘蛛の注意点などだ。直接戦った者にしか分からない事もあるだろう。マニー君やブリギッテ君と相談してくれて構わない。返事は後日聞かせてもらう。いい返事を期待しているよ。」
そう言い残してレイカーは車で走り去った。
「相変わらずの独善的野心家のようだな。」
「うゎっ! 先生、驚かさないでください。」
そこには、いつの間にかバルカーノが立っていた。
「私の家に私が居て、何故驚くのかね? 」
ブリギッテが返事に困るとバルカーノは話題を戻した。
「レイカーは自分を無謬だと思っている。あぁゆう奴が権力を握ると国が偏る。」
「バルカーノ、無謬は言い過ぎじゃない? 少なくとも、議長に権力は無いでしょ。」
「マニー。君だって内心、問題ありだと思っているのではないか? 」
「私は自分のやりたい研究が出来れば、議長は誰でもいいの。今のところ、桐生の観察が出来てるから文句は無いわ。」
「… まぁ、マニーの目当てが桐生君なのか腕輪なのかは別にすれば、研究しか興味はないか。」
「ちょっ、ちょっと。私が興味あるのは腕輪よ。う、で、わっ! 人間なんかに興味無いわよ。」
明らかに動揺したマニーをブリギッテは疑いの眼で見ていた。実際のところ、マニーの関心は桐生が自分の秘密を洩らさないかという一点に過ぎない。
「とりあえず、もう少しデータを集めるべきだな。虫によって、対処も変わるだろうが桐生君は、まだ僅か3種類の虫としか遭遇していない。これで公衆の面前に立っても、中身の薄い講習にしかならないだろ? 」
「そんな事言って、バルカーノがデータ欲しいんじゃないの? 」
「フッ、そんな事はないさ。虫から被害は被っているが、私の研究対象は機械だよ。私よりマニーやレイカーの方がデータが欲しいんじゃないのかな? 」
「まぁ、確かに桐生が虫退治をしてくれれば、国民の安全に繋がるし、バルカーノや私は腕輪のデータが取れるけどね。でも、これは仕事。私の本当の研究対象は虫でも機械でもないの。」
するとバルカーノは欠伸をした。
「別に私はマニーの研究に興味は無いんだ。まぁ、私は研究が出来る。マニーは仕事が出来る。レイカーは支持が集まる。桐生君は寄進で儲かる。誰も損しないからいいんじゃない? あ、桐生君収入源があるんだから家賃貰おうかな。」
「ダメですっ! 」
桐生よりもブリギッテの方が早く反応した。
「腕輪の研究させて貰ってるのに、何言ってるんですかっ! 桐生さんが出ていっちゃったら困るのは先生でしょ!? 」
「ん~私よりも君たちの方が困る気がするんだけど… 仕方ない。家賃は無しだ。」
バルカーノの言葉どおり、ブリギッテとマニーはホッとしていた。