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脱出劇(1)

 水の音だけが響く。汚水とカビ、肉の腐った臭いは扉越しにでも届いた。吐き気が喉を競り上がり、しかし寸前に堪える。悲鳴など決して届かないその場所で、しかし牢獄の更なる汚れだけは目に届いてしまう。事実、先日折檻を受けた仲間がまた一人、息絶えた。

 『物置部屋』と、男達がそう呼ぶ部屋の中には幾人もの少女がいた。皆が皆、金色の美しい髪と澄んだ青い瞳、特徴的な長い耳を持ち、例外無く鎖に繋がれていた。

 嗚咽がどこからか漏れ聞こえる。それを慰めようとした声もまた、泣き声に変わる。怨嗟か絶望か……耐え兼ねたように部屋の木が軋み声を挙げた。怯えたように誰かがしゃくりあげ、それが伝播したようにまた声が聞こえなくなり、水の音だけが残る。

 帰りたい。あの故郷がある森へ帰りたい。誰もがそう願いながら諦めたその中で、未だ光るものがあった。彼女の瞳だった。

 既に陽炎のように朧気で、鈍色に耀きは失われている。しかし、光だけは未だ失われていなかった。

 唇が震える。闇夜を恐れる子供が、それでも朝焼けの陽の明るさを信じて歩き出すように、口を開いた。

 

 「……けて」

 

 その声に反応する者は、周囲にはもはやいない。余りにも聞き飽きてしまったその言葉の、あまりの無力さは思い知らされていた。それでも彼女は、それを口にした。

 

 「助けて……誰でもいい……誰か、助けて……!」

 

 直後。彼女の足元の床石の一枚が歪な音を立てて浮き上がった。周囲のぎょっとした視線が集まる。

 

 「だ、誰っ!?」

 「可笑しなことを聞きますね。誰でもいいと言ったのは君ではないですか」

 

 返されたのは、その場に似つかわしくないほどに穏やかな声だった。一瞬希望がその場に満ちようとして、すぐに萎れる。その空気が伝わったのか、声の主は首を傾げたように声を曇らせた。

 

 「あら。やはり信用して貰えませんか?」

 「……姿も見せられないような人が、信じられるとでも?」

 「ごもっとも」

 

 そう笑って声の主は穴から出てこようとして、一向に出てこなかった。

 

 「……。…………?あの、出てこないの?」

 「……足が届かない」

 「え?」

 「助けに来て早々悪いけど助けてくれない?」

 「な、なんなのよ……」

 

 呆れつつ、縛られた手で器用に引っ張りあげる。自然と周囲の視線が集まるなか、引き上げられたのは人目を惹く風貌の男だった。

 ……身綺麗で、悪臭を放っていなければという条件が付くが。

 

 「くさっ!?」

 「下水道を通って来ましたからね」

 「下水!?なんで!?」

 「まさか「お宅の所の奴隷を助けに来ました」と言って奴隷商人の玄関から入る訳にはいかないでしょう」

 「いや、そうかもしれないけど……」

 

 目も眩むほどの臭いを放つ男から目を逸らす。気付けば周囲の男に対する視線も胡散臭い物を見るような目から、単に臭い物を見るような目に変わっていた。

 

 「はは……警戒を解いてくれたのは嬉しいですが、この視線は少しキツいですね」

 「あなたの臭い程キツくないわよ……それより、助けてくれるっていう話だったけど」

 「ああ、そうでしたね」

 

 さして気にした風も無く。あっさり気を取り直すと、男は腰鞄から手帳程の大きさの羊皮紙を、計人数分取り出した。それを一人一人に手渡していく。丁度最後の一枚を彼女が受け取った時、密室化した地下牢特有の臭いに混じりインクの臭いに気付いた。薄明かりの下、どこか無機的な文字で何事かが綴られている。

 

 「帝国文字……?」

 「ええ。よく知ってますね」

 「帝国の商人さんには、塩とか野菜とか安く売って貰ってたから」

 「それは良かった」

 

 にこりと、嬉しそうに微笑む。

 

 「それは帝国臣民であることを帝国が保証する……まあ、身分証みたいなものです。それを持って帝国の大使館に逃げ込めばあそこの人間……ああ、いや。人属以外も勤務してるから人間だけでは無いですね」

 「え、エルフもいるの?」

 「あ、いや……彼らの方には断られてしまって。物好きなドワーフが一人と、ホビットが三人いるくらいです」

 

 話しているうち、男がそれほど危険な人物では無いと思ったのか。はたまた「帝国」という言葉を聞いて安心したのか、彼女の他にもチラホラと男に近付く者が現れ始めた。未だに鼻は摘まんだままだが。

 

 「ねぇ、お兄さん?ここはどこなの?」

 「ん、そうですね……何か書くものは……と」

 

 手近に落ちてた木炭を一つ取ると床に周辺の、簡素ではあるが簡潔で見易い地図を描いていく。灯りは頭上の蝋燭一つなので必然、全員が頭を寄せ合うように集まった。

 男が置かれている状況を説明しいく。

 

 「まず、今私達がいるのは帝国ではなくヘレゾナス王国です。この国では奴隷が制度化されているので、町の人間に助けを求めても無駄です」

 

 曰く、王制国家の殆んどでは奴隷が公に認められている――つまり、国が人間を商品として扱うことを認めているため、うっかり奴隷を助けようものなら持ち主から訴えられかねない。故に町の住人も見て見ぬ振りなら御の字、下手すれば捕まえる側になりかねないとのことだった。

 

 「但しほとんど唯一の例外として、絶対に匿ってくれる場所があります。それが――」 

 「帝国の大使館?」

 「正解、と本来なら言いたい所ですが」

 

 困った風に男が自分の頭を掻く。

 

 「本来であればどこの大使館であろうと、一度駆け込んでしまえば交渉次第で何とか出来るのですが。三年前に締結されたモヘビナ条約が邪魔なんですよ」

 「モヘビナ?」

 

 聞きなれない言葉に彼の横にいたエルフが首を傾げる。

 

 「簡単に言うと、ヘレジャス国で適法に奴隷になった者については、直ちにヘレジャス国に引き渡さないといけない。でなければ大使館の設置は認めないという条約です」

 「そんな……そんなの言った者勝ちじゃない!」

 「ええ。実際、条約の作成段階で帝国外相が猛反発してましたからね。まあ、今となってはどうしようもないですが」

 

 小さく溜め息を吐いた男は、そこで初めてエルフ達に渡した羊皮紙に視線を向けた。

 

 「先程言いましたように、それは帝国臣民であることを保証する書面です。それを持っていた場合、どのような理由によって自国民を奴隷に落としたのか帝国がヘレジャス国に対して質問をしてくれんですよ」

 「……それだけ、なの?」

 

 質問するだけ、と言われて期待が外れたような声が出る。対して男は、底意地の悪そうな笑みを浮かべた。

 

 「そうですね……全300項、計5000個以上に渡る質問を期間内に回答出来なければ違法に奴隷身分に堕とされたと判断してくれるだけです」

 

 うわぁ……と嫌そうな、けれどどこか楽しそうでもある悲鳴が溢れる。

 

 「少なくとも即日の引き渡しは有り得ません。その間に、「件の邦人は極度の衰弱状態にあったので即日死亡した」と発表すればそれまでです」

 「え……?でも死体を見せろとか……」

 「誠に遺憾な話ですが、死体に関する取り決めは無いので」

 「あぁ……うん、いい性格してるって言われない?」

 「よく解りますね」

 

 くすりと笑い、それに釣られたように少女達の頬も緩む。それで初めて周囲に和らいだ空気が溢れた。

 見計らったように男が、少しだけ声を引き締めた。

 

 「さて、ここからは手筈の話に移りますが。その身分証を使えるのは帝国だけです。他の大使館に逃げ込んでも握り潰されるのは目に見えていますので、そこは絶対条件です」

 「逆に言えば、帝国大使館に逃げ込めれば助かるってこと?」

 「ええ。必ず助けてみせます」


 コクりと、力強く男が頷く。


 「しかし奴隷商側も案山子ではありません。逃げ出したことに気付けば必ず追っ手を放ちます」

 「うん」

 「ところが彼らは直ぐには追ってこれません。まず、この奴隷商が『なぜか』秘密裏に扱っていた阿片のある納屋に『なぜか』火が付くからです」

 「うん……うん?」

 

 笑っていた少女の笑みが固まる。

 

 「警察も邪魔なので、『なぜか』都合悪く現れた捕り物と鬼ごっこをしてもらいます。同時に商人側の人間からも追っ手が差し向けられると思いますが、『なぜか』昼間から飲んだくれていたチンピラと肩をぶつけてしまい、『なぜか』足止めを食らいます」

 「……」

 「あの……何か言ってくれないと私がペテン師みたいじゃないですか」

 「いや……その……酷い偶然もあるわねと思って」

 「もういいですよ……」

 

 さめざめと笑いながら泣くという器用な芸当をすると、男は一番最初に話しかけてきたエルフに金色の塊を渡した。

 

 「時間に応じて消えていく物です。それが完全に消えきった時に合わせて納屋に火が付きますので、目安にしてください」

 「解ったわ。あなたは?」

 「私はまだやることが有りますので、ここの鍵を開けたら元来た道から逃げます」

 「その穴って……私達も一緒に行けないの?」

 

 そう問われて男は、少し思案気に首を捻ると彼女の瞳を覗きこんだ。

 

 「う……ん。どうでしょう?エルフ属は元々空気の清浄な場所でしか暮らせない体質ですから」

 「っ……」

 「まして、衰弱状態であそこを通るとなると――って、どうかしましたか?まさか熱でも?」

 「な、何でもないわっ」

 

 心配そうな目をする男から必死に目を逸らすと、彼女は改めて受け取った羊皮紙と塊を握り締めた。

 

 「私達はここから絶対に逃げ出します。無事に脱出出来たら、その時は必ずお礼をします」

 「ええ。楽しみにしています」 

 

 すっと、男の目が細まる。それから彼女の耳元で、小さく囁いた。

 

 ※

 

 健闘を祈ります、と。そう告げて男が去っていった後、牢の中はまた静まり帰った。しかしそれは最初の、今までのような重苦しいものでは決してなく。決意に満ちた沈黙の中で、不意にアルベラの名前を呼ぶ者がいた。

 

 「なに?今集中してるんだけど」

 「今の人、アルベラのタイプだったんじゃない?」

 「は?なに言ってるの?そんな訳ないじゃないというか今そんな事聞く必要有るわけ?無いでしょ無いわよね無いと言ってよねぇ」

 「あー、ごめんごめん。妹が緊張してたからつい使っちゃった。悪気は無かったの」 

 「悪意しか見えないわよ」

 

 溜め息を吐きながら、手の中の塊を握りしめる。塊が完全に消えてしまうまでに、まだ幾らか時間がありそうだった。

 

 「ねえ、もしかしてあの人。クリシュナル様かもしれないわよ」

 「は?なんで?」


 意味が解らないと言いたげに眉を潜める。


 「だってクリシュナル様ってエルフと同じくらい容姿端麗で頭がよくて、その上超が付くほど優しいって聞いてるわよ。さっきの人、全部当てはまってるじゃない」

 

 「ないない」とアルベラは首を振った。


 「クリシュナル様って言えば帝国の外務大臣よ?そんな人がこんな所に危険を犯して来ると思う?絶対に許されないわよ」

 「あ……そっか……残念」


 むー。と頬を膨らませる。その友人の膨れっ面を横目に、もう一度周囲の状況を確認する。牢の鍵については既に解錠してあり、扉についても隙間に木片が詰められてるだけの簡単な物に変わっている。仲間達も全員、逃げ出すための準備は済ませている。

 

 「……後は成るように成るだけね」

 

 一時間より長い一秒が過ぎていく。刻々と金色の塊から重さが消えていき、そして完全に消えたとき。

 

 

 

 『か、火事だああああぁぁぁぁぁ!』

 

 

 

 彼女達の逃走劇が始まった。

 

 

 

 

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