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プロローグ

 長き病により、今日に至るまで多くの人が苦しみ続けてきました。それはこの国に限った話ではありません。身分による差別、出自による迫害、性別による搾取……これら無形の病はこの国土をのみならず、大陸中に蔓延し、もはや数えようが無い程の命が失われているのです。



 差別。その根本にある、自身と異なるものに対する不寛容は今を生きる人だけではなく、やがて生まれてくる我らが子の命を奪い、祖先の墓を暴き名を貶めることになります。これから生きる者は不幸でしょう。罪無き罪が故に命を散らすのですから。私達の親もまた不幸でしょう。彼らは謂われなき辱しめを受け、土の下で二度の死を迎えるのですから。そしてそれは、今この時抗える我々が何もしなかったが故に惹き起こされる罪業に他なりません。



 遠き神はその遥か昔、人の善なることを疑われ、我々を罪の子と呼ばれました。我々はその歴史において、一瞬たりとも全人類が互いに寛容で許し会えたことはありません。言わば我々は、差別というこのおぞましき洗礼を経験すること無しに生まれたことの無い、罪の象徴でしょう。しかし聖書において神は、勇気を示して果てた勇者リーラに応え、人に知恵と火を授けもしました。知恵は愛を呼び起こし、ただそれだけがこの病に対する唯一の薬となりうる、我々の武器なのです。



 無知は罪です。無知は我々の間に本来は存在しなかった筈の敵と味方という線を引き、不寛容であることを許し、争いの火種と喜んでなります。祖先の誰も、望んで互いに殺しあったわけではありません。望まぬままに罪を重ねたのです。長きに渡り、我々はこの病のために苦しめられて来たのです。知性が、我々が愛して止まない理性が、無知という最も野蛮な本能の前に脆くも敗北し続けてきたのです。



 故に今こそ、私は訴えるのです。知性的であること、不寛容であることを永久に憎み続けること、それが引き起こしたあらゆる惨劇を子へと語り継いでいくことを。人権の欠缺は決して許容出来うるものではありません。それは国家が露呈する最悪の欠陥に他ならず、最大多数の為の最小の犠牲は必ず内部的かつ不可逆的な崩壊を招きます。



 知性的であること。隣人を愛すること。それだけが唯一、我々が有する手段であり、この大陸中に散らばってしまった大戦の火を消す方法なのです。もし今日、この場にお集まり頂いた方々の中で、少しでも私の拙い話に共感して下さる方がいらしたのであれば、どうか子供に、女性に、亜人に、ヤギナと呼ばれる者に、魔物と蔑まれる者に、生きる権利を認めて下さい。人として生きるための権利を認めてあげて下さい。私達の為に、この悲しき輪廻の輪を私達の代で終わらせるために。

 

 ※

 

 あの宣誓から10年が過ぎ、当時若者だった者達は大人になり。帝国もその国家体制を大きく変えることになった。


 草木が萌えるには痩せた土地と気紛れな風土……それらの要因が多重奏のように重なり、必然的に帝国は生産業ではなく二次以降の産業によりこれまで発展してきた。例えばある歴史学者は次のように指摘する。




 「歴史的に人や貨幣が流動的であった帝国においては、特にその管轄地域内においては統一法・統一貨幣の必要性が周辺諸国より極めて高かった。また商業国家の宿命として、帝国内に多民族が浸透するのは避けて通れない道であったことも考慮されなければならない。様々な地政学的要因が重なった結果、「帝国臣民」であることより、帝国においては、帝国の法に従うか否かが重視されていた。

 それも、帝国が「人権」という国家体制を揺るがしかねない大きな概念に対して、恐るべき柔軟さを見せた理由の一つであろう」




 無論、理由はその歴史学者が自身で指摘したように、決してそれだけに尽きるものではない。当時帝国内において存在していた貴族階級の9割以上がブルジョワジーであったこと、経済奴隷制の不存在(犯罪奴隷についても、南部の一部地域で事実上黙認されていたが制度化はされていなかった)、皇帝という存在が半ば象徴化していたことによる身分意識の稀薄性、その貴族による国政運営が帝国の、いわゆる資産的進化論に適合していなかったこと等も挙げられる。それほどまでに、帝国は新時代の潮流に自身を見事に適合させてみせた。そして、その新体制へ移行することになった切っ掛けとして、今日でも多くの学者が重要な歴史的事実であるとして指摘するのが11・6宣言である。


 クリシュナル・イェリング(或いはエーリングとも)がブランクック集会で行ったあの演説はまさに起爆剤だった。僅か5分という短い時間の中で無造作にばら蒔かれた思想の数々は、身分を問わずあらゆる層から熱狂的な歓声と共に受け入れられた。意識改革、因習の廃止は末端地域にまで徹底され、その支柱となるための法制度も加速度的に進められた。結果として、帝国領内においては中央集権化が進み、あらゆる変数において既存国家の常識を塗り替える程の列強に帝国は変貌した。否――変貌出来てしまった。


 帝国の隆盛。しかしそれは、周辺諸国にしてみれば新たな脅威の誕生に他ならなかった。突然変異的に変貌した帝国の掲げる理想と理念は君主制国家の国体とは相容れないどころか崩壊を招きかねない、説明不可能なものでしかない。しかしその一方で理論的な瑕疵は殆んど見られず、もし帝国の思想が浸透すれば食い止める手段は無いというのが大方の見方だった。


 結果、帝国周辺の国は対帝同盟を結び王政連合を結成。帝国に対し食糧品に関する輸出制限措置を行う他、軍事的な警戒網を帝国国境沿いに敷いた。痩せた国土では食糧生産量が消費量に追い付かない、数年もすれば帝国は音を挙げるという目論見が背後にはあったという。そしてそれは、確かに事実ではあった。帝国が一切の抵抗をしないという前提に立てばの話であったが。


 王政連合の輸出制限措置に対する報復として、帝国は対帝同盟に対する鉱山物の輸出を全面的に禁止。この措置は、周辺鉱山の4割が帝国地帯に集中していた同盟諸国の経済状況を大きく悪化させると共に、対立を決定的かつ不可避なものに変えた。


 この未曾有の危機に陥った国際関係を解消するため、当時の帝国外相には高い能力と実行力が要求されていた。しかし実際は、国家間同士の交渉に関する権限は貴族部が掌握しており、外相に与えられた権限は極めて限定的で、外相という地位が事実上形骸化していた。


 決定と実行が状況に追い付かない故に適合しない、その原因については貴族部内部からも早い段階から正確に指摘されていた。そして帝国の貴族は、国益という概念を言語化には至らないものの暗黙の内に共有していた。それが、一つの奇跡を起こした。帝国議会衆議部が対帝同盟諸国に対する鉱物禁輸法を施行した半月後、帝国議会貴族部は満場一致で外交に関する権限の一切を外務大臣に委譲することを決定。並びに、第58代皇帝に外務大臣として、当時魔族との交渉において限定的ではあるものの軍事的協力関係を築くことに成功した外交官、クリシュナル・イェリングを推薦。これにより、一時的にではあるものの王政連合との衝突は避けられ、武力衝突の可能性は大幅に緩和されることになった。


 このクリシュナルという人物像に対して、歴史的資料は多くを語らない。解っているのは、法律家としても優秀な人物であった他、帝国最後の外務大臣ということだけである。彼の功績と資料の乏しさが著しく解離していることから、一部には彼を「帝国最後の神話」と存在を疑う者までいる。





 故に、彼女は知る。あの時代は、クリシュナル・イェリングという事件だったと……

 歴史は再び幕を開ける。記憶は終の始まりを辿り、水底へ至る。それは、薄暗い地下牢と、錆びた鉄の臭いから始まった。

いかん……目が痛くなるような出来映えだ

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