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第一人者  作者: 近衛 キイチ
第一章
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本来なら

 レイの経営するこの宿は、市域の外れに在るようで、早朝や昼は農作業を終えた人の食事処として、夜は酒場となっており、若い女性の姿はなく、客は男性ばかりで、宿泊する者は存在しない。

 数日も経たない内に体の痛みは消え去り、起き上がり歩けるまでになると、宿の広間を出入りする客を隠れながら見ていた。砦の火事と予言の子が行方不明になっている事について、レイが王の代理人や村長に対して、僕の事をどの様に説明したのか気になっていたから。


 男達の噂話は、砦は全焼した上に、詰めていた全員が死亡したとか、この辺りを縄張りにしている盗賊が、自分達の犯行だと言って回っているとか、砦が建つ崖その物が崩れた等あり、情報が乏しい中、想像力を働かせた噂ばかりだったけど、そんなに噂好きな人々でも、砦は魔獣により襲われてしまい、詰めていた全員が食い殺されたという噂話になると、顔を青くしてこの話題を終えるのだった。


 それらの話の中には、僕を捜すための部隊が編制されている様子はなく、単に話題が出来た事に興奮しているだけで、人々は予言された者があの砦に居た事を知らない様子だった。

 よく考えれば、僕が幽閉されている事を周辺に知らせる必要性はなく、自分の身分を不安に思う必要はないのかも知れない。


 王都から捜索隊が派遣されたとしても、砦が全焼していれば、誰彼を判別する事も困難になっているので、予言の子は死亡した、そう判断を下すのではないかと期待するが、噂話を信じる人達と同じように、何も確証がないために、存在するのか判らない追手に対する漠然とした恐怖が残る。


 レイが僕の事をどの様に話したのかは判らないが、王都では神殿と組合が孤児院を運営していたように思う、この共同体ではどうだろうか、ここの世帯数や規模をまだ知らないので、孤児に対しての関心がどの程度なのか気になっていたが、僕の姿に気付いた客は特に気にした様子もなく、それ所か、時折哀れむ様な表情をする者がいたのが気になるけれど、総じてよそ者に対する敵愾心や不信感を持つ人は居ない様に感じた。



 追手に対する不安が大きく減ったのは、集会から帰宅したレイが、クウィーにその内容を話すのを聞いてからだ。


 魔獣が近くに潜伏している、そう不安に感じている人々に対して、家令の代理人は、砦は全焼しており死者は数名、生き残った全員は魔獣などは見ておらず、砦を襲った犯人を王の森に巣くう盗賊と断定し、賊を討伐するために、春の到来と共に募兵を開始する予定である事を話しただけで、レイの口ぶりからして、探し人や王都から捜索隊が、この村に来る等の話はなかった。


 少しだけ憂鬱な気分が晴れていたのだが、今度はクウィーの表情が暗くなるのに気が付く、そして次の日の朝になって彼女から用事を頼まれる。

「家族用の部屋に、怪我をして動けない兄のダリネスが居るのだけれど、騒ぐのが大好きで、毎夜広間に出て来ようとしてそれを止めるのが大変なの、お父さんはあんな感じで話し相手には向かないから、昼間だけでも話し相手になってくれない、そうすれば夜になる頃には落ち着いてくれると思うから」

 僕は快諾する。話をするのは少し苦手だけど何か役に立てるかもしれない。


「でも、春になると盗賊討伐のために募兵を始めるって話は、ダリネスの前ではしないでね、絶対に」

 クゥイーはそう念を押すと、僕を広間の奥にある家族の住まい招き入れる、暖炉が在る小広間の奥、横一列に三つの扉が並ぶ、一番右の扉に案内される。

 そこには、僕が泊めさせてもらっている部屋と同じ位の狭さ、扉から入った正面奥の寝台に、血の跡が残る包帯を胸に巻きつけた長身の人物が横になっていた。


「よう、親父に聞いた限りじゃ、相当な重傷人だって想像してたんだが、何だよ元気そうじゃないか」

 見た目の痛々しさとは裏腹に、体を起こしたダリネスは、まだ扉の握りに手を掛けている僕に話しかける。クゥイーの兄だから二十代中盤だろうか、僕は軽く自己紹介し寝台の傍にある椅子に座る。

 部屋の隅に傷だらけの胴甲と剣が置いてある。彼は兵士なのだろうか、砦の関係者なら僕の顔を知られている可能性がある。

「アービエル、ダリネスが出てこない様に見張っておいてね」

 クゥイーは出てゆく間際に念を押し、ダリネスは苦笑いで応じ、僕は小さく頷く。


「レミノスから来たんだって、まさか市民権保有者か? 聞くところによると市民権保有者ってのは小麦の支給を受けられる上に、王都では毎日の様に肉を食って浮かれ騒いでいるってのは本当かい」

 こちらから質問しようと思ったのだが、ダリネスは好奇心に目を輝かせて聞いてくる。ここで迂闊な発言をすれば警戒されるかもしれない、僕は知っている知識を総動員して答えた。


「いえ、僕が生まれたのは王都に近い村ですよ、森の中の何も無い場所で、父は各地で家畜を買い付けては、王都の肉屋に売っていました、一度城下に入った事がありますが、王都の事はほとんど何も知りません」

 それだけ聞くとダリネスは少しつまらなそうな表情をする。

「それにしても、まだ小さいくせに随分と落ち着いているな、その話しぶりはまるで三十代のおっさんの様だな、しかも教師みたいな感じだな。

 王都だとそんな話し方でもいいかも知れないが、こっちだと面倒な事に巻き込まれるから、普段は馬鹿の振りをしておけよ」

 一瞬だけ顔から血の気が引く思いがしたが、どういう意図なのか解らないが、初めて自分が同い年の子と違うのかと考えた。


「あの鎧はダリネスさんのですか、兵士だったのでしょうか」

 それを聞いてどうするというのか、もしも彼が砦の関係者だったとして、あの砦に居た兵士の多くが僕の事を何者かと知らされていなかった様に、彼も塔に子供が幽閉されているとだけしか知らない可能性もあるが、探りを入れすぎると怪しまれるかもしれない。

 運悪く先日の火事を起こした犯人の一味と思われて、この村を取り仕切る家令にでも引き渡されでもしたらどうする、家令の代理人は恐らく、自分に直接会った事も話しをしたこともある人物のはずだ、せっかく助かったこの身を危険に曝す事になるかもしれない。


「おう、放浪の果てに傭兵を二年程やってな、この有様だ」

 溜息をつきダリネスは包帯を巻かれた腕を上げてみせる、後悔している様に見えその表情だが、傭兵時代の思い出話をする彼は楽しそうだった。

 魔獣との戦い、次々と死んでゆく仲間、酒を飲み歌い浮かれた話、亭主がいる女性に手を出したのがバレてしまい、怒り狂う亭主とその仲間から逃げ回った話。

 神話や物語の中に登場する様な英雄の話ではなく、ありふれた話。


 次の日、僕が宿屋に運ばれてから十日が過ぎた頃、商人が宿に遣って来る。商人と言うには余りにも大柄で筋肉質な男、その見た目通り大きな荷物を軽々と持ち上げ二階の部屋にそれを運んでいた。従者が二人いるそうだが、彼らは部屋を取らずに、商品を守るために馬小屋の中で寝るそうだ。

 追手の可能性もあり、本当に商人なのかクウィーにそれとなく確かめるが、一度商品を買った事があるそうなので、安心してその日もダリネスの許に向かい雑談をする。


 南東の海に棲む魚の話を終えた後、ダリネスに商人の話をした。

「そいつ等は三人だけなのか、もしも本当に商人がこんな田舎に泊まろうなんて思うならば、護衛はもっと大人数じゃないと盗賊に襲われるぞ、それにそもそも何でこの村に来るんだ、一昔前なら銅山なんかで人の通りも多かったらしいが、今のこの辺りには、荷を捌く所も仕入れる所も無いぜ、夏になれば王様が来て、その食糧なんかの仕入れが有るかもしれないけど、それ以外では、この村は通る理由はあるかといえばないし、曳航されてきたとしても、荷物を態々降ろす必要はないし、やはり来る時期が少し早いな、そもそも今はもう砦は燃えちまって、暫くは王様も来る事なんてないだろうしな」

 そう言った所で、彼は何か気掛りな事でもあったのか黙り込み、しばしの沈黙の後に呟く。

「うん、砦の再建のために人手が必要になるから、準備の前段階で、商人達や大工を集めていたのかもな…… それじゃあ奴らが持つ荷は何なんだ、態々捌けない荷物を運ぶ理由は」

 少しだけ不安な表情をしてダリネスは言う、まだ何か引っ掛っている様で、その日の彼は何時もとは少し違い、お喋りをしている最中に思い出した様に真剣な表情をしては黙り込む。



 その日の夜の事、広間では酔っ払いたちが騒ぎ、真夜中を過ぎても笑い声が聞こえてくる、樽が割れたのか、誰かが酒樽の中に足を突っ込んだのか、酔っ払い達は大笑いをしている、久しぶりに旅人が寄ったものだから常連客は浮かれているのだろうか、暫く耳を澄ませて宴会の様子を想像していると、ダリネスの歌声が聞こえてきた。

「そうか、クウィーの許しが出たんだ」

 僕は若干の寂しさと安堵を感じつつ呟き、明日は何を話すべきか悩む必要がなくなったと思い眠りに就く。


 どの程度の時間目を閉じていたかは判らないが、突然目が覚めた、音がした訳でもないのに目が覚めた、外から聞こえて来る森の息遣いから、まだ夜明け前の様だ、暫くして何が起きたのか解らずに天井を見つめていると、下の階から大きな音がした、何事かと思い耳を澄ませているとクウィーの声が聞こえて来た。

 そのまま寝てしまおうかとも思ったが、何故だか無性に気になり階段を下り広間に出る、酒とクウィーの作った煮込みの匂いに、体臭や吐しゃ物の臭いがするだけで、広間には何も変化がない、しかしクゥィーがレイを呼ぶ声が聞こえた、その声から大きく動揺しているのが分る。


 広間の奥に在る扉の取手に手を掛けるが鍵がしてある、中に向かい声を掛けると、レイが落ち着いた声色で部屋へ戻り眠る様に促す、しかし、クウィーの叫び声は何が起きたのかを物語るのだが、それでもレイは同じ事を言って僕を中に入れる事を拒む。


 ダリネスは自らの腹に短剣を突き刺し死んだ。

 僕は彼の死を悲しむより先に、役人がこの宿に来ることで、僕自身の身に危険が降りかかるのではと不安になった。今すぐにでも旅立たなければならいと思うが、ここで姿を消せば、まるで僕が彼を殺した様に見えるので諦める、そして寝台の上に横たわるダリネスの遺体を腹正しい思いで見つめている自分に気が付き、その醜さに落ち込む。


 レイはダリネスの死を伝えるために、朝早くから神殿や村長の許に向かう。

 宿泊していた商人は宿を引き払い出て行くのだが、こういう時は殺人なのか自殺なのか調査が行われるので、彼らを引き留めなくてはならないのではないかと疑問に思っていたが、父親であるレイ自身がダリネスの死に際に立ち会っているので、医者と神官が宿屋を訪れて彼の死を確かめだけで全てが終わり、その日の昼にはダリネスの火葬が始まる。


 夜の仕込みを終えたクゥイーと共に墓地へ、火葬場も村から遠く離れた墓地の中にある。

 墓場には、毎日の様に飲みに来る人達が既にいて、壁のない柱に囲まれ、煙を流すために屋根の真ん中が空けられた石造りの火葬場、その中央には薪と柴が積み上げられており、その上にダリネスが寝かされていた、立会人として来た家令の代理に顔を見られない様にするが、代理の者は火葬税とダリネスの遺産の一部を要求すると直ぐに帰ってしまい、参列者の何とも言えない雰囲気が収まるのを待ってから、神官は神殿から持ってきた火種を薪に移す。


 積まれた薪全体に炎が回り黒煙が舞い上がる、それを見ながらクゥイーは言う。

「帰ってきてから様子が変になった。相変わらずお喋りが好きで、どうでも良いことを真剣に話すけど、急に何か別のことを考えて上の空になる事が多くなった、きっと沢山悪い事をして苦しかったのね。

 魔王との戦いがなく、マニシッサ河が自由に使えればこの先の街道も人の通りが多くて、もう少しこの村も賑わっていたはずだから、旅に出たいなんて思うことなかったかも知れない、旅に出ても傭兵に何てならずに、どこかでいい人を見つけて普通に暮らせていたのかもしれない、でも募兵官の甘言に乗るからこんな事になったのよ」


 彼女の言葉は、城の中に籠り怯えていた自分に言われている様で胸が苦しくなる。

「キミも気を付けておいて、お父さんが見つかればそんな事は気にもしなくていいけど、もしも、生きるために人を殺さなければならない職業に就く時、その時は何所に行っても居場所がないことを、故郷に帰って来ても人々にも家族にも恐がられ、仲間しか心を許せる相手がいなくなることを」

 僕は頷く、しかし何を思えばいいのか解らずにただ頷くだけだった。

「今度こそどこでも好きな所に行けるね」

 空高く昇る煙を見ながらクゥイーはそう言った。


 女の人達が運んでくれた食事を火葬場の外で食べた後、薪が燃え尽きるまで、大人は酒盛りを始めて踊り騒ぐ、夕刻になり火が消えた火葬場の中から骨となったダリネスは取りだされ、墓の中に埋められた、そしてその上には「よく呑み、よく話し、よく唄う」と刻まれた墓碑銘が置かれる。

「さぁ、今日も店を開けるから夜にまた来てくれ、女達も怖がらずに来てくれよな、売り上げが落ちちまうからよ」

 満面の笑みでレイはそう呼びかけると、これを合図に葬儀は終わりを迎えた。


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