46 ありがとう
弘幸君のお母さんは、私達が公園に入って来た途端、その場に泣き崩れた。
私も秋斗も慌てて駆け寄り、ベンチに座らせたり落ち着かせようとしたけど、いっこうに泣き止まない。
呆然としていた弘幸君を、秋斗がつつく。
お前の母さんだぞ。何か声を掛けてやれよって。
弘幸君は戸惑いながらベンチに近づいて行く。恐る恐る。
「・・・お、かあさん・・?」
その声は、本当に、蚊の鳴くような弱々しい声で、そばにいる私も聞き取れないくらいのものだった。
けど、お母さんはガバッと顔を上げ、両手を伸ばして弘幸君を抱き寄せた。
「ひ、弘幸・・・。弘幸、弘幸、弘幸、ごめんねごめんね、ごめんねぇ・・・」
親子の再会は果たされた。よかったよかった。
私達はとりあえず隅に退こうとしたら、弘幸君から「行かないで、そばにいて」と目線で訴えられた。困惑している様子がありありと伝わる。
「こんな状況で一体私はどうしたらいいんだ?」って顔に書いてあるみたい。
弘幸君の両手は、真っ直ぐにピンと硬直している。
いつもクールな弘幸君が年相応のただの高校生男子に見えておかしかった。
お母さんが落ち着いたところで、レジャーシートをひいて、いつものようにおやつタイム。今日は豪華にクッキーとマドレーヌ。
弘幸君とお母さんの和解をお祝いして、カップに入れたアイスティで乾杯した。
まだまだ二人の会話はぎこちなくって、全然親子っぽくない。
けど、これから何度も会ううちに変わっていくよね。うん。そうだといい。
お母さんは別居中だったお父さんにも連絡をとっていると話し、後日三人で会う約束も取り付けていた。
お母さんは今までの分を取り戻すかのように、積極的に話し掛けている。
戸惑いながらも、コクコクうなずき、カタコトで言葉を返している弘幸君。
お茶をおかわりして、お菓子が無くなる頃には、はにかんだ笑みを見せてた。
お母さんは目を潤ませて笑顔を返している。
それを見ながら、秋斗と頷き合う。
うん。これで、未来は変わった、かな。
*****
弘幸君とお母さんを会わせることができたその日の夜、私は先生の携帯に電話して、次の日、先生のマンションに行くことになった。
私達が部屋に入るなり、浅井先生は深く腰を折ってお辞儀をした。
「さくらさん、高木君、本当に、ありがとうございます。
私の為に色々と働きかけてくれて・・・、本当にお二人には感謝してます」
ゆっくりと上げられた顔は、浅井先生ではあるけれど、どこか違う雰囲気を
まとっていた。
なんていうか、穏やかになったというか、まあるくなったというか。
「未来に戻って、記憶が更新されました。
さくらさんが電話で話してくださったように、劇的な変化でした」
先生は目を閉じて静かに話す。口元に微笑みを浮かべながら。
「・・・以前、あなたの体験談を聞きましたが、本当に不思議な感覚ですね。
今までは、こんな風に感じたことはありません。
きっと、私は無意識に変化することを諦め、拒絶していたんでしょう。
引きこもりで、あちらでは寝るだけの生活でしたから、周りを見ることもしていませんでしたしね」
ははは、と照れ臭そうに話す先生。
「あー、ダメな大人だもんなぁ」なんて秋斗に笑って突っ込まれる。
「私の場合、以前の記憶も消去されないようです。順応性がよくないんですかね。無駄に記憶力があるからでしょうか。
二重の記憶を持っているので混乱しそうになりますが、なんとか受け入れてます。
あなた達と過ごした時の記憶も、ちゃんと私の中にあります」
そう言って浅井先生は、微笑んだ。
「本当に、ありがとうございます」
私達が弘幸君とお母さんとを会わせようとあくせくしてる間、先生は施設を法的に訴えて廃止にさせたらしい。
具体的には、子どもの管理体制の問題、人権や個人の自由が尊重されなかったことに対してなどなど。経験者だからよくわかるよね。
施設は閉鎖され、収容されていた子ども達もそれぞれの親の元に帰されたらしい。
子どもの弘幸君は何の疑問も持たずにただ従っていたけど、大人の浅井先生は、その気になればそれを変える力を持っていたってことだ。
もちろん弘幸君もご両親のもとに戻って、あの家で三人で暮らすようになったそうだ。天文科学を学べる大学に編入したことも話してくれた。
「あなた達は、私の人生を百八十度変えてくれました。
本当に、こんな風に変わるなんて。・・・驚くばかりです。
自分を愛してくれる両親と共に過ごすことができて、自分がやりたい研究に携わることができて。
こんな・・生き方があるなんて・・未だに信じられないくらいです」
ありがとうございます、と何度もお礼を言われた。
ハキハキとした態度。喜びと感動を素直に表してる、豊かな表情。
なんだか、今までの浅井先生とは違う人と話しているような気分になる。
ソファから立ち上がり、窓の方に歩いて行く浅井先生。
その手に握られているのは、タイムマシン。
「・・・タイムマシンを使えるのは、もうこれで最後なんです。
燃料が切れてしまいましたから」
「でも前は燃料を補充したって・・」
「その補充する燃料も、もうないんです。思えばタイムマシンは偶然に偶然が重なってできた奇跡の発明なんです。同じものは二度とできません」
先生は少し寂しそうに手元を眺めた後、顔を上げた。
「でも、それでいいんです。もう、必要ありませんから。
未来は変わりました。あなた達のおかげです」
先生が真っ直ぐに私を見つめる。
「・・・さくらさん。孤独だった私には、あなただけが希望の光でした。
その事実は変わりません。あなたがいたから、私は救われた。
本当にありがとうございます」
もう一度お辞儀をして、今度は秋斗君にも視線を向ける。
「十六歳の時、三人で過ごした時間は、私にとってかけがえのないものです。
あの時間があったからこそ、自分の進路を・・生き方決めることができました」
先生はふっと一度言葉を切った。
「・・・アキト、本当に感謝してる。私の友達になってくれてありがとう」
先生が、浅井先生ではなく、弘幸君として秋斗の前に出た。
「・・覚えてるかな? 私は君に言ったんだ。サッカーしてる時だったかな。
当たり前のように二人でいる君達がうらやましいと。
そしたら君は怒ってこう言った。
当たり前なんて思ってないって。おれだって必死なんだって。
それを聞いて、私は君には敵わないって思い知らされたんだ。
君は素晴らしい。
その、真っ直ぐさも、おごらない誠実さも。・・見習おうと思うよ」
「やめてくれよ。恥ずかしいじゃん」
照れくさそうに横を向く秋斗。
先生が手を差し出すと、二人は笑い、がしっと握手を交わした。




