29 ママに聞いたこと
夕飯をママと作るのは毎日私が楽しみにしている時間。
それなのに、つい、夕方の先生とのやりとりを思い出してため息が出た。
「あらあら、どうしたの? さくら。
ため息つくと、幸せがひとつ、逃げて行くのよ?」
優しい顔でにっこり笑ってくれるママ。
こんなに愛してくれる両親がいる私には、先生の気持ちは理解することはできないのかな。
私には・・先生の気持ちを知ろうとする権利もないんだろうか。
「ねえ、ママ。あのね、・・ちょっと、本で読んだ話なんだけど。
親が子どもを愛さないって、実際にあるのかな?」
突拍子もない私の質問に、驚いた様子のママは、包丁を置いて私に向き直る。
「・・・そうね、信じられないし悲しいことだけど、現実にそういうことはあるわ。ネグレクトって言って、子どもの世話をするのをやめてしまう親もいるし、虐待もある。
イライラを子どもにぶつけて叩いてケガをさせたり、殺してしまう事件もあるわ。
暴力までいかなくても、子どもに愛情を持つことが出来ない親もいるの。
・・・かわいそうよね。一番愛して欲しい人に愛されないのは。
特に、愛されたい子どもの時期にきちんと親の愛情を受けないと、不安定になるって聞いたことがあるわ。
自分に自信が持てなかったり、上手く人と付き合えなかったり」
さくら、と名前を呼ばれる。
ぎゅうっとママに抱き締められて、自分が泣いてるのに気づいた。
さっきからずっと、先生の顔が頭から離れない。あの悲しそうな目。
親から愛されないって、どんな感じなんだろう。
過去を変えたけど私の中に残っている記憶。
パパとママが仕事で忙しかったりケンカしてばかりだったあの悲しい日々。
愛されなかったわけじゃないのに、相手にしてもらえなかっただけで、私はすごくすごく悲しかったし辛かった。
親に愛してもらえない辛さは、一体どれほどなんだろう。
自分の存在を否定されるようなことを言われたら、どれだけ心に傷がつくんだろう。
「・・・さくらは優しい子ね。自分に関係の無いことでも、可哀想だと思うのは大事なことよ。もし自分の回りにそういう悲しい経験をしている子がいたら、優しくしてあげなさいね。
・・・心の傷は、月日が経ってもなかなか消えないものだから」
黙ってしまった私を、ママは優しく抱きしめて、ゆっくり頭を撫でてくれた。
あたたかいぬくもり。
私には当たり前のようにこうして与えられるぬくもりも、先生は何も知らないの?
どうして、どうして先生の親は、先生のことを愛してくれなかったんだろうという思いが膨らむ。
「・・・どうして自分の子どもを愛せないのかな?」
「どうしてかしら。いろんな理由があると思うわ。
でも。・・・たぶん、そういう人は、自分も苦しくて悩んでるって思うわ。
でもそれを聞いてもらえる相手もいなくて、それで子どもにぶつけてしまったり。
親も完璧な人間じゃないから。
誰か、回りが気づいて、助けてあげられれば防げることもあると思うわ」
難しい問題なんだなって思う。
「・・親がみんな、子どもが産まれた瞬間のあの喜びを忘れなければいいのにね」
「産まれた瞬間?」
「そうよー。おぎゃあって赤ちゃんが出てきた瞬間、ああ私、母親になったんだって
すごく感動するもの。それはどの親も一緒だと思うんだけどな。
赤ちゃんってお腹の中に十カ月以上もいるのよ。
その間は、重たいし苦しいしご飯を食べても気持ち悪くなって吐いちゃうこともあるし、腰も痛いし、本当に本当に大変なの。
でも、少しずつ膨らんでいくお腹の中で赤ちゃんが大きくなってるんだなあって思うと、愛おしく思うの。
だからこそ、産まれた瞬間って、ああ、やっと出て来てくれたって感動するのよね」
私達を産んだときを思い出しているのか、ママは目を閉じて柔らかく微笑んだ。
「産まれた時。そうだわ、それよ! ママ、どうもありがとう!
ちょっと、電話したいから部屋に行くね」
希望の光が見えた気がした。
私は大急ぎ手自分の部屋に行って、秋斗に電話した。
自分が産まれて喜んでる親の姿を見れば、先生だってあの頑なな態度を緩めるはず。
それしかない!




