23 先生の生い立ち
先生の運転は穏やかで、心なしかお腹の痛みも治まってきた。
「顔色が少し良くなりましたね、良かったです」
「先生ってけっこう強引ですよね。これからはもっと気をつけます」
ぷいと顔を反らせたまま言うと、あははと先生は苦笑いした。
「・・どうして、あなたを好きになったのか、私に聞きましたね。さくらさん」
先生は前を見ながら静かに話し始めた。
「私は、・・・誰からも愛されず、誰も愛さずに、ずっと生きてきました。
今まで、他人に対して、興味を持ったことなどありませんでしたから」
「誰にも? 先生、そんなこと言ったら、ご両親が悲しまれますよ」
私は当然のことを言ったと思った。
昨日の夜見てたドラマでも、不良少年が親の愛情で最後には更正するみたいのをやってたなーなんて思いながら。
でも先生から返ってきた言葉は一言だった。
「・・・悲しみませんよ」
「え?」
「私の両親は私のことを愛してはいませんでしたし、もう他界していますから」
「そ、うなんですか。・・すみません」
聞いてはいけない事を聞いてしまった。
さらっと何事もなかったような顔で平然と先生は続ける。
「ああ、気にすることはありませんよ。私は、異端児でしたから。
両親に見放されて当然だったんです。天才はいつでも孤独ってことですよ」
はは、と先生は軽く笑う。
でも目はちっとも笑っていない。相変わらず、悲しそうな目。
信号が赤になって止まる。
先生は前髪を少し上げて、額の傷をちょいちょいっと指さした。
「私は、三歳の時に脳の病気になり手術をしました。それがきっかけで、どういう訳か分かりませんが、私の脳は異常な発達を遂げました。
知能指数、IQはぐんぐん上がって、一度見たものは忘れなくなり、難しい数式なども理解できました。
でも、普通の子どもと一緒にはとても生活できません。
はっきり言って異常でしたからね。
私を扱い兼ねた両親は、私を施設に預けました。 そこでは、人間の脳について研究していて、私は恰好のモルモットというわけです」
信号が変わって車は動き出す。
先生は前を向いたまま淡々と話を続けた。
「アメリカの学校に通い、十五歳には大学も卒業し論文もいくつか認められて 博士号をもらったりしました。でも実際には、学校の講義と、施設での実験やテストをただ繰り返すだけの単調な毎日でした」
先生の話はドラマみたいで信じられないような話だけど、でも全部真実なんだってわかる。
それが先生の目にいつも暗い影が見える理由なんだ。
「十六歳で日本に戻ってきましたが、アメリカに行く前も、戻って来てからも、ずっと、一度も・・・両親は、私に会いに来てはくれませんでした」
また信号で止まる。
車の中の空気も止まっているかのように息がしづらい。
「・・・私が施設の寮を出て一人暮らしをしていた時。
二十歳になる前頃、両親が亡くなったと施設の職員から電話が来ました」
俯いていた私は驚いて、先生の方を見た。
先生は私の視線を感じたようでこちらを見て、苦笑した。
「私は未成年だったので、葬儀も施設の方がすべてやってくれました。
私は、・・柩に納められた両親の顔を見ても、悲しいとも辛いとも、何も感じませんでした。
ずっと、施設では親はいないのだと言われて育っていましたし、顔も何も覚えていませんでした。まるで他人です。
・・・知らない人の死を悲しむのは難しいことですから」
そんな風に言って、ははと小さく笑う。
ゆっくりと車が止まる。家の近くにある空き地の前だ。
私はカバンをぎゅうっと抱え込んで、溢れ出しそうな何かの気持ちを抑えていた。
・・・なんだろう、なんで、こんな気持ちになるんだろう。
全く他人の、先生のことなのに、なんで・・・、なんで私がこんなに悲しい
気持ちで胸がいっぱいになるの?
もやもやした気持ちでいっぱいだ。
「・・・その後、あなたに会ったんです。
あなたに会って、一目で私はあなたに心を奪われました。
こんな気持ちを持ったのは、初めてなんです。
あなたに会った日は嬉しくて、あなたのことを考えるだけで信じられないくらい胸が高鳴りました。
心なんて無いと思っていた自分にも、こんな感情を持つことができるんだと驚きました。
あなたに会って初めて、私は人としての温かい心を取り戻したように思いました。だから、・・あきらめたくないんです。あなたのことは」
そう言って先生はほほ笑んだ。優しい、穏やかなほほ笑み。
堪らずに私は叫んだ。
「やめてくださいっ! そんな・・そんな風に、笑わないで下さい。
自分の親が亡くなったこと、そんな悲しいこと・・・わ、笑って話さないでっ!」
声が震える。
私はぐっと唇を噛んだ。
「あ、な、泣かないで下さい。さくらさん・・」
「泣いてませんっ! どうして私が、先生のことで」
おろおろする先生をキッと睨んだけど、涙がこぼれて、私は自分の腕でぐいっと拭った。
なんで私が先生のことで泣いたりしなきゃいけないの。
「あなたの、そういうところが好きなんですよ、さくらさん」
「わ、私、降ります!」
先生の手が私の頬に伸びて来たので、私は慌てて車を降りた。
「お、送っていただいて、ありがとうございました!」
一応軽くお辞儀をして、車のドアは叩き付けるような勢いで閉めてやった。
よく分からない涙を堪えて、私は家まで走って帰った。




