18 朝練
部活動の朝練は原則七時半からということになっている。
それは坂西高校も同じ。だから秋斗はうちに迎えに来てくれて一緒に登校する。
高校が近くてよかった。
弓道部の朝練はみんな遅い。朝が弱い人が多いのかな。
八時過ぎるとやっと、二、三人来るくらいで、最初の十五分くらいは私一人。
朝練は時間が短いから、袴に着替えずに制服でもオッケー。防具だけ付けて、弓道場に出る。
朝の、この静かな空間、シーンとしたこの感じがとても好き。 貸し切りだし。
何本目かの矢を射った時、後ろからパチパチパチと拍手がして、振り返る。
「いやー、お上手ですね。さくらさん。入部して一カ月とは思えません」
そこには浅井先生の姿があった。
「せ、先生? 何しに来たんですか?」
「何って。・・冷たいですね、さくらさん。私も練習しようと思いまして。
他の部員の方はいないんですか?」
「もう少ししたら、みんな来ます」
「そうですか。私はあなたと二人きりで嬉しいですけど」
さらりと凄いことを言われて、顔が熱くなる。からかわれているんだろうか。
先生はスーツの上着だけ脱いで、胸当てをつけて、用意し始めた。
顧問とは言え、まさか朝練にまで来るなんて。
・・早く誰か来ないかなあ。陽菜ちゃん・・はあまり期待できそうにない。
いつも遅刻ギリギリなんだもの。
先生は私のすぐ横に並んだ。礼をして、弓を構える。
人のことはほっといて、私も練習しよう。
・・・全然、的に当たらない。さっきまで快調だったのに。
思わずふうっとため息が漏れる。
「・・すみません。私がいると、お邪魔なようですね」
「あ、いえ。先生のせいじゃありません。私、いつもそうなんです」
自分の矢が当たらないのを人のせいにするのは嫌なので、一応言っておく。
先生がいて気が散ってるのは事実だけど、それは先生に限ってのことではない。
「私、駄目なんですよね。人がいると、変に緊張してしまって。
一人だと集中できるんですけど。まだ人前で当てたこと、一度もないんです」
「あー、その気持ち分かります。私も初めて教師になって教壇に上がった時は、 自分でも驚くくらいガチガチに緊張してしまって。頭が真っ白になって、考えていた自己 紹介の挨拶も全部吹っ飛んでしまいましたからね」
「あ、覚えてます、それ! だからあの時、無言だったんですか?
あれ、当時すごいウワサになりましたよ。新しく来た理科の先生はしゃべらない変人だって。 ・・あっ、す、すみません」
「はは。いいんですよ」
かなり失礼な私の発言に、先生は楽しそうに頭を掻いて笑う。
「・・私もそうなんです。予想外の出来事とかにもすごく弱くて。
すぐにパニくっちゃうんです。弓道部に入ったのも、メンタルを鍛えるためというか。自分でそういうのコントロールできるようになりたいって思って」
「そうですか。自分の欠点を理解し、向き合うことはとても意味のあることです。 偉いですね、あなたは。
昔読んだ心理学の本に、緊張をほぐすためには深呼吸をし、自分の好きな物を五つ、思い浮かべるといいとありました。
心に余裕を持つことが大事なんでしょうね」
「好きなもの・・」
ココア、クッキー、卵スープ、・・・思わず言われる通りに好きなものを頭に思い浮かべる。大好きなお菓子に並んで、秋斗の顔がポンと出て来た。
・・いけない!
こんなとこで二人で談笑してるなんて知られたらまた怒られちゃう!
「あのっ、今日は私、もう行きます。先輩たちももうすぐ来ますから・・」
「待ってくださいっ」
背を向けたその時、腕を掴まれた。
「今、私から逃げるのは、高木君のことを思い出したからですか?」
「っ、そうです。は、離してください」
「あなたの心にはいつも彼がいる。・・・私が入る余地は、これっぽちもないんですか?」
「そう、です!」
「でも、今、あなたの目の前にいるのは私です。お願いですから、さくらさん。
私にも目を向けてください。
彼がいるからという理由だけでは私は諦めることなんてできません。
・・・私には、あなたが必要なんです」
先生の真剣な声に、私は視線を上げてしまった。
途端に、彼の真っ直ぐな瞳に捕らえられる。
いつか、先生の部屋で感じた、警戒音が頭の中に響く。
逃げなくては、と思うのに、パニクってぐるぐる掻き混ぜられた思考回路はまともに働かない。
腕を握られたまま、先生の顔がそっと近づいた・・。




