第四話 『治外法権』
王国、ようやくツーダ先生の本性に気が付く(`・ω・´)
「M.D.ツーダ卿に関する最終報告書」
王国枢密院
原則、非公開。国務大臣、高等法院の担当者による推薦を経て、国王陛下の認可を得たものにのみ閲覧を許可する。
枢密院における集団昏倒事件について、高等法院、魔導研究所が調査を行ったところ、神聖契約違反に対する呪詛の初期段階だと確認されました。
結論から申し上げますと、M.D.ツーダ卿と我々の間に成立している神聖契約は調査の結果、事実上の治外法権をM.D.ツーダ卿に"永続的"に与えるものと判明しました。
第一に、M.D.ツーダ卿は『誠実である』という相互の協定に対し、自己束縛型の神聖契約を導入することで「それは、私の誓いに対し誠実ではないので」と逃げる術を有しています。
参考までに、列挙いたしますと異世界の神に対し、彼らは以下の契約を結んでいます。
『術を教えてくれた師を実の親のように敬い、師に対する奉仕を忘れることなかれ』と。
同条項には、更に、師の一族に対する敬意と義務を含む条項もあるようですが、此処では細部を省いております。
悲しいかな、この世界にかの者を指導しうる師はおりません。
重要な条項として、
『全身全霊をかけて、専門職の名誉と高貴なる伝統を堅持する』
『いかなる他の要因の斟酌であっても、私の職務と私のクランケとの間に干渉することを許さない』
という規定が二点あり、つまるところ、ある種の同業組合の権利をかの御方は保持しているということになります。
王国は、誠実にそれを守るべき義務を有し、M.D.ツーダー卿がこの自らの制約に忠実である限りにおいて、如何なる干渉も行いえる立場にありません。
第二に、M.D.ツーダ卿は、わが国における『不逮捕特権』『前述の専門職遂行に対する一切の干渉排除』の権利をお持ちです。
卿が要求された、権利の保全は、つまるところ、これらの文脈を含むものであり……ある種、悪魔の契約でした。
我らは、それを理解しえておりませんでした。
……いずれにせよ、我々はM.D.ツーダ卿がご自身への誓いに誠実である限り、かの方の行動を一切束縛することがなしえません。
今回は、我々の認識不足という要素があったことを考慮し、神聖契約違反のゆりもどしは『極めて穏やかかつ限定的』な規模でありました。
にも関わらず、事実上、契約に立ちあった全関係者が昏倒ないし、重度の不調を訴えられたという事実を考慮すると、事実を認識した上での契約違反は想像だにできない大惨事を招きかねません。
……神よ、我らの魂をお救いください。
ツーダ先生の朝は、遅い。
いや、厳密に言うならば『この世界では相当に』遅い。
なんなれば、ツーダ先生の生活リズムは基本的に朝決まった時間に起きて、決まった時間に寝るという近代型の生活なのである。
悲しいかな、太陽の昇る僅かな日照さえも惜しんで飛び起き、日が沈むころには家にかえるライフスタイルをツーダ先生は想像だにしえない。
二度寝の甘美な誘惑を跳ね除けようにも、今のツーダ先生には当直も、大使館での煩雑な業務も、一切がないのである。
もう30分くらいは眠ってもいいよね、とツーダ先生はついつい二度寝に浸ってしまう。
ベッドが硬かろうと、宿直室の硬い寝床や大使館のソファーに倒れるようにして寝るよりはよほどマシ。ツーダ先生にしてみれば三食昼寝つきの異世界生活は『やることがない』という点を除けば総じて頗る穏やかなものであった。
その静寂がかき乱されたのは、突如としてドラゴンの診察を命じられたときだ。
海兵隊のこわもて軍医連中と総領事館時代にフロリダ中で遊んでやったツーダ先生にしても、ドラゴンを相手に毅然と対峙するのは若干怖かったといえば怖かった。
流石のツーダ先生も、ドラゴンに関節技を決める自信はない。
が、それでも自身の医師としての誇りにかけてツーダ先生は断言したのだ。
それは私には出来ません、と。
なんなれば、ツーダ先生はドラゴンの体の仕組みなど何一つとしてしらない。
というか、見るも初めてである。
空を飛び、火を噴くドラゴンの疾病など、それこそ魔法使いにでも相談してくれよ、といいたいほどだ。
が、診れないという言葉がどうも翻訳の都合か何かで誤解されたらしい。
お陰で、と溜息を漏らしながらツーダ先生は顔を青ざめたお役人と、激怒するドラゴン夫妻の様子に唖然としながら、『ちょっと署で話を聞こう』という顔面の衛兵達に引っ立てられる羽目になっていた。
幸い、というべきか。誤解は直ぐにとけたので、無事に解放された。だが、その時になってツーダ先生はようやく『異世界で診療する』と軽々しく考えていた自分の思考がいかにのん気なものだったのかを悟ったのだ。
ここは、異世界だ。
今までの、常識や経験は……疑ってかからねばならない。
免疫系はどうなっているのだろうか?
栄養状態や、特に重要なことだが、衛生状態はどう違うのか?
いやそもそも、人体の構造は自分の知っている人間と同一なのか、という疑問。
だが、そんなものさえも、『ドラゴン』に比べれば微々たる差異かもしれない。
或いは、獣医師の専門だろう、と叫びたいほどだ。
しかし……では、だからといって、言葉でもって自分に『どうかわが子を』と願うドラゴンの母親に対して、『あなた方は人間ではないので』と断って診療を断り続けることが自分に出来るだろうか?
その物思いに耽り、うろうろと自分に宛がわれた市立病院の待合室ほどはあろうかという広大な一室で彷徨いながらツーダ先生は煩悶する。
自分は、ドラゴンのことなど何一つとして知らない!
だが、だが、それでも、だからといって……知らないからといって、見捨てることなど出来ようか?
彼らもまた、知性ある存在として、普通の親として子供を愛する心を持っているのだ。
医は仁術であらねばならない。
……ならば、何を迷うことがあるだろうか。
「は? ドラゴンの死骸……ですか? 竜骨や、皮ではなく?」
この男は、何を言っているのだろうか?
内密に枢密院が新設した『特命参事官』の貴族。
彼は、今、自分の耳が捉えた言葉を理解しかねていた。
解剖したいから、献体を集めてもらえないか、というM.D.ツーダ卿の要望。
それは、『研究を補助』するという王国の契約上、断れない要請だ。
どんなおぞましい研究であろうとも、王国はそれを封じれない。
そうである以上、せめて悪影響を最小限にとどめようという上役達の必死の想いを背に『特命参事官』らは戦々恐々の思いでM.D.ツーダ卿の要望を聴取し、恐怖する。
「ええ、最初は豚でも構わないんですが……やはり、構造を知るにはドラゴンを始めとする他種族の体を実際にひらいて見ないと分からないことも多いですので」
「し、失礼、豚とは、家畜のポークのことですか?」
会話の流れて、出てくる『献体』とは、つまり死骸だ。
それも、火葬されていない死んだばかりの、遺骸。
事もあろうに、その遺骸という概念をこの男は、家畜とたとえてみせる。
ポークでもいいのだけど、できれば他種族の遺骸をばらばらにしてみたいなぁ……と。
何かの勘違いではないか、と恐る恐る一縷の望みに縋って、アレのことですか? と従者に連れてこさせた彼ら。
その願いは、あまりにもむなしいほどにあっさりと否定される。
「ええと、はい、ポークとはそこの家畜のことですよね? なら、間違ってませんよ」
「そうです、アレはポークです。失礼、ではそのポークでも構わないのであれば……ポークだけではいけませんか?」
「卿、ポークであれば、我々はそれこそ潤沢に供給できる自信があるのですが」
まさか、知的生命体の遺骸をポークと同列に語る存在がいようとは!
頭がどうかしているのではないかと忌わしい発想に恐怖しつつも、懸命に感情を押し殺して彼らはどうか、ポークだけではいけませんか、と話を誘導する。
知的生命体の死骸でなくとも、ポークならば幾らでも供給してみせるので、どうか、ポークで我慢してはいただけないだろうか、という懇願。
「いや、そういうわけにはいきません。やはり、本物で学ばないことには……」
「し、しかしですね? M.D.ツーダ卿、ドラゴン族の習慣として遺骸は鳥葬されるものであり、その遺骸にみだりに触れることは……」
「ああ、その、同意を得ることが難しいのは理解しています。ですので、急いでとは申しませんよ」
理解を示すようで、その実まったく頑固な拒絶をしめす物言いに『特命参事官』らは愕然とする。
強いて急いで要求こそしていないものの、それは、暗に、『そのうちにもってこい』と要求する態度だ。
王国法は遺骸で知的生命体が各々有している習慣や習俗への尊重を義務付けているとはいえ、しかし、必要に応じての例外は認めるだろう。
そして、このM.D.ツーダ卿は……いつ、如何なるときも殆ど王国法から独立して行動する権利を有している。いわば、治外法権の塊だ。
「それまでに、できればええと、純人族と幾つかのエルフやリザードマンといった種族の献体を頂ければありがたいのですが」
「……それらの種族の習俗を考慮しますと困難ではありますが、最善を尽くすお約束をいたします」
だから、と誰もが長袖の内側でそっと拳を握り締め、おぞましい研究の片棒を担がされる嫌悪感をごまかしながらあくまでも事務的に話を進めていく態を装わざるを得ない。
エルフを、リザードマンを、そして、事もあろうに同胞の純人族をまるでポークのように捌きたいと語る存在と同席したい純人族は居ない。誰だって、自分のことをポークの同類のように扱う存在と親しく交われる道理がないだろう。
だから、『特命参事官』らは確信するのだ。
目の前で、どうということもないように語るこのM.D.ツーダ卿は、外見はさておくとしても本質的に純人族などでは絶対にあり得ない、ということを。
「ああ、それと、それを保存しておく為の施設と機材を手配していただけると助かります」
そして、その一言はまるで雷の直撃でも受けたかのような衝撃を彼らに及ぼす。
保存?
……何を、この男は、保存するというのか?
「……ほ、保存とは?」
声が震えている、と同僚を咎める『特命参事官』はこの場にはいないだろう。
いっそ、知りたくない答えというやつがあるとすればこの質問が正にそれだ。
何を保存するのか、この会話の流れで察することが出来ないわけがない。
だが、それでも。
どうか、違っていてくれ、と吐き出すような思いを胸中で彼らは抱いている。
否、抱いていた。
「解剖した後、臓器や各種器官を保存して研究しようかと思っていますので、できれば保存用の瓶とできればホルマリンとエタノールがあればいいんですが、これもおいおい試行していこうと思います」
淡々と、ごくごく簡潔に、それこそ、明日の晩餐会のメニューを語るホスト役のようにしたり顔で語るM.D.ツーダ卿の表情にはコレといった感情の起伏も見られないではないか!
彼は、……それを、極普通の会話として行っている?
「ああ、その、失礼ですが、それらをどこで行われるおつもりですか?」
だから、その時点で考えることをやめた『特命参事官』はもっと肝心の話題に話を逸らす。
おぞましい研究はその内実を聞くだけでも、彼らの正気が損なわれていくもの。
死者を冒涜させるのを翻意させられない以上、これ以上、聴きたくもなかった。
そうである以上、彼らは上役が最低限、これだけは確保しろと要求してきた一点を龍の顎に飛び込む思いできりだしていた。
「そうですね、やはり医学研究ということもありますし、できれば献体を手に入れやすいであろう王都でやらしていただければと思います」
「わ、分かりました。ひ、必要な機材と献体、とやらについてはこちらで善処いたします。あ、ああ、そうでした。こんな肝心なことを忘れてはいけませんね!」
王都で研究するということを以前から、M.D.ツーダ卿が要望されていたことは仄聞していた。
事実、彼は、王都で研究したいと口したのだから……この機を逃すわけにはいかない。
「はい?」
「M.D.ツーダ卿の技量を疑うわけではありませんが、その、お一人では出来ることには限りがあると申します。さりとて、重要な研究を任せるに足る人材というのは貴重なもの」
この邪悪な研究を、どうにか制御しなければならないとすれば。
首輪に鈴をつけるのだ。
それも、飛び切り優秀な連中で、幾重にも固めて。
「市井の中からそれらの有為な人材を見出すことは、非常に貴重なお時間を奪う手間とならないかと王国の人間としては申し訳なく思うばかりです」
幾度となく、言いよどまぬように練習さえ繰り返した台詞。
始めは、こんな台本などなくとも言葉を紡げると上役の慎重さに苦笑したが、今ならば、分かるのだ。
『特命参事官』というたいそうな肩書きと、昇進を約束されようともこんな仕事、引き受けるべきではなかったのだ、と。
「いかがでしょうか、M.D.ツーダ卿、研究の成果を一部なりとも枢密院にご報告いただくという代わりに王国から卿の手足となる人材を派遣できるのではないかと思いますが」
「それはありがたい話ですが……それらのものへ十分に給与を払えるかという問題や、助手としてやっていけるかという問題も……」
「ああ、言葉が足りませんでした。ええ、もちろん、その、教育は卿にお願いさせていただくことになりますが、それらに必要な資材、資金はコチラで当然負担させていただきます」
早く、早くこの会話を終わらせなければ。
「どうぞ、卿の研究を存分に進めていただき、王国に成果を還元していただければと思うばかりなのです」
「わかりました。では、申し訳ありませんが、よろしく頼みます」
「はい、お任せください」
そう、コレでいいのだ、と『特命参事官』らは一様に内心で安堵の念を漏らす。
これで、これで、この怪物を監視するのは自分達ではなくなるのだ。
おぞましい研究報告書を読まねばならないのは、上役らだろう。
ああ、と彼らはそこで気が付く。
王都での栄進など、もはや、どうでもいい。
自領にはやく、引きこもろう。
……体調と信仰を理由に、すれば、引き止められても振り切れるだろう。
だから、今は、辞表を出すことしか彼らの頭には残っていない。
日本の医学部は龍体解剖学も導入していないこまった医学会。いったい、異世界の医療をなんと考えているのだろうか(´・ω・`)
人族中心主義?