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第三話 『診療拒否』

王国枢密院 告示


ハイニート山のドラゴン評議会より、外交案件。


先日の審問術で王国が呼び出した呪術の専門家、M.D.ツーダ卿に対し、同評議会のドゥ高等顧問官よりご子息の解呪依頼が寄せられた。


王国枢密院は本件を近隣諸勢力との緊張緩和に資するとして受諾。


M.D.ツーダ卿に対し、知識の及ぶ限りにおいてドゥ夫妻のご子息に対する助言と措置を取られることを依頼、要望する。

「どうしてですか!?」


何処の世界だろうとも、子供に対する母親の愛情というものは本物だ。


「申し訳ないとは思いますが……診れないものは、診れません」


「何故です!? 何故、うちの子供は診てくれないのですか!? お金ですか!? お金ならば、お支払いすます。なんならば、評議会の公式手形でも、ソリドゥス金貨でも、南海公社債権でも、支払いの方法はなんでもいいんです!」


わが子を襲う苦しみに対して親御さんが慌てふためく姿。

それは、子供に対する親の愛ゆえの苦しみだ。


時として、だから、看護者と小児のお母さんやお父さんとの間に難しいやり取りを迫られることもツーダ先生は知識では知っている。


まさか、自分がそんな難しい判断を、しかもこんな異世界で繰り広げる羽目になるとは流石のツーダ先生も予期しなかったが。


いや、もちろん医務官として海外赴任中に邦人から『どうして、貴方が診てくれずに現地の病院へいかねばならないんですか!?』と詰め寄られた経験とどっこいどっこいと言えなくもないのだが。


だが、それでもツーダ先生にとって現在の状況はやっぱり異世界では親の愛情もまた現し方が違うんだろうなぁと突然積み上げられ始めた金貨の輝きに唖然とせざるを得なかった。


これでもか、と母親がぶら下げていた袋から取り出すのは山盛りの金貨。

正直なところ、物価を理解できていないツーダ先生にとってさえ、それが大金だということは周囲に並んでいる王国の官吏らが息をのむさまで容易に察することができる。


「……ああ、その、奥さん。お金の問題じゃないんです。それは、受け取れません」


だが、それでも良心に従ってツーダ先生はそのお金を受け取ることが出来ないのだと口にせざるを得ない。


そんなことは、できない。


「そんな! 王様はみれても、私の可愛い赤ちゃんは駄目だというんですか!?」


「そうは申し上げていません」


別に、身分やお金で差別するつもりはない。

そんなことをした日には、たぶん、自分自身をツーダ先生は許すことができないだろう。


「じゃあ、何でですか!? 何が、問題なんですか?」


「ですから、私はM.D.です。ご理解いただけませんか?」


彼は、誓った身なのだ。


自身の能力と判断に従うのだ、と。そして患者さんに利すると思う治療法を選択し、害と知る治療法を決して選択しない、と。その上で、自分の医学を人類への奉仕の為に捧げるという誓い。


ツーダ先生はその神聖な契約を今日、この日まで固く誓いを守り抜いてきた。

そして、明日もまた同じようにその誓いに忠実にあるだろう。

かくまでも、医療に対して誠実であるということこそがツーダ先生にとって譲ることが出来ないM.D.としての矜持であり、同時に自分自身の良心に基づく己の信条なのだ。


「ええ、呪術に詳しいと。……失礼ですがM.D.ツーダ卿、私達夫婦の忍耐も限界なのです。本音で話しませんか?」


気持ちは、理解できる。

あなた方の気持ちも、分かりますと頷きたい。


世界は違えども、しかし、親子の絆にほだされない訳がないだろう。

平均余命や5年生存率について淡々と語れる医者だって、木石というわけではないのだ。

血の通った心ある医師として、ツーダ先生は悲痛な思いを察するに察してあまりがある。


そのツーダ先生は、今や、しかし、自分を頼って遠方より出向いてくれたご夫婦のお子さんを診る事はできないのだとも知っている。


こちらを見つめるいくつもの眼差しが、どうか、と自分に期待しているのは痛いほどに感じていた。


どうか、診てください、と縋るような母親の眼。

わが子を、どうか、と無言で頭を下げてくる父親の思い。


その全てが、しかし、ツーダ先生に期待してくるということを物語る。


自分の知識が頼りにされているのだと理解するツーダ先生としても彼らが望んでいることに対して、力になることができれと思わないでもない。


だが、ツーダ先生は知っているのだ。

自分は、無力だ、と。


「ですから、申し上げた通りなのです」


こちらを、見つめている必死の夫婦の懇願に彼は応じることが出来ないのだ、と。

だから、淡々とした口調で、ツーダ先生はままならない患者さんに対してその事実を告げる。


「できません」


彼は、医師である。

そして、誠実な医師である。


だからこそ、ツーダ先生は、そんな診療行為を行うことが自分には許されていないと知っている。


彼は、子供さんを診る事はできない。

第一に、器具が乏しい。

それこそ、問診で聞くぐらいしか患者の容態を把握することはできないだろう。

言葉が通じたとしても、子供に自覚症状を説明してもらうことは非常に困難だ。


……いや、それ以上に。


仮に意義ある返事を得られたところで、いかほどに意味があるだろうか?

なんなれば、彼は、知らないのだ。


「……幾らですかな? 高価な秘薬や、深奥を覘いた英知に対する報酬を惜しむつもりはありません」


「いえ、その、私の立場を……」


そりゃ、確かにあなた方からの報酬はすごいんでしょうと口からでかかるツーダ先生だが、しかし、彼は自分の置かれた立場を知っている。


確かに、ご夫婦のお子さんは患者さんかもしれない。

だが、それは、自分の診る事ができる患者さんではないのだ。


何度なく繰り返した言葉で、その言葉がご夫婦にとって悲しい現実を告げるものであっても、ツーダ先生は告げざるを得ない。


私では、力になれないのだ、と。


だが、その言葉を口にしようとしたところでツーダ先生は夫の方が失礼、と挟んだ言葉によって発言の機会を逸らしてしまう。


「失礼ながら、貴方が身分制を気にされているのならばはっきりと申し上げましょう。私は評議会で高等顧問官の地位を頂いています。王国との関係で言えば、それは宮中における伯爵相当の扱いを受けられる規定をご存知ですかな?」


そして、その言葉を耳にしたツーダ先生は咄嗟に反駁していた。


「そんなことは、夢にも思いませんでした!」


たとえ、それが、貴族様の要求であっても同じだ、と。

ツーダ先生には細部が良く分かっていないのだが、王国というからには王政で、だから、貴族階級が存在することも理解はしている。


だが、ツーダ先生は、身分を理由に診療を拒否するということはしていない。

否、誰だろうとも、病院の敷地に入った患者さんであれば救う為に全力を尽くすことに異論はないのだ。


「……繰り返し申し上げますが」


「失礼、誤解されたならば謝罪します」


「M.D.ツーダ卿、もちろん、私達はあなたの知識と経験に深い敬意を払う方法が金貨だけであると申しているわけではありません」


悲しいかな、ツーダ先生は幾ら金貨や地位を問題にしているのではない。


「お望みのご要望があるならば、私達夫婦の名と、一族の名誉にかけて誓約致しましょう。私達の子供を救う為にならば、どのような至宝ですら私達には子供の命の前に意味をなさないのです」


旦那さんの懇願にも。


「どうか、お知恵をお貸しいただけませんか?」


奥さんの懇願にも。


「……M.D.ツーダ卿、枢密院からもお願いさせてください。ご夫婦は、国王陛下の解呪に成功されたあなたの評判を耳にされ、ぜひとも遠方よりお越しいただいた方々です」


ご夫婦を案内してきた王国の官吏からの口ぞえにも。


「無理なものは、無理なんですよ……分かっていただけませんか?」


ツーダ先生は、悲しかろうとも告げざるを得ないのである。

それは、無理なのです、と。




「……失礼、何が、無理なんですか?」


「いや、だって、ドラゴンじゃないですか」



そうして、しばしの沈黙後、問われたツーダ先生はぽろり、とその言葉を無意識のうちに零していた。


『ドラゴンじゃないですか』と。



「……は?」


「……ナンダ家のツーテ卿、それが、王国の回答と見做して宜しいか」


自分の前で、巨大な龍体と、王国のナンダ・ツーテ卿が押し殺した声で短くも激しいやり取りを繰り広げるのを視野に納めつつ、しかし、ツーダ先生としては天を仰いで自分の無力さを嘆くしかない。


M.D.ツーダは、確かに、医療に携わる人間だ。

だが、自分のこの手は……異世界にあって助けを求めてくるドラゴンを救うことは出来ないのだ、と。



「……あ~その……すみません、M.D.ツーダ卿、いま、ドラゴンだから無理だ、と仰られましたか?」


「ええ、その通りです。私は、こういってはなんですが、ドラゴンなんて診れませんよ?」


「いや、そこをまげてお願いします。どうか、なんとかなりませんか」


「無理なものは、無理ですよ。誠実でありたいとは思いますがね」


だから、ツーダ先生ははっきりというのだ。

自分は、ドラゴンを知らず、診ることなどおこがましい、と。


それは、動物実験以下の悪行だ。

なんなれば、とツーダ先生は知らないのだ。


「け、警告します、M.D.ツーダ卿!」


「いやぁ、私も可哀想だとは思いますけどね? だからといって、やれることとやれないことはありますよ」


ドラゴンの生理学なんて見たこともないし、読んだこともない。というか、医学部の教育に龍体解剖学なんて講義は一コマもなかったのだ。


幾ら、自分が36時間当直勤務にたったあとでなお患者さんの診察を行える体力の持ち主でも知らなければ無理なのだ。


「M.D.ツーダ、貴方を逮捕します!」


「は? ……なんで?」

宛 王国枢密院


【緊急】


M.D.ツーダ卿は、ドゥ夫妻のご子息に対する呪術的助言を拒否されました。


それも、王国枢密院の係官に複数の目撃者と、ドゥ夫妻の眼前で、【ドラゴン】を口実として、です。


……こともあろうに【種族差別禁止法違反】の現行犯でした。



現在、ドゥ夫妻の告発を受理した高等法院に対し、ドラゴン評議会の特使が派遣されてくる旨、緊急の連絡もありました。


……神よ、王国をお救いください。

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