プロローグ
ツイッターで遊んでたら、ふと、書いていた(`・ω・´)
インフルエンザ関連の邦人向け講習会に参加する際は、なるべくならば『白衣姿』で参加してくださいと念を押されたのはたぶん、イメージの問題なんだろう。
自分としてはスクラブの方が楽だとしても、世間一般ではまだまだ白衣のお医者さんという先入観が強いらしい。
だから、というべきだろう。
某国に設けられた日本国大使館付医務官こと自分、ツダがこれこそドクターとでも言うべき白衣にネクタイの古式豊かなお医者さんスタイルで溜息を漏らす破目になっていた。
海兵隊や空軍の連中と、体力を競える自信を北米赴任中に養ったつもりでも、やはり、北米発の成田経由で新任地入り直後に、『医療相談』を兼ねた講習会は強行軍だったのだ。あまり好みではないのだが……こんなことならば、時差ぼけ対策に機内で軽い睡眠導入剤でも飲んでおくべきだったのかもしれない。
一応、成田の薬局でビタミン錠剤の瓶を買ってかばんに放り込んでおいたので寝る前に飲んどこう。
まあ、今となっては過ぎたことである。なにしろ、前任地のフロリダ総領事館を出る前にツダ先生は色々な業務やごたごたに追われてしまっていた。お陰で、前々から立てていた計画がおじゃんになってしまったところから予定は齟齬をきたしていたのだ。
こればかりは、巡り会わせというヤツである。
そうして、ちょっときついなぁと心中では嘆きつつもツダ先生はきちんと前任者の纏めた概要と、現地事情を踏まえた各家庭で可能な感染症対策を丁寧に説明し、その後は邦人らから寄せられる細々とした相談に応じて無事に講習会を終えたところだった。
そうして宛がわれたスペースでうーんと背伸びし、濃い珈琲が無性に欲しくなっていた先生は給湯室へと足を向けていた。
「あ、ツダ先生。ご苦労様です。もう終わられました?」
「ええ、もう皆様、お帰りになられましたよ」
ご苦労様です、とお互いに頭を下げつつ挨拶を交わしたばかりの若い書記官が紙コップに珈琲を入れて差し出してくれるのを受け取るとツダ先生は一口味わい、ああ、意外といいな、と気に入っていた。
存外、しぶいインスタントかと思っていたもののそこそこいける味。
「どうです、ツダ先生? うちはそこそこ珈琲党が多いのでインスタントですけど、そこそこいけませんか?」
「ええ、大丈夫です。これは、ありがたい」
「たいしたお詫びにもなりませんが、是非、お好きなだけどうぞ。着任早々に在留邦人向けの講習会と相談会をお願いしてしまい、申し訳ありませんでした」
申し訳なさそうに頭を下げてくる書記官に、大丈夫ですと笑いながらもう一杯もらえますかとお代わりを頂き、ツダ先生は意外と居心地が良さそうな大使館だなぁと安堵していた。
行き交うスタッフがお疲れ様です、と割と朗らかに挨拶を交わしてくれるのも好材料だ。
狭い人間関係の日本人コミュニティーでギスギスしていると、新参者は気苦労が絶えないのだがその点では職場の雰囲気が良さそうなのはホッとする材料だ。
そうして、大使館周りで雑貨を買う店などを若い書記官から教わり、ついでによろしければ、数日、お手伝いしましょうかと親切な申し出を頂いたところでツダ先生はハタと壁にかかっている時計の時刻に眼を向けて思い出す。
「ああいけない、もうこんな時間か」
そろそろ、約束の時間だった。
「おや、お帰りになられますか? なんでしたら、お送りしますが」
親切な若い書記官は、自分が往診用のかばんを手に取ったところでよければ車でお送りしますよ? と申し出てくれていた。
とはいえ、折角のご好意だが、まだちょっと片付ける仕事がツダ先生には残っているのである。
「ああ、実は公使の奥様がちょっと体調を崩されているみたいなので……この後、公邸で8時からの約束なんですよ」
「おや、なんでしたらばお待ちしましょうか?」
「いえ、長くなるかもしれませんし、公邸は裏側なので帰りは大使館で車をお願いしますから大丈夫ですよ」
ありがたいけれども、公使の奥様は初診ということもあってどれぐらい時間が必要かもわからない。
待たせるかもしれないから、とツダ先生は好意だけ受け取ることを笑顔で伝えると珈琲の残りを飲み干し、ゴミ箱に紙コップを放り投げていた。
「わかりました。では、明日の9時に宿泊先にお邪魔します」
「ええ明日はよろしく。できれば、美味しい店も教えてくれると嬉しいですね」
「お任せください! いい店を、ご紹介しますよ」
それは、楽しみだと笑いながらツダ先生は気のいい若者に見送られて大使館に隣接する公邸へと足を運ぶ。
そこで、一度だけ挨拶を交わした公使に案内され体調を崩したという御夫人の様態にはそれほど難しいところがなく、ホッとしながら数日安静にしていれば快癒するだろうと太鼓判を押すことが出来ていた。
「ふう、たいしたことがなさそうで良かった。此処だと、設備に限りがあるからなぁ」
オマケに、新しい地域の病院関係者との連絡も上手くできていない。
まあ、そもそもの話、自分の前任だった医務官がやむをえない事情で退官してしまったのが事の発端なのだが。
お陰で引継ぎも何もかもがバタバタだった。
「ああ、ええと、医務官の先生ですか?」
「あ、はい、北米フロリダ総領事館から転属になったばかりのツダです」
よろしくおねがいします、とペコリと頭を下げて名刺を渡そうと財布に手を伸ばしたしたところでツダ先生はハタと気が付く。
赴任する前に急遽伝えられた講習会の準備に終われるあまり、新しい名刺の用意ができていないのだ。
それどころか、まだ財布の中に北米のピザチェーンの割引クーポンや珈琲券の無料券がまだ入ったままである。
本当に、ドタバタで急いでたからなぁと思いながらツダ先生は溜息を漏らす。
転任前に、邦人観光客の事故や病気で現地の病院とのやり取りに結構追われてしまい、何だかんだドタバタした疲れが抜けていないようだった。
「良かった! すみません、患者さんを診ていただきたいのですが」
「ええ、もちろん大丈夫ですよ、ええと」
「サートゥです」
ペコリ、と頭を下げる女性の一挙一動は意外なほどにしっかりしたものでツダ先生はオヤと感心してしまっていた。
若いのにしっかりされた方だなぁ……とツダ先生はこの大使館のスタッフ達に対して好印象を抱いている自分に気が付き、新しい任地を早くも気に入りはじめていた。
気持ちの良い属僚達と、一緒に働けるのであれば、良い仕事もしやすいというものだ。
「ああ、佐藤さんですね。よろしくお願いします。ええと、それで、患者さんは?」
「その、先生、ちょっとそれが……」
そこで言い淀むということは、つまりは、ちょっと訳あり。
まあ、こんな時間に大使館の医務官に相談するということは旅行者さんか、少なくとも大使館の人間じゃないんだろうなぁとツダ先生はそれとなく察して軽く溜息を零したい気持ちが湧き上がってきていた。
それに、協定で自分が医療行為を行えるのは『大使館の職員とその家族』という外交規定を公然と無視するのはやはり差し障りがあるのだ。
「その……申し訳ないとは思います。ただ、先生にお願いするしか……」
「ああ、まあ、確かに、その私は邦人を診るのはあれですけどね?」
どうしたものかなぁと思案しかけたツダ先生。
しかし、彼は結局、困っている時は助け合いだな、と腹を括っていた。
一応、今日に限っては邦人向け講習会と『医療相談』の手続きが進められているのだ。
ここで、少しぐらい融通を利かせたところで処理はできるだろう。
「こんな時間に困っている患者さんとなれば、少しぐらいは仕方ないですね。『医療相談』は許可されていますし、詳しくは聞かないでおきますから案内してください」
「本当ですか!? ありがとうございます! こちらです!」
そうして、急ぎ足になる佐藤さんの背中を追いながら、これは若い書記官に待ってもらわずに済んで結果的には良かったなぁとツダ先生はふと思っていた。
きっと、待たせてしまうことになっただろう。
やはり、帰りは大使館の公用車を借りていこう。
そんなことを考えながら、先を書ける佐藤さんの背中を追って歩いていたツダ先生は程なくして大きな木製の扉の前に案内されていた。
「おや、珍しい構造ですね」
大使館の由来を聞いておけばよかったなぁと好奇心が湧いてくるツダ先生。
しかし、彼の物思いは焦る声で現実に回帰するのである。
「すみません、先生、あまり時間が……」
「ああ、そうですね、すみません、今、行きます」
そうして、彼は、『自分の意思』でその『扉』を潜ったのである。
本作品は純然たるフィクションです(`・ω・´)ゞ
実在の国、機関、人物とは一切関係がありません。