しゃぼん玉
しゃぼん玉飛んだ。
柔らかな少女がささやくように言うのを聞いた。しゃぼん玉は、僕には見えない。
パチンと割れた。
ただその割れる音だけは、僕にも聞こえる気がした。
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少女が死んだのは事故だったのか自殺だったのか定かではない。不幸な事故だったと彼女の両親は言っていたし、自殺だったのではないかと彼女の友人は言っていた。なんにせよ僕は、彼女を轢いてしまった軽トラックの運転手への同情を禁じ得ない。
非情な男だろうか。それでもやっぱり、運転手に非はなかったし、事故だとしてもいい迷惑だっただろうと思う。彼は仕事を辞めることになっただろうか。僕に、そこら辺の細かいことはわからない。
少女の両親は、彼女は幸せの真っただ中にいたと言う。婚約者もいて、式はどんな風にしようかと二人で楽しそうに話していたと。だからこれは本当に不幸な事故だったのだと、涙ながらに言っていた。
少女の友人は、彼女は不幸の真っただ中にいたと言う。婚約者が最悪な男で、気に食わないことがあると、否、たとえ気に食わないことがなくても興奮して暴力をふるう男だったのだと。でも誰にも助けを求められず、とうとう籍を入れることになってしまった。だからこれは、絶望の自殺なのだと言う。
どちらでもいいと思う。僕から見れば、少女の婚約者は少女の死を本気で悲しんでいるようだったし、その悲しみから人や物にあたっているところも見た。心底、どちらでもいいと思う。
しゃぼん玉飛んだ。
パチンと割れた。
無意識にこぼれていた声に少し驚きながら、僕はもう一度つぶやく。
しゃぼん玉飛んだ。
パチンと割れた。
あの少女には、見えていたのだろうか。飛翔できずに割れた、哀れなしゃぼん玉が。そうだとしたら僕も、そのしゃぼん玉を見たかった。そうすれば、諦めもつくものを。
彼女と同じく、僕の人生だってもうどうにもならないというのに。なぜしゃぼん玉は見えない?
僕は自分の、骨ばった手のひらを見つめる。
あの日、軽トラックの迫る車道に、彼女の背中を押した手だ。
後ろから、柔らかな少女の声が聞こえた気がした。
しゃぼん玉割れた、と。
そして青年はトラックの運転手と結婚します。嘘です。四月一日なので後書きで嘘をついてみることにしました。