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第九十五話 女兼


 小野桐児には家族も友達もいない。


 両親は子供の頃に亡くなった。

 ある日、両親とともに食事に出掛け歩いていた歩道に暴走したトラックが突っ込んできた。

 とっさに我が子を突き飛ばした二人は帰らぬ人となり、幼い桐児は祖母に育てられることになった。


 両親が死んだという実感を持たぬままの桐児には両親を潰したトラックの運転手とやらに執行猶予が付いたという報せの意味が理解できなかったが、しばらくしてからどうやら自分から大切なものを奪った犯人とやらが、優しかった両親を差し置いて何のお咎めも無く生き延びているらしいことは理解できた。


 お父さんとお母さんを殺した悪い奴が死なないのが理解出来なかったから、大人がやらないのなら自分がそうするべきだという考えを祖母に話してみた。

 祖母は桐児を酷く叱りつけた。


 人を手にかけることがどれだけ恐ろしいことか。

 犯人がしたことは許されないことだが、同じことをすればお前も犯人と同じになる。

 お前は人を恨んではいけない。

 お前はただ、お父さんとお母さんの分まで生きて立派な大人になれ。

 それが死んだ人のために出来ることだ。


 そう教えてくれた祖母の言うことは不思議とすぐ理解できた。

 正しいとも思った。桐児は自分の気持ちを抑え、祖母に従うことにした。

 犯人がしたことは許されないことだが、自分は復讐などという愚かな行為をしまい。

 そう固く心に刻んだ桐児ではあったが、両親のことを想う度にその気持ちはぶり返した。



 ある日、学校のクラスメートとケンカをした。

 そのクラスメートは、祖母に買って貰った筆箱を踏みつけて壊したのだ。

 そのときの桐児にはどうしても許せなかったが、

 なぜか謝ったのは桐児の方だった。


 両親を殺した犯人を許したことはない。

 報いを受けたとはとても思えない。

 だが自分は復讐に手を染めず生きていく。

 両親の分まで生きて、立派な大人になるのだ。


 祖母に買って貰った筆箱は大切なものだったが、死んだ両親ほどではない。

 両親を想えば我慢できないことなどない。こんなことで怒ったりせずに先に折れておくのが立派な大人というものだ。そう桐児は思った。

 先生はそんな桐児を褒めたが、クラスメートが桐児に謝ることはなかった。

 桐児も、そのクラスメートを許すことはなかった。


 そんなことがどんどんと桐児の心の中に積み重なった。

 桐児は絶対に仕返しをしたりしないが、絶対に相手を許さない。

 その内に桐児は教室で孤立した。

 桐児には友達が出来なかった。


 桐児の青春は暗いものになってしまった。

 大学でもうまく馴染めず、アルバイト以外は家に篭もりがちになり、結局一人で酒を飲む毎日となった。

 それでもいつか取り返せると、勉学に打ち込んだ。


 そして桐児が大学を卒業する前に、祖母が亡くなった。

 これまで一人で孫を育てた疲れか。その孫の内定通知に安心したのか。安らかな死だった。

 いよいよ桐児は独りになった。


 桐児は祖母に感謝を忘れたことなどないし、

 両親の分まで生きていこうと思ったし、

 立派な大人になるために勉強して、就職もした。

 祖母の教えのとおり、自分は立派な大人になるのだ。



 これからだ。

 これから自分の人生が始まる。

 自分は両親の分まで生きて、立派な大人になるのだ。

 そうすればきっと全てが報われる。

 これから、すべてが始まる……、

 そのはずだったのに、


 桐児はあるとき目覚めると、異世界の森の中にいた。

 わけのわからない剣を抜き、盗賊に幼い女の子にされて、奴隷にされた。

 魔法使いに拾われて、魔法使いになった。


 それが私だ。


 やっと大人になれるはずだったのに。

 そのために今までがんばってきたのに。

 私は幼い少女にされて、異世界では何も持たない異邦人だ。


 元の姿に戻らなくちゃ。

 元の世界に帰らなくちゃ。

 家族も友達もいなくても、積み上げて来たものがあの世界にはあるんだ。

 絶対に、立派な大人にならなくちゃ。



 けれど私はまだこの世界にいる。

 この姿のまま、未練がましく剣に願うのを先延ばしにした。

 この世界にも積み上げたものができたから、惜しくなったのだ。

 魔道師である私。師匠から受け継いだ魔術。

 それだけではない。この世界で出会った人たちとの縁。


 帰りたくないと思ってしまった。

 ()がずっと欲しかったものは、たぶんこれだ。

 それを私は異世界で手に入れた。


 元の世界で僕は何も持っていなかった。

 これから手に入れるはずだった。

 異世界の私はそれをもう持っている。

 そしてそれが、ひとつ失われてしまった。



 マスターはもう何処にも居ない。

 この異世界で私が一番恐れていたこと。

 この世界には、魔物がいる。

 何よりも人を襲うことを存在意義とする害悪だ。


 魔物は人を殺す。

 強い魔物なら街一つ壊滅させるものもいる。

 東の街でも魔物の出現により誰かが犠牲になることもあった。

 森を見回る街の自衛団の男が帰らなかった。

 山菜やキノコを採りに森に入った女が死んだ。

 言いつけを破って森で遊ぶ子供たちが襲われ、逃げ遅れた子が食われた。

 そのたびに、次は私の大切な人の番かもしれないと、いつも思っていた。


 私の大好きな人が明日にも死ぬかもしれない。

 元の世界でも両親を奪われ祖母を失った。それは避けられないことだけど、その悲しみがこの世界では日常なのだ。

 ありふれているのだ。

 病気や怪我でも簡単に人が死ぬ世界。

 こんな世界に、居ていられない。

 逃げ出したい。

 元の世界に帰りたい。



 この異世界で手に入れた絆を奪う魔物が嫌い。

 私から大切なものを奪う魔物が嫌い。

 魔物が潜むこの異世界が嫌い。

 失いたくない物の多いこの世界が恐い。


 みんなと別れたくないけど、帰りたい。

 帰りたくないくせに帰りたい。

 こんな矛盾した私が嫌い。

 私をこんなにした異世界が、嫌い。

 ……大嫌い。





 私は今、光の中にいる。


 ピシャン、ピシャン、と音が鳴る。


 青い光が胸を貫いて、


 ピシャン、ピシャン、ゴロゴロ、ピシャン、


 稲妻が私を、苛める。


「ここまで深く、繋がった」


 光の中にそれはいた。

 まるで山のように大きな異形。

 巨大な蜥蜴(とかげ)の幻が横たわる。


 鋼の鱗が身体を覆い、四肢は太く力強い。

 頭の後ろからは角が二本。のたりと擡げられた首の先で三白眼が私を見ていた。

 そして、背中から生えた蝙蝠のような大きな翼。

 ドラゴン。

 翼を持つ蜥蜴。雷と憤怒の魔物。


「そう、あなたもあの世界から来た」


 地面なんてない。上も下もわからない。そんな場所にドラゴンはいた。

 この光の中で圧倒的な存在感。

 ゆっくりと巨体が動く。

 鋭い牙の並んだ口が開き、意味のわかる音を出す。


「あなたの心に触れてわかる。許せないことを封じてきた人。

 何故それを返さない。何故思い知らせてやらない」


 奪われたものは取り返さないといけない。

 けれど失われたものは返ってこない。

 だからといって無かったことにしてはいけない。


「殴ってやればよかったのです」


 ドラゴンは言う。

 怒りの言葉を。


「拳を握り締めて鼻の骨を砕いてやればよかったのに」


「腕や足をへし折ってやればよかったのに」


「ひとつひとつ生爪を剥がしてやればよかったのに」


「生皮を剥がしてやればよかったのに」


「首を絞めて、殺してやればよかったのに」


 子供のあなたには出来なかったことかもしれない。

 けれどもしかしたら出来たかもしれない。

 出来たか出来なかったではなくて、あなたはそれをしなかった。


 あなたはそれを封じてしまった。

 今でもずっと持っている。

 それはそんなに大切なもの?

 大切なものは、奪われたのに。


 ドラゴンの言葉は、

 私自身のモノだった。


「そう、あなたは彼女を許したの?」


 ドラゴンは、

 そんなわけはないでしょうねぇ?

 と、くちをゆがませた。


 大切なものだったから、

 この怒りは忘れる(捨てる)ことも出来ない。

 ならば、この悲しみをくれた奴に返さなきゃ。


 その怒りが本物ならば、本当に大切なものだったなら取り返せ。

 戻って来ないものならば、その悲しみを、怒りを、返してやればいい。

 奪われたのは大切なものだったでしょう?

 それを、無かったことにしないで。


「わかるのです。彼女はあなたを裏切った」


 それを私は、忘れてもいいと。

 マスケットを許して、仲直りがしたいと。

 すべて無かったことにしたかった。

 許そうと、思ったけど。


「それでは、ダメなのです」


 マスケットと出会って一緒に過ごして、ドクと三人で楽しかった。

 その時間は私にとって大切なものだった。それに間違いは無い。


 それが失われて、悲しくないわけがない。

 それをマスケットは、踏み躙ったのだ。


「ならばわかるでしょう?」


 奪ったのはマスケットだ。

 私を奴隷と罵って、それでも私は信じていたのに。

 それを私は封じていたのだ。

 忘れることも出来ないくせに。


「鼻面を殴って手足を折り爪を剥いで首を絞める」


 忘れられないくらい大切だから、失われて本当に悲しい。

 それを無かった事には出来ない。

 返さなきゃ。

 この大切な借りは、必ず返さなきゃいけなかった。


「そう、殺してやればいいのです」


 わたくしはそうした。

 ドラゴンの怒りが私に流れてくるのを感じる。


 私の魔力をドラゴンが食べて、

 ドラゴンの怒りが私に流れる。

 とうとう溢れた私の怒りを、

 ドラゴンが食べて、魔力をくれた。


 この力があればどんなことでも出来る。

 どんな相手も敵じゃない。

 全ての人を滅ぼすことすら出来る。


 私の気持ちを裏切った奴を、

 私をこんな目に遭わせた奴を、

 きっと私は、そうするべきなのだと、


 そう思って光が消えた。





 目が覚めた私は廃墟の中で寝ていた。

 雨が降っている。気付けば泥にまみれて瓦礫を枕にしていた。

 ……どうなったんだ? 私は、赤の国まで飛んで、杖をつかって、

 そうか、杖に飲まれて暴れたんだ。城塞都市を廃墟に変えて、魔力を使い果たして落ちたのだ。


 馬の角(ウマノツノ)に操られたウルミさんみたいに。ドラゴンの力で暴れまわったんだった。

 暴れて、人を殺して……、

 たくさん、殺して…、


 いや、杖に操られたなんて言い訳だ。これは私の怒りだった。

 ドラゴンと繋がってわかった。魔物の素材は人の魔力を食べて心を増幅する。そしてその感情は器に溜まるように心から溢れ落ちる。

 その溢れた人の想いこそ、魔物にとって最高のエサだ。それを食った魔物はこんどは底なしの魔力を放出するようになる。


 願いを叶えてくれるのだ。


 魔物の素材は、人の欲望を露わにする。

 とうとう押さえが効かなくなった人は、欲望のままに願いを持つ。

 素材は、その願いに応えその願いを叶えてくれる。

 どんな願いでも叶えられるだけの魔力をくれる。


「……………」


 ならば、行かなくちゃ。

 私は仕返しをしに行かなくちゃ。

 まだ何も終わってない。

 ドラゴンの言うとおり、私にはやらなきゃいけないことがあったんだった。


「……かなくちゃ」


 立ち上がろうとして碌に動けずにずるりと身体が泥に落ちた。

 崩れた瓦礫に手探り捕まり、何とか立とうとしたが膝が上がらなかった。


「…ぐっ…げっ!!げぇっ……!!」


 血を吐いた。

 ドス黒い血が喉から溢れて呼吸が出来ないのに吐き出す力もほとんどない。気力を絞るように肺を動かし必死で気道を通すと、どうにか呼吸が出来た。ひゅうひゅうと笛の鳴るような音が聞こえた。

 雨と泥に濡れて寒い。足は上がらない。瓦礫に捕まる手に力を入れると全身がガクガクと震えた。身体に一滴の魔力も残っていない。


「…………つえ…は……」


 蜥蜴の翼が無い。どこかに落としたのか。

 周りを見ようにも頭もうまく動かない。目だけを動かすと霞んだ景色の中には焼け落ちてまだ火が燻ぶる瓦礫の山だけが見える。

 いや、それだけではない。

 たくさんの人が見える。地面に倒れて動かない人が見える。崩れた瓦礫の隙間から動かない腕が見える。弱弱しいうめき声がはっきりと聞こえる。

 私が作った地獄が見える。


 気付けば杖は私が手に持っていた。感覚もないので気付かなかった。

 杖さえあれば魔力は無尽蔵だ。魔力切れなんて関係ない。私の怒りをエサにしていくらでも魔力をくれる。何度でも立ち上がれるだろう。

 ……………、

 そしてまた、人を殺すのか。


 それともここで終わりというのもいい。

 私は魔力が完全に尽きた。

 ここまでのことをやったんだ。ドラゴンの所為じゃない。私の意志でこの地獄を作り出した。私は死ぬべきだと思う。

 私はこのまま魔力切れで死ぬのだ。

 もう、すべて、全部、

 どうでもいい……。


「…………………ぼうし」


 とんがり帽子は、あれ、どうしたんだっけ。

 師匠の、とんがり帽子。

 あ、そうだ。サイのところを飛び出すときに取られたままだった。後で取り返しに行くつもりだったけど、どうやら無理そうだ。

 こんな最後になってしまって、向こうで師匠に怒られるだろうな。

 いや会えるわけない。私は地獄行きだ。

 あぁ、じゃぁ尚更、帽子だけでも持っていきたいな。




「はん、これを探してんのかぃ?」



 すぐ真横から声がして、私の頭にとんがり帽子が乗っかった。


「大切なもんなんだろぅ? 失くしてどうすんだぃ……」


 全然気付かなかった。

 瓦礫に這いずる私に並ぶように、サイが転がっていた。


 サイは、

 浅い呼吸で笛の鳴るような音を出していた。

 全身に傷を負って血を流し尽くし、顔の一部が黒く焼け爛れ、右腕が無い。

 腹には剣が刺さったままになっていた。


「サ…イ…? なんで、ここに…?」

「世にも珍しい空飛ぶクラゲが街を焼いてんのが見えてねぇ、捕まえに来たのさ」


 何やってんだぃ、と私の頭を帽子の上からコツンと突いた。

 改めて回りを見る。

 瓦礫だらけの街中で一様に倒れ動かない人々。私たちに近い場所だけ兵士の数が多いのに気付いた。


「これ……、サイがやったのか?」

「あぁそうさ…、あんたくらいにゃ殺せなかったけどねぇ」


 街に落ちた私を、武装した兵士から守ったのか?

 何人相手にしたんだ。サイはククリさんに足を外されて万全じゃないはずなのに。

 なんでそこまでするんだよ……。


「いつも言ってるだろぅ。あんたに死なれちゃ困るんだ」


 ぱきん、と固いものが割れる音がして、緑小石の割れた破片が散る。

 私が作った、治癒魔術を封じた魔道具?


「後で価値上がるかと思ってねぇ、一個だけ取っといたんだよ」


 だから、なんで、

 なんで自分に使わないんだ。

 私なんか、なんで助ける。



「………あんたに死なれちゃ、困るのさ」


 血を吐いて、今にも死んでしまうというのに、

 私にはもう魔力なんて無くて、治癒魔術を使ったとしてももうサイは助からないのに、

 サイは、私なんかを助けてしまった。










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