第九十四話 雷と憤怒のドラゴン
これが あいつらのやりかた
けして許せない
絶対に許さない
塵の欠片も 許しはしない
あいつらはどれだけ殺しても飽き足らない
どれだけ死んでも飽き足らない
争いが 好きでしょうがない
それが人間
愛想も尽きる
あなたも そう思うでしょう
そう ずっと見ていた
あなたを見ていた
よくもあれだけ 魔物と戦える
魔物が憎いのですね
どれだけ 魔物を殺す夢を見たのか
人を殺す魔物が憎い
親を食われた者の涙と
子を引き裂かれた者の嘆きと
いつか自分も愛する者を失う その恐れを
ずっと 夢に見たのですね
とうとうあなたは失った
何よりも恐れていたこと
愛する者を奪われた怒り
わたくしには 痛いほど わかる
けれどあなたは 魔物は殺して
人は傷つけたくない
ここまでされて こんなことになって
まだ 人を殺すことを恐れている
わたくしにはそれがわかる
わかるのです
わたくしはあなたのその恐れ
あなたの悲しみ
憎しみ 怒り
わたくしは
あなたの 憤怒
塵の欠片も許しはしない
それでも人を傷つけたくないのなら
わたくしの力を 使えばいい
わたくしは 他ならぬ あなた
けれどあなたは知っている
そう わたくしはドラゴン
あなたがそう願うならば
わたくしはあなたの心を取り上げる
わたくしはあなたの憤怒
あなたが怒るものに怒り
あなたが憎むものを憎み
あなたが悲しむことが悲しい
だから これから起きること全て
全てはわたくしが仕出かすこと
ドラゴンという一匹の魔物の仕業
全てをわたくしの所為にして
あなたは好きなだけ暴れられる
さあ
邪魔な物は尻尾のように捨て
人の皮を脱ぎ捨てて
自由な翼で空を飛べ
その口からは望むままを吐き出し
憎き敵を 滅ぼし尽くせ
必ず
やつらを 同じ目にあわせる
わたくしの力はもうあなたのもの
悲しいことを悲しむだけでは
憎いものを憎むだけでは 済まさない
塵の欠片も許しはしない
必ず 必ず
怒りの鎚を 振り下ろす
○
ごう、と風が吹く。
私の身体を叩く風は強く、だけど私にはもう関係ない。
どうでもいい。
これからすることを考えると口の端が緩む。私は気付かず笑っていて、ただ早く早くと急く気持ちがさらに顔を歪ませた。
早く。
早く。
少しでも早くあいつらを…。
そう思うだけで、より速く、より高く飛べる。
不思議だ。
魔力なんてとうに尽きてしまっているはずなのに、私は十全に空を飛ぶ。
真空海月のグリフォンの爪もとっくに魔力は空っぽだ。
私は風向きも気にせずに、日が沈む頃には国境の川を越えた。
魔力がどんどん溢れてくる。
これがドラゴンの力なのだろう。
どんどん、どんどん、溢れてくる。
まるでマスターの血のように、止め処無く溢れてくる。
マスターの血は赤かったな。
私はそれを止められなかった。
赤い夕日は西に沈んだ。
この世界も全て沈んで、無くなってしまえばいい。
眼下に人の灯りが見えてくる。
街の灯り。城砦都市だ。
城壁に囲われた要塞の街はこうして空から見下ろしても大きい。
一発で平らにしてやりたかったが、まぁいい。じっくりいこう。
今からこの街を踏み潰す。
手を高くあげて杖を掲げた。
私の身長よりも長く大きな杖の全体には細長く削られたいくつもの青い宝石がまるで稲妻のようにジグザグに埋められていて杖頭には青魔銀で造られた小さな竜の彫像が飾られている。その名を示すように大きく誇張された翼は杖頭から大きく先を伸ばし、見ようによっては死神の大鎌のようだ。
いまや私の、蜥蜴の翼。
これから赤の国の人間を殺す、まさに死神の大鎌だ。
もはや魔力を練る必要もない。
無尽蔵に、いくらでも杖から湧いてくる。
詠唱する必要も、ない。
おかしいな。私はまだ師匠の魔法式を解いてないはずなのに。
掲げた杖を少し振る。
魔素の揺らぎを私の感覚が捕らえる。
私の目に、一瞬先の未来が見える。
一筋の雷が空を裂きながら街に落ちるのが見えて、
一瞬の後に、背の高い塔がジグザグの光に打たれて燃えた。
召雷は私の思うままに空から落ちる。
思うままに。
魔力も詠唱もいらない。思うだけでいい。
それだけで、いま建物一つを貫いた。
天辺が砕けて燃える背の高い建物は城砦都市たるこの街の監視塔の一つだ。今は使われていないが多少は頑丈に出来ているようだな。それも私にかかればこの通り。縦に裂けて大穴を開けた。致命的なヒビがゆっくりと広がり、やがて崩れて真ん中から折れて落ちた。
下の街は蜂の巣を突いたような騒ぎだ。
燃える瓦礫が落ちて騒ぐ人が蟻のよう。
そのうち虫たちが私に気付く。空を浮かぶクラゲを遥か下方から指差して、
私はそれを見て、早く、早くと、
召雷をまた落とした。
監視塔はバラバラになった。
私は空の上から地上の人を蟻のように見下ろして、気まぐれにその命を奪うことすら出来る。人々は私を見上げ慌てふためき逃げ惑い、為す術も無く蹂躙されるのを待つばかり。
私は力を手に入れた。
こんな大きな街だって、ほら。
杖を振って思うだけで、十の雷が街に落ちた。
背の高い建物から順番に雷に打たれて崩れて折れる。
鐘塔がけたたましい音を立てながら通りに倒れて、人を巻き込んで下敷きにした。
たぶん、人が死んだ……。
ああ……
………これで満足だろう
満足したのなら、帰るか
いやいや、冗談だろう。
今のはよく見えなかった。ちゃんと死んでないかもしれない。もっと近くで確実にやろう。確実に殺してやろう。全員。皆殺しだ。
そうだまだまだこれからってものだ。
火の手が回る街を目を開いてよく見る。
大きな建物から、何かが出てくるのが見える。
ここから見ると小さいが、大砲のようだ。
数人の兵士が苦労して大砲の筒先を私に向けた。
魔素が揺らぐ。
魔導兵器の大砲だ。
魔術の榴弾が発射される。
何かと思えばただの爆炎弾だ。火属性の代表的な上級魔術で、大爆発を起こす炎の大玉を発射するまさに榴弾といった魔術だ。威力もさることながら効果範囲が広い。もちろん当たればひとたまりも無い。
けれど大丈夫。当たらないから。
なぜなら私は空を飛んでいる。
人一人の大きさなんてのは的としてとても小さい。まして空を飛ぶ私との距離は10kmほども開いている。大砲で正確に狙い撃つなんて不可能に等しい。
魔素を詠むまでもなく炎の大玉はまるでデタラメに明後日の方向を飛び、情けなく地に落ちて街の城壁の外にちっぽけな焦土を作った。
愚かな火遊びを眺めていると、同じような魔導兵器の大砲が街のあちこちから湧いて出て来た。それぞれが私に狙いをつけて発射し、城壁の外の焦土を増やす。
ひとつ大きな欠伸が漏れた。
何百発撃ったところで、当たらなければどうということはない。
放物線を描く爆炎弾の大火球は重力に引かれて次々と地に落ちていく。
何度か実射で射角を調節している様子だが、大きく角度を上げて発射された炎弾が私の浮かぶ高度より高く打ち上がり初弾の着弾地点よりも近くに落ちてしまった。最大弾道高を超えても私に届いていない。射程距離を大きく越えているようだ。
空を飛ぶということはこういうこと。
位置関係の有意性。地上から空飛ぶ目標を攻撃するためには、下から上へと攻撃を持ち上げる必要がある。より下に位置する者はより上に位置する者と戦うとき、同時に重力という化け物を相手にしなければならないのだ。
そして上にいる者にとっては重力は味方であり、武器だ。
私は上から下へと、攻撃を落とすだけでいい。
これが私の真空海月の威力だ。
この世界の人は空を飛べない。
この世界の人は空を飛ぶ敵と戦った経験が無さ過ぎる。
たとえ街の真上に位置取ったとしても一方的にやりたい放題だ。
クラゲを操りこちらから近づいてやることにする。
城壁を遥か見下ろしながら越えて街の真上まで飛ぶと、止まない砲撃の3つほどがかなり近いところを通り過ぎて熱を感じた。しかしやはり当たることは無い。この魔導兵器は狙撃用ではない。対地兵器だ。
榴弾というものは目標に着弾するなどして中の炸薬が爆発することで広範囲を攻撃する。着弾するものの無い空中では着発信管に何の脅威も無い。まぁこの大砲は魔術だが。
魔道師が放てば炸裂のタイミングも自在だろうに、魔導兵器というのは融通が利かないようだ。不便なものだな。
対して私の魔術は…。
「七条熱線」
碌に狙いも付けずに七つの爆熱光を適当な建物に向けて撃つと、適当な建物に当たった。
私には大きすぎる的だ。目を瞑ってても当たるぜ。
さっき雷を落としたのもそうだが、私の方は狙いを付ける必要はないのだ。街のどこに当たってもいいのだから。
そうだ だからもう十分だろう
十分だと。ふざけろ。
まだ何もやってないじゃないか。
早く。早く。
「………っと」
魔素の揺らぎが私を包む。
風属性。暴旋風か。私を含む広範囲の空間が街の一角から伸びる捻じれた暴風に飲み込まれる前に杖を振った。
雷属性の魔術は基本的に他のどの属性よりも速く、杖さえ使えれば相手の魔術を見てから後の先を取ることも出来なくはない。そして私は魔素を詠みとりさらにその先を取って確実に相手を潰すことが出来る。
当たる当たらない以前に、私に魔術は通用しない。
街の一角に現れた竜巻を起こす魔導兵器は、見た目はさっきの大砲と大差がなかった。
次の瞬間には私の雷で黒コゲになった。
なんだ小さな的でも狙えばちゃんと当たるじゃないか。
なんだ、狙えば、当たる。
その事実だけで満足だ
だからもう止めよう
うるさいな。
早くしないと、夢が覚める。
黒コゲになった風の魔導兵器のすぐ側に慌てふためく兵士たちが見える。
止めろ
早く。早く。目が覚める前に。
止めろ 止めろ
そいつに向けて杖を、
やめて
刈り取るように振り下ろす。
空を裂いて落ちる稲妻が、兵士の一人の頭に落ちた。
兵士は人の姿の炭に変わり果て、しんだ。
しんだ。
私が、殺した。
ああ……
あああああ………
ああ…はは……、
あはハ、
アハハハハハハハハハハハハ、
アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ、
死んだ死んだ。
赤の国の人間が死んだ。
殺した。殺してやった。
とうとう、私がやってやった。
私がこの手でころしてしまった
まだまだ、もっとだ。
もっと殺す。
もっともっと殺す。
全員殺す。
塵の欠片も許しはしない。
私の大切な人を殺した報いを受けさせるのだ。この国の全員に同じ痛みを与えなければ気が済まない。死をくれてやる。
お前らにこの痛みがわかるか。
お前らにこの悲しみがわかるか。人間め。
よくも大切なみんなを殺したな。よくも。よくも。よくも。よくも。
殺したな。みんなを。村に火を点けたな。よくもやってくれたな。
大切だったのに。掛け替えが無かったのに。絶対守るはずだったのに。よくも。
村長は一番の長生きで毎朝必ずお参りに来てくれていた。巫女は最初の子によく似ていて優しかった。子供たちに怖がられるのはいつものことだけど靴作りの家の子はよく遊びに来てくれた。狩人の夫婦はやっと子供が生まれたばかりだったんだ。針子の女たちは大きな大きな布を編んで服を作ってくれた。祭りに出る酒を飲んでみんなで歌った。みんなみんないい人たちだったんだ。供物の無い年はあっても祈りの無い年はなかった。日照り続きの畑はようやくの雨でたくさんの実をつけたところだったのに。これでやっと収穫の祭りがまた出来るってみんな喜んでたのに。
人間め。
人間め。人間め。よくも。
よくもみんなを。
知らない記憶が私を急かす。
早く早くと、
奴らにみんなと同じ痛みを。
死ねばみんな同じになるよ。
だから出来るだけ苦しんで死ね。
死んで、
死んで、
死んで、
死ね。
「…………なんだ?」
変な魔素の揺らぎを感じて、そちらに目を向ける。
さっきから魔導兵器が出てくるのは兵士の詰め所のようだ。その中でも街の中央に近い、一際大きな建物から、一人の重装兵士が出て来た。
鈍重で分厚い重装鎧を全身に着込んで、普通の鎧姿の騎士なんかより一回りも二回りも大きい。鉄の塊のような兵士が緩慢な動きで建物から出て来て、通りの真ん中で空の私に向けて方向転換をした。
その鎧を、魔素の揺らぎが包んでいる。
変な揺らぎだ。火と水と土の属性が混ざり合っているように見えるが、魔術が発現する様子がない。待機状態といった感じだ。
まぁかまわない。
杖を振って雷を落とした。
ジグザグの光が音を立てて鎧の兵士を貫く、その前に、
鎧の魔術が発現し、土属性の魔術が装甲の表面を巡るのを感じた。
私が落とした魔術の雷は鎧を覆う土魔術に受け流されてしまう。
なるほど。抗魔術の反応装甲、三属性の守りか。
あれならたいていの魔術を防げるかもしれない。
鎧兵士が右腕を私に向ける。
魔素の揺らぎで魔術の攻撃が来るのがわかった。私の爆熱光のような光線魔術だ。私はとっさに杖の雷の力で磁界を操り弾かれるように横に飛んで避けた。
今のは危ない。光線魔術は例外的に雷属性より速い光速の攻撃だ。放たれる前に動かなければ避けられるものではない。しかもこの距離で正確に狙いを付けてきた。
鎧の魔導兵器。
明らかに対魔道師用だ。魔術を防ぐ装甲と、威力ではなく射程距離と命中率を優先させた殺傷光線魔術。魔法の使えない兵士に着せて魔道師に対抗させるためのものだろう。
対魔物ではなく対魔道師。
人間と戦うための兵器。
赤の国は本当に戦争をするための準備をしていたのだ。
その事実に、さらに怒りが増した。
杖を振って雷を出す。
その雷を集めて、束にする。
力いっぱい魔力を籠めて圧縮に圧縮を重ね、紫電の槍を形成していく。
破壊雷。至近距離で当てれば人間なんか影も残らない。
その威力を遠くへ飛ばすため、二本目の破壊雷を出した。私の思うまま、私の目の前の宙空に紫電の弓が出来上がる。
そして、
その電磁弓で飛ばす、三本目の槍を生み出す。
三本の破壊雷。
どれだけがんばっても出来なかった三本目の紫電。杖を振って思うだけで簡単に出来てしまった。
紫電の弓に槍の矢を番え、
思いのままに操ると弓が引き絞られる。
三本の光が平行に並んだ瞬間に、
鎧の兵士を、眩いスパークが貫いて破裂した。
抗魔術装甲の守りなんてまるで意味を為さなかった。光が破裂した後には何も残らず、石畳の地面が抉り取られたように窪んでしまった。
ふふ…、また一人殺してやった。
あははは、次はどんなのが出てくる?
人間め。全て私の雷で消し炭にしてやる。
早く出て来い。謝ったって許してやらない。
塵の欠片も許しはしない。
また三本の破壊雷を出す。
杖の力で思い通りに弓を射る。
もっと雷を出せそうだ。
試しにもう三本。さらにもう三本。
もっと、もっと、たくさんの雷。
大きく杖を振って出せるだけ出すと、168本もの紫電の槍が現れた。
56対の電磁弓と、
56本の破壊雷の矢。
悪い夢だ。人間の技とはとても思えない。
「 魔界雷 」
全ての矢を放つと、城砦の街が蜂の巣になった。
たくさん人が死んだのを感じた。
もうたくさんだ
もうすべて遅い。
私の怒りは解き放たれた。
翼が生えて自由になったのだ。
ちぎれた尻尾は、黙っていろ。
こんな 酷い
とりかえしのつかないことを
もう やめて
お願いだから
………、
…………そう、
時間切れか。
もう夢が覚める。
私が私でないのに気が付く。
だから、そう勘違いをすればいい。
これは私ではなくわたくしの仕業。
わたくしの怒り。
最後に、杖の力を搾り出す。
雷属性の最大の力。
杖を掲げる手を大きく振った。
まるでさよならをするように。
「 極星皇雷 」
蒼い極光が天から降りて、街の全てを飲み込んでしまう。
師匠の魔術の最終奥義。
その光が眩しくて、目を瞑ると涙がこぼれ落ちた。
○
誰かが死ねば悲しむ人がいるから。
そんなに人が死ぬのが恐い。
悲しかったのはあなたなのに、それを返さないで抱いたまま生きる。
それでは駄目。必ず返すべきなのです。
それまでは、塵の欠片も許してはいけない。
奪われたのは、大切なものだったでしょう?