第八十九話 狂欲
私が入ってきた四角い入り口がぴっちり閉じられて、平らな石の壁と化している。もしかしたら私が入ったと同時に閉められていたのか。バジリスク、どういうつもりなんだ?
「バジリスク! ここ開けてくれ!」
外に聞こえているのかわからないが一応呼びかけてみる。
すると平面の石壁に、バジリスクの文字が浮かび上がった。
[ ーれで す∧゛て 才レのも9だ ]
「バジリスク……?」
[ おれのモ/夕、、 ]
………何か、フォントが変だ。
「バジリスク、ここから出せ」
[ 馬太目†=゛ ]
「どういうつもりだ!!」
マズい。
すごくマズい予感がする。
バジリスクの目的は魔王との約束を果たすことだ。それが果たされることで魔王の心を貰う約束をした。『心を貰う』というのはよくわからないが、要するに約束を守ること自体に意味があったはずだ。そして私が来たことでそれは叶ったはず。
[ この世の全ては 俺の物
俺の物とは この世そのもの ]
そして約束が果たされて、
その後は?
閉じ込められた魔王の部屋。
真ん中のテーブルの下には、移動のための古代魔術が隠されていた。
魔王は、何故そんなものを?
[ おれのもの オレノモノダ ]
魔王は何と言っていた?
『ここから脱出する方法も用意してある』
……だったか?
魔王は、誰の手から脱出することを想定して……、
[ オレノモノダ オレノモノダ ]
[ オレノモノダ オレノモノダ ]
[ オレノモノダ オレノモノダ ]
[ オレノモノダ オレノモノダ ]
[ オレノモノダ オレノモノダ ]
石の壁一面に、バジリスクの文字が刻まれていく。
土と強欲のバジリスク。
まさか……、今?
今、狂ってしまったのか?
「……………」
ほんのさっきまで、石板を使って私とコミュニケーションが取れていたのに。
この日を、魔王との約束が果たされる日をずっと待っていたと言っていたのに。
これで終わりなのだろうか?
アルラウネは死ぬしかないし殺すしかないと結論付けていた。
本当にそれしかないのか。バジリスクはこんな形で、おしまいなのか。だとすればあまりに悲しすぎる。
そんなことにはしない。
魔王が用意した床の移動魔術。そんなもの使わない。
バジリスクを置いて逃げはしない。
私の目的はそもそも、この砂漠の魔物を排除して財宝を持ち帰りマスケットに謁見すること。そして排除というのは必ずしも殺すことではない。そのために準備をしてきたんだ。
私のもう一つの目的は、蛇と話をすることだ。
引っ叩いて正気に戻してやる!
私の破壊雷相当の攻撃を3度当てる。それが彼ら八匹の魔物の殺し方。だが3度当てる必要は無い。ナタと作った電磁弓の矢は3つあるが2つ当てれば無力化出来るはずなのだ。3つ目は必要無い。2つで十分ですよ。
真空海月のベルトを締め直す。
袖の内側のポケットに入れた武器も確認する。左の袖に三本の矢と十枚の魔法紙、右の袖にも魔法紙が十枚。
反転魔術で天井の一部に大穴を開けた。
そしたら真空海月を起動して上昇風で飛び出した。
「私はお前の物にはならないよ。バジリスク……」
小さく呟いて深く深呼吸をする。
そして胸の部分のグリフォンの爪に触れた。
やるぞ。
きっとやれる。大丈夫だ。
グリフォンの時とは違う結果にする。
全ての魔物が狂って終わりなんて、そんなの私は認めない。
私は、今度は諦めない。
●
これは タカラバコだ
オレの ではナい
フルーレのオモいデがシマってある
ソトからなら ナカはミえない
ケしてハイってはいけないと フルーレにイわれた
オレが イシにしてしまわないように
フルーレにニたニンゲンも イマ ナカにいる
メイス とイったか
オボえている
ナンだ オボえているじゃないか
やはりオレは ダイジョウブ
ナンドクルっても オレは
ん
あ
タカラバコが ヒラく
ああ
これは フルーレとオナじマホウ
オレのイシを ケしたのか
そうか
メイス とイったな
おマエのスガタは フルーレとオナじ
フルーレとオナじ マホウをツカう
オナじスガタの イシになれ
そしたらそのイシも
オレのモノだ
●
外に出ると、空は青一色の快晴に変わっていた。
浮かんでいた雲たちは一つ残らず消え失せ、太陽だけが直視できないほど眩しい。
その空から砂の粒子が降ってくる。口に入ってじゃりじゃりした。
これはきっと、石に変えられた雲だ。
魔素の揺らぎを感じ魔法を予測できる私には、
世界の全てが、歪んで見えた。
これが全てを石に変える視線の魔法か。この揺らぎに触れたその瞬間に、私は石にされるだろう。
大閃光の盾を出した。
石化の毒の効果はバジリスクの視線に依存する。とにかく蛇の視線を遮り接触の無い空へ浮かべば石化の毒は無効化出来るはずだ。
真空海月を大きく広げ魔術で上昇気流を起こし一気に飛び上がると、石の部屋が砂に埋もれていった。
浮かんだ空中でバランスを取りながら下を見下ろす。
ちゃんとそこにバジリスクはいた。姿は変わらない。王冠のトサカを乗せてとぐろを巻き、砂の大地からこちらを見ている。
私は蛇によく見えるように、明後日の方向へと水圧弾を飛ばす。
放たれた水弾は光に守られる範囲を飛び出すと、次の瞬間に石に変わった。
……本当に、一瞬で石になってしまった。
…………本当に、今、
見ただけで全てを石にする目で、私を見ている。
私を石にしようと、蛇は双眸を見開いて私を見ているのだ。
「本当に……、やる気なんだな…」
しかし大丈夫。私は石になってはいない。やはり光を盾にする作戦は有効だ。
やがて石になった水弾が地面に落ちて重い音を起てた。
それと同時に、バジリスクの攻撃が見える。
見える。
対処、出来る。
砂の地面から石の手が伸びて空中の私を掴んでくる。その数30。急いで右の袖のポケットから魔法紙を取り出し起動した。
左右の袖に仕込んだ計20枚の魔法紙は対バジリスク用に用意したものだ。石を生み出す魔術と土を生み出す魔術を反転させて描き込んである。放てば石や土を消す。石化以外に蛇が使うであろう土魔術を防げる算段だ。
スプリンクロック。大量の石を撒き散らす魔術を反転させ放つことで蓮コラみたいな穴を開けると、私を捕まえようと殺到する石の手は全て勢いを失い崩れていった。硬いはずの石を複雑に流動させているのだ。強度が落ちれば自壊する。
全てを消す必要は無い。反転魔術で相手の魔術を消すのは同等以上の魔力が必要だ。魔法を使う魔物の力をまともに打ち消していたら私は3秒でミイラになってしまうだろう。使う魔力は最小限にする。
私は魔素を感じ相手の魔法を先読み出来る。
しかし真空海月で空を浮かぶ今、自由に攻撃を避けられるわけじゃない。
ただ石が飛んでくるような単純なものなら避けられると思うが、怖いのは今の石の手のような複雑に動く魔法と、いわゆる『面』での攻撃。
………また魔素が私に、土と強欲の魔物の攻撃を知らせてくれる。
粘土質の投網が飛んでくる。
でかい。底引き網かと見紛う土の網。……がやはり私を殺すつもりはないようだ。飽くまでも捕まえるつもりか。
今度は左の袖の魔法紙を使う。こちらはマッドウォール。一息遅れて飛んで来た粘土の網を四角く切り取り消滅させた。開いた穴を潜って、投網が私を通り過ぎて行く。
やれる。
八匹の特別な魔物の一匹。也は小さいが力は強大。
魔法を使う魔物と、私は戦える。
奴め私を生かして捕らえようと攻めあぐねているな。魔物たちは力が強い分加減が効かない。クラーケンがどれだけ努力していたことか。
魔法紙はあと18枚しかないし勝負は短期決戦しかない。
左の袖に仕舞った『矢』を取り出し、左半身に構えた。
起動させると弓が張る。内蔵したナタの魔力によって螺旋の破壊雷が上下二本。電磁弓の弦無き弧が形成される。
左手に持つ矢を右手で引くと二本の弓が平行に並んだ。
狙うは眼下地上の蛇。
右手の指を矢から離すと、
矢はまるで自ずから離れるように、
音より速く、放たれた。
瞬間、蛇が石の壁を出すのが見えた。関係無い。音の壁と一緒に貫くだけだ。
高く大きな音とそれよりも大きな轟音が砂漠を蹂躙した。鼓膜が破れたかと疑ったが大丈夫。砂が盛大に舞い上がって空まで覆う。音も相俟って大規模な爆発が起きたように見えた。
それはそれは見事な砂の雲が舞い上がった。三人組が自転車で逃げ出しそう。やはり威力は十二分。
これが私の全力全開。ナタと実験したときには演習場の石材の山に穴が開いたのだ。それだけではない。その穴の向こうの石山までもふっ飛ばして見せたのだ。
たとえ相手が魔法を使う魔物であっても。いかな守りも撃ち抜ける。
破壊雷相当の威力を飛ばす魔術。
当たれば必殺! …というわけではないが。
これを2度当てれば、私の勝ちだ。
やがて砂埃が晴れて、大穴の開いた石壁が見えてくる。
蛇が防御に出した盾。見ると断面はハニカム模様の色の違う層になっていてただの石の壁でないことが見て取れる。が、天才である私の魔術の前では同じことだ。
見ろよあの大穴! 回の字みたいだぜ!
いや違うな! もっとこう……、
……………こう、
…………凹の字、みたいな?
「うそ……」
石の壁の中心から外れて、上側が大きく削り取られ、
そこから後ろの地面が向こうまで抉れている。
石壁が消える。そこにはもちろんバジリスク。
じっと私を見つめたまま。
電磁弓の矢の着弾点、放射状のクレーターは蛇の少し後ろ。
「は、外した!?」
その時になってようやくある事実に気が付いた。
血の気が引いて青くなる。
電磁弓の矢は3本。
2本当てれば私の勝ちだ。1本は予備である。
その予備が失われた。
………もう、一発も外せない。
それに気付いて頭をフル回転させ確実に矢を当てる方法を考えるが、突如姿勢が崩れて思考が散った。真空海月の制御が利かない。空中で何か、見えない力に引っ張られている。
蛇の力か? 魔素を見ても何も……いや違う。私の周囲の魔素はずっと揺らぎっぱなしだ。バジリスクの石化の視線で、まるでこの砂漠と空の全てが歪んでいるようにも見えている。もっとよく見ろ。
「なん…だこれ……?」
…薄く、
微かに石化の魔法以外の揺らぎが見える。
私の周りを手の平みたいに包んで、………これは、砂?
砂を操って、私に干渉しているのか。
霧のように拡がった砂が私を包んで押している。掌握領域かよ。
こんな器用なことも出来るのか。これなら加減なんかしなくても私は傷もつかない。どれだけ魔力を無駄遣いした手加減だよ。しかしこんな力で超高速の矢の軌道まで逸らせられるものなのか? 馬鹿な。
…ともかく私の真空海月は全く機能しなくなってしまった。くそ…、空中なら土の魔術の影響も少ないと思ったのに。
気球の服で空に浮いて、鞘も無いと抗う術も無い。
「ぐっ……!!」
風魔術の詠唱も間に合わなかった。とうとう砂のクッションに落ちてしまった。
裏返って纏わり付く気球服の裾から何とか頭を出す。
そこに……もう目の前に蛇が居た。
両の眼をしっかりと開いて。
地に落ちた私に、光の盾はもう無い。
全てを石に変える眼で、見られた。
●
ヒカリ
ヒカリ だ
マバユいヒカリが ナツかしいセカイのケハイを カクしている
ソラをトんで スガタがミえない
こんなことで イシにならないのか
オドロきだ
フルーレも オレをオドロかせてくれたな
このオドロきも オレのモノか
だが
フれれば どうだ?
ヒきズりオろしてやろう
フルーレはイシにはならなかった
ミてもフれても イシになどならなかった
フルーレは アタタかかったなぁ
おマエはどうだ?
ツメたくなるのか?
だとしても
ホしくて ホしくて タマらない
さあ イシに なれ
イシに
イシに
イシに ならない?
これは ??
ああ
これは フルーレの 魔術
石になど ならない
俺を 救ってくれた フルーレの
●
石に………、ならない??
どうして……???
魔素を見る。
確かに景色が歪んで見えている。私を石にする蛇の毒が働いているはずだ。
バジリスクの石化の毒が、魔素の揺らぎとなって世界を支配している。
だがそれだけじゃなかった。
別の揺らぎが、私を包んで石化の魔法を無効化している。
石化を防ぐ魔術の出所は、私のポケット。
魔王が残した八面体の宝石だ。石化を防ぐ魔道具だったのか。
蛇の毒に反応して起動する仕組みだったようだ。これなら石化の毒は怖くない!
気持ちを切り替える。もう一度だ。
矢を取り出して絡まる飛行服から肩を出し電磁弓を発動する。
この距離で、至近距離で確実に当てる。
蛇め石化しない私に驚いて唖然としているようだ。砂で干渉してもこの距離では軌道を逸らしきれないはず。たとえまた壁を出そうとも蛇の防御は貫けるのだ。確実に当てれば通用するのだ。
目標は目の前。
よく狙え。
空気との摩擦で、加速の段階から矢は赤熱化する。
光の弾丸となるのだ。だから蛇にも石化されない。
音速の何倍の速度が出ているのか。右手から離れた瞬間には音の壁を叩くので衝撃波を殺す魔法式も必要だった。
破壊雷を同時に2つ出し、鉄の弾丸を投擲する魔術。
間違いなく私の最高の魔術だ。
こんどこそ、
私の鼓膜が破れた。
そう思えるような轟音。
そして砂煙。
全力を叩き込んだ。至近距離でだ。
なのに…
なんで………、
「なんで……外れるんだよ…!!」
渾身の魔術で放たれた矢は、
蛇がまた作り出した壁の、やや右を掠めて消えてしまった。
何故外れたのかわからない。この魔術の射程距離約50m以内ならば星家の壁の穴を抜いて外の木を射抜くことだって出来るはずだ。
それでも外れた。事実だけが砂漠の大地に衝撃波の跡を残す。
3本の矢の2本を失った。
最後の1本を当てても、勝てない。
[ 無駄だ ]
ふと見ると、蛇の壁に文字が浮き上がり私に語りかけてきた。
[ 見ればタネのわかる術だな レールガンなのだろう ]
…まぉそれは見たまんまだしね。
文字の浮き上がる壁はこちらに対して斜めに構えられている。被弾経始ってやつか。だがこの速度の運動エネルギーが受け流されたとは考えられない。
ならそちらのタネは何か。
[ 超電力の術による磁力が不可欠 ならば威力を殺すことは出来る ]
ハッとする。
蛇の言葉で、カラクリがわかった。
磁石、か。
私に干渉する砂の正体はおそらく希土類。モナズ石か何かか。磁性を帯びる砂を手足のように操り、電磁弓が作り出す二本の破壊雷の超電力が発射の瞬間にそちらへ流れた。そしてその電力を逆に利用され、磁界のコースを作ることで矢の弾道を曲げられた。
マッハを軽く超えるはずの矢が速度を半分まで落としても私には認識出来ないが、電磁弓は電力を吸われ威力を著しく落としていたのだ。的を僅かに外させられるくらいに。
たしかに雷属性に対する抗魔術には金属性などで避雷針を作るのが定石だが、
魔法を使う魔物は、本当に底が知れない。
[ 他に手が無いのなら これで終わりか ]
[ お前を傷つけたくはない ]
[ 石にならないなら なおのことお前が欲しい ]
[ 俺の物に なれ ]
勝手なことを壁に並べ連ねるバジリスクが壁の脇から出てくる。
ずるずると私に近づいて、頭を私に擦り付けるように触れた。
魔王の魔道具のおかげで石にはならないが、その私を見るバジリスクは満足そうに笑った。……ように見えた。
「バジリスク……」
苦労して作った切り札は、あと一本しか残っていない。
この一本で射抜いても、蛇を倒すことは出来ない。
……………それでも、
……それでも私は諦めない。
その最後の矢を取り出して、バジリスクに言う。
「……私はお前の物にはならないよ。やることがあるんだ」
マスケットに会わなければ。
マスケットが持っている剣を、取り返さなくては。
グラディウスの力がどうしても必要だ。
私はいつか狂ってしまうクラーケンやアルラウネを助けたい。
蛇に囚われている暇は、無い。
最後の矢を握った手で、バジリスクに触れる。
電磁弓で放たれるこの矢を、
破壊雷相当の威力を2発当てなければ、魔法を使う魔物は倒せない。
破壊雷の威力をそのままに、射程距離を伸ばした弓の魔術。
上下に形成した2本の破壊雷を弓にする、魔術。
「 重破壊雷 」
2本の紫電の槍で、バジリスクを貫いた。




