第七十五話 ナタとの再会
「ふぁ~~……」
眠い。欠伸が出るぜ。
今朝だけで何度目になるかわからない欠伸を吐き出して、赤の国の首都が誇る城壁の巨大門、『正門』の脇の小扉を通って外に出た。
朝早く師匠に呼び出されたと思ったら、使いを言いつけられて街の正門に来たのだ。用事はいつも通りのただの雑用だったが。
今日は門の開閉装置の魔導器の修理だ。が、別に壊れているわけじゃない。わざわざ新しい『ケージ』なんぞよこさなくても、古いケージは先週換えたばかりだし、この門専用のケージは数ヶ月は稼動するようになっているはずだ。
要は師匠の嫌がらせだな。
「これはこれは、フランベルジェ様」
門番のオヤジは俺が生まれる前からここで門番をやっていて、最近じゃ俺が通る度に飽きもせず今みたいな挨拶を冗談めかして言う。
そしてそのあと決まって、
「こないだまで鼻ッタレだったのになぁ。でっかくなったもんだ」
と言って豪快に笑うのだ。
俺がそう呼ばれるのを嫌がるから余計にそう言うようになった。
捻くれたおっさんだよな。
「何べん言わせんだオヤジ。俺はまだナタだ」
「はっはっはっはっは! そうだったなナタ。お前はまだまだ鼻ッタレだ」
今となっては、俺にこんな軽口を叩いてくるのはこのオヤジくらいになってしまった。
笑われるのも不思議とそこまで気にはならない。
いつも通りの挨拶はそこそこに、巨大な門の前に立った。
つってケージを換えるだけ。
最近師匠は、こういう雑用をよく言いつけてくる。
俺が名前を継がないことに対する罰ってやつだ。
師匠の期待には応えているつもりだが、勝手なことを言った。
寧ろこんな罰で済んでいるのは師匠に甘やかされているからだ。
オヤジの言う通り、まだ鼻タレか。
「朝メシ食ったのか? 串焼き肉があるぞ。食ってけ」
「ああ。先に仕事終わらせる」
この正門の開閉装置は三百年も前に造られた魔導器らしい。
デカくて重いから、魔術で開閉するようにしたってわけだ。
このケージってやつはそれ以前からあるんだな。
様々な大きさのある赤魔銀の箱。いくらでも作成することができ、宝石類よりも魔力容量が大きい。どういう仕掛けかは、紅炎である師匠だけが知っている。
いずれ俺が紅炎になるときに、師匠から製法を教えられるだろう。
………とりあえず、さっさと仕事終わらすか。
「……………」
開閉装置の基部に嵌め込まれた四角い正門用の大きめのケージを師匠から預かった新品に換えた。
ガチンと填まったのを確認してオヤジに装置を起動してもらって終わりだな。動作も問題ない。つまんねぇ雑用だ。
「はぁ……」
「どうした?ナタ」
……………つまんねぇな。
「なぁオヤジ」
「あん?」
「最近何か変わったことあったか?」
「なんにもねぇなぁ」
「……だよなぁ」
「…お、そういやそこを見ろ」
「何だ?」
「いつの間にか花が咲いてるんだよ」
「………どうでもいいぜ」
確かに城壁の壁際の地面に小っさい花が咲いている。
本当にどうでもいいから空に浮かぶ雲でも見ることにした。
「退屈してんのか? ほれ串焼きでも食え」
「ああ、もらうよ」
「肉でも食って腹が膨れりゃ、気もまぎれるってもんだ」
「そしたらオヤジは昼寝くらいしかやることねぇだろ」
正門の前には、荒野が広がるばっかりだ。
門の脇でオヤジが顔を出す小窓から見る景色は毎日変わらない。砂、岩、埃。あとは空と雲だ。この時間は商団も通らないし、たまに街の悪ガキどもが遊びに来るくらいか。それにオヤジが怒鳴りつけるのがここの日常だ。
ここにあの三月式典の会場があったとは思えないほど、つまんねぇ光景だな。
あのつまんねぇ魔術会があった荒野。
あいつと会った場所なんだよな。
寂しそうな顔してたな。あいつ。
もう新しい杖作っただろうか?
また会いに行ってやろうか。
「おいナタ。何か来るぞ?」
「うん?」
ボケっと食い終わった串を玩んでいると、正門脇の小窓から同じ景色を見ていたオヤジが変な声を出した。
見ると荒野の地平線、街道の先から何かが近づいてくるのが見える。
「何だありゃ?」
「わかんねぇ。こっち来るぞ」
土煙を上げながらかなりの速度で地面を滑ってくるのは、人間だった。
あれは滑走系の魔術か。この荒地でまっすぐ制御して走っている。腕のいい魔道師だ。
馬ほどの速度は出るが魔力の消費が激しく、荒地の固く脆い地盤を正確に操作するのは俺でも楽じゃない。街道は平地だが石やら岩やら結構埋まってるから、
あ、跳ねた。
でかい岩でも埋まってて魔術が弾かれたんだな。
地面に落ちながらも魔術が継続しているせいで水切り石のように勢いを殺さず飛んでくる。
3度ほど跳ね飛んで、やっと止まった。
五十歩ほどの距離。ぴくりとも動かない。
「おいおい。死んだんじゃねぇのか?」
「ちょっと見てくる」
「おう、気をつけろよ」
油断無く杖を構えながら、ブッ倒れた魔道師に歩いて近づく。
こんなマヌケが間諜ってのも無いだろうが、まぁ念のため。
近づいて見るとマヌケ魔道師は女のようだった。
とりあえず生きてるみたいだ。青緑の服を着た金色の長い髪。まだ子供じゃないか。
…………、
………………子供、だよな?
息が荒く細いのは魔力切れを起こしかけているからか。全身汗でぐっしょり。服が着崩れてまるで暴漢にでも襲われたみたいだ。うわ言のように「くる……ビアンが…」とわけのわからないことを呻いている。胸元や肩が肌蹴て、ただでさえ短い裾が変に捲れて足に張り付いて、汗で濡れた内腿が見えた。長い髪まで顔や首の肌に張り付いていて、なんというか、艶があるというか……、
……というか、
こいつ、あいつじゃないのか?
顔に張り付いた髪を指で避けてやる。やっぱり間違いない。
こいつ、こんなとこで何やってんだ?
「おい、おい!」
「……………」
「しっかりしろ!」
「はぅあ!!!!」
軽く頬を叩いてやるとすぐに目を覚ました。
いきなり見開かれた目が、正確に俺を捉える。
「…………」
「大丈夫か?」
「……な、ナタ?」
俺の顔を見て、俺の目を見て、そして周りを見て、
今度は俺に掴みかかってきた。
「ナタ!ナタちょうどよかった!助けてくれ!」
「……お前、何してんだ? 絶対この国に来ねぇとか言ってたじゃねぇか」
「追われてるんだ。匿ってくれ」
金色の長い髪。泣きそうな顔。
ローブと帽子じゃなく、青緑の女らしい服。
汗で髪が張り付いた顔は薄く化粧でもされているのか、一瞬わからなかった。
……そうか。こいつも化粧とかするのか。
「は、早く!すぐ追いつかれる! ああああいつら私を犯すつもりだ。
おねがい助けてぇ。私、お前しか頼れる奴居ないんだよぅ」
「何があったんだよお前は……」
何も荷物を持ってない。もちろん杖も。
目玉いっぱい涙溜めて、ぐいぐい服を引っ張って、声を震わせて助けを求めて、
こいつ、会うたび弱そうになって見えるな。
赤く染まった頬。必死の訴えに歪んだ唇。瞬きした目からは涙が零れ落ちそうだ。
見るからに、弱い。
「うぅ…、もう、限界」
「お、おい」
「全然寝てないんだ。昨日から魔術使いっぱなしだし。もうダメ」
それだけ言ってまたぱたりと昏倒した。
やっぱダメだ、こいつ。
………、
杖も持って居ない。俺と勝負しに来たんじゃなさそうだな。
拗ねたようにヤル気も感じない。こいつの家に行ったときも何を言ってもまるで張り合いがなかった。
誰かに追われて逃げて、俺に助けを求めた挙句気を失う始末だ。こいつなら杖無しでも数秒の詠唱で対応出来る術くらい持ってるはずなのに。
……弱すぎる。あの魔術会でのことは、何かの間違いだったのか。俺の勘違いの過大評価だったのかもしれない。
弱いやつと遊んでいる暇は無い。
今は師匠に雑用だけを言い付けられるから暇だが、それは俺が勝手を改めないからだ。
こいつと戦って勝ったときに師匠の名前を継ごうと決めていた。
だが、どうもそんな意味は毛ほども無さそうだ。
味な術を操るのを見て期待が過ぎたか。
素直に師匠に頭を下げよう。
「…………」
こいつにもう用は無い。
ただの小娘。これ以上拘っても良いことはない。
………はずなのに。
全身汗でぐっしょりだ。額にも玉のような汗が噴いている。
長い髪まで汗で濡れ、顔や喉に張り付いているのに目が行く。
まるで暴漢にでも襲われたように着崩れた青緑の服は、少し開いた襟から細い首はもちろん胸元や肩口までも肌色が見える。
フリルが重ねられたスカートの裾は短く、足が根元の内側まで見えそうだ。
目が、離れない。
ごくりと唾を飲み込んだ。
……どうなってんだ? 俺がこんなちんちくりんにどうにかなるわけがないのに。
頭を振る。落ち着けよく見ろ。
全身汗でべとべとだ。白目を向いて阿呆のように口を開けて気を失っている。
長い髪が汗を吸って癖毛が跳ねてぐちゃぐちゃだ。特に一総だけ重力を無視したかのようにそそり立っててまるで阿呆のようだ。蒸れるのか苦しそうに呻いている。鬱陶しそうな髪だ。
肌蹴た服の襟からちらりと胸が見える。小っせぇなぁこいつ。真っ平らで男とほとんど変わらない。阿呆みたいな服着やがって。チチが小さいから胸部のサイズが合ってないんだな。だから服が浮いて隙間が出来るんだ。
阿呆みたいに足開くもんだから裾が捲くれて、やけにリアルな大型猛獣の刺繍が入ったパンツが見えた。つーか足太ぇ。
見るからに、ガキだ。
ちんちくりんという言葉が青緑の服を着て寝ている。
どこからどう見ても、どう考えても、色気などという言葉からは程遠い。
なのに、
ドキリとするほど色っぽい。息を呑むほど艶っぽい。
どうなってんだコレ? 俺はどうかしちまったのか? 毎日のあまりのつまらなさに、とうとう頭がイカレちまったのか? 違う。俺はロリコンじゃ無ぇ。
何度も深呼吸と自己嫌悪を繰り返して自分の頬を拳で殴ると、だんだん気分が落ち着いてきた。
もう一度落ち着いて見る。うん、今度はどこをどう見ても何も感じない。嘘のように。
今の顔をオヤジにでも見られたら何言われるかわかんねぇな。
……………と、とりあえずこいつを運ぶか。
このままここに放っといて魔物の餌になっても寝覚めが悪い。オヤジのいる門番の詰め所に仮眠室があるからそこのベッドへ運ぶのがいいだろう。
手を触れるのに少し躊躇いながらも覚悟を決めて、見た目通りに軽い体を持ち上げてやる。
……ん。
薄緑の上着のポケットから小さな袋が落ちた。
拍子に袋の口が開いて、中身が地面に零れる。
黒い液体の入った小瓶と、
何かの植物の、種?
それが一体何なのかは知らないが、何故か重要なもののような気がした。
本当に何故かはわからないが……、
俺の杖の先で燃える火と、ダブって見えた。
師匠から賜ったこの鳥の火。
杖頭のランタンの中で、『火』が油を吸って、ぼう…と揺らめいている。