第六話 蒼雷のメイス
・・・脱走が失敗したあの日から、どれくらいたっただろう。
放り込まれた牢屋に、エッジの姿はなかった。
きっと彼は見事逃げ仰せただろう、僕とは違う。
そのことにはもう、何の感慨も抱けない。
よかったとも、くやしいとも、なさけないとも、
エッジは今頃、海辺の町で僕を探しているかもしれない。
そのことについては、ちくりと心が痛んだ。
彼は、僕と二人で生きようと誘ってくれたのに、僕はこの様だ。
……まぁ、それも大丈夫だろう。彼なら一人でもうまく生きていく。
チャンスは十分用意されていた。
ただ僕に勇気が無かっただけだ。
自分はどうしようもない臆病者だ。
きっと次のチャンスも、膝を抱えてる間に通り過ぎていくのだ。
・・いや、この先僕には、どんなチャンスもやって来ないだろう。
爪を全部剥がされた。
もはや僕は荷物を運ぶどころか、立って歩くことも満足に出来ない。
しかし働かなければ鞭で打たれる。
僕が大嫌いなあの鞭だ。
歯を食いしばって立ち上がっても、一歩踏み出すたびに無い爪が痛む。
涙をこらえて荷物を運んでも、結局取り落としてしまう。
また鞭で打たれる。
痛い痛い大嫌いな鞭だ。
……もう、いい。
…もういいや。
……いたい。
………ごめんなさい。
…ゆるしてください。
この夢が覚めて、ベッドで目が覚める夢を、何度も見た。
○
「変わった奴隷をあつかっているな・・・」
わからない
「へぇ! うちの奴隷どもはどいつもよく言うことを聞きやすぜ!」
わからない
「この子を、 ・・ひどい怪我じゃな」
へんなおじいさんが ぼくをみている
「へ、へぇっ! もちろんお安くさしていただきやす!」
このひとのむちはいたいだろうか
「ふむ、…これで足りるか?」
どんないたいことをされるだろうか
「こんなに・・、ありがとうごぜぇやす!」
こわい こわい こわい
「どれ、・・・治癒!」
・・・・?
・・温かい。
「どうだ? 痛みは引いたはずじゃが…」
おじいさんがやさしく手を触れると、体中の痛みがウソみたいに消えていった。
それとともに混濁した意識が覚醒していく。
「・・あ・・・・」
「さぁ、もう大丈夫じゃ」
そういうとおじいさんは、僕の手を引いて街の中をゆっくり歩き出した。
あ、この人が僕を買ったのか。
ということは、この人が新しいご主人様ということだ。
「・・・あの」
「…………」
僕はまだ混乱していた。
新しい主人であるおじいさんは魔法使いだった。
真っ白な髪に真っ白な髭。背が高い。浅黄色のローブに身を包んで、木製の杖を持っている。頭にはツバの広いとんがり帽子が乗っていて、これ以上無いくらいいかにもな魔法使いという風情である。
「背中の傷は跡が残るのぅ・・・」
おじいさんはまず、井戸で僕の身体を綺麗に洗った。
身体を洗った後は、服を買ってくれた。
おじいさんと同じ浅黄色のローブと革の靴。ボロボロでもはや服の体裁を成していないスウェットを脱ぎ新品の服に袖を通す。靴の底は薄い木と皮を重ねたもので、いままで裸足だった僕にはすごく履き心地がよかった。
「腹は減っているか?」
その次は食堂に赴き、野菜のスープとサンドイッチを食べさせてくれた。
固いパンと水ばかり食べていたので、ほっぺが落ちるかと思った。味のするパンなんてどれくらいぶりだろう。
スープには根野菜と葉野菜がたくさん入っていて、塩が効いた味に少し涙が滲んだ。
その様子をおじいさんは、終始何も言わず、じっと見ていた。
…………、
……何が目的なんだろう?
食事の後、街を離れ森の中の街道を歩いている。
目的地は、まだ知らされていない。
・・・・・・これからどんなヒドイことをされる?
そんなことばかりを考えてしまい歩みが遅れる。
死刑囚は最後の晩餐に、なんでも好きなものを食べる贅沢が許されているらしい。
……とすると、とうとう自分にも最後の時がやってきたのか。
などと考えていると、おじいさんがそれを察したのか、
「これから向かうのはワシの住む家じゃ。そこでお前には魔術を学んでもらうことになる」
と説明してくれた。
どういうことだろう?
意味は分からないが、それは問題ではない。
僕はこの人に買われ、この人が僕をどうしようが、この人の勝手だ。
どうせ今より悪くはならない。
僕の都合など関係ない。僕が理解する必要はない。
この人がそうしろと言うなら、そうするだけだ。