第五十四話 女子
夢。
お日様に照らされた草原で、みんなが楽しそうに笑っている。
マスケットも、ドクもいる。
まるで何も無かったかのように、みんな幸せそうで、
私なんて、
そこにいる誰も、知らない様子だった。
それを見る私は、冷たい鉄格子に隔てられて、
暗い、暗い、檻の中で、みんなのことを見ている。
格子の間からみんなに手を伸ばして、タスケテと叫ぶけど、
私の身体は小さくて、手もこんなに短くて、届かない。
タスケテ
ココカラ ダシテ
私が好きなみんながいるこの世界は、
あんなにも綺麗なはずなのに、
私がいるこの異世界は、
こんなにも絶望に満ちている。
カエリタイ
ここは私の居るべき世界ではない。
元の世界に、帰らないと。
だから、誰か、
私を助けて。
お願いだから、
異世界から、帰して。
鞭で背中を打たれながら、
泣き叫んで、ただ右手を伸ばす。
すると、届かないはずの右手が、
温もりに包まれて、目が覚めた。
○
目が覚めると、そこは医務室のベッドの上だった。
窓の外では赤い空が暗くなりはじめている。
私は…どれくらい眠っていたのだろう?
「よかった。メイスちゃん目が覚めた?」
「…………フレイル…?」
ベッドの傍で座るフレイルが、私の右手を握ってくれていた。
ずっとそうしてくれていたのだろうか。
寝ぼけた目を向けると、フレイルが私の顔を覗き込んで心配そうに額に触れる。
「今は僕だけだけど、さっきまでギロチン様もクリス様も、メイスちゃんの仲間だっていう白の国の人たちも居たんだよ。……うん熱は収まったみたいだね。大きな怪我も無いし、もう大丈夫だよ」
「………大丈…夫…」
頭がぼ~っとする。
何度か経験のある倦怠感。魔力切れの症状でまた熱が出ていたようだ。
身体を動かし上体を起こしてみる。特にどこも痛くないのでフレイルの言うとおり大丈夫なのだろう。
けれど、私は大丈夫じゃない。
頭はぼ~っとするけれど、それだけはわかった。
「………フレイル、……どうなった?」
「……………」
負けた。
マスケットと決闘して、負けた。
グラディウスを賭けてのことだが、失ったのは剣だけじゃない。
ドクを、助けられなかった。
マスケットに全て奪われた。
「マスケットと、ドクは?」
「マスケットちゃんは……」
逸らした視線を落としながら暗い顔をするフレイルを見れば、私が見たものが悪い夢や、何かの間違いや勘違いでないことがわかった。
「あの試合の後、マスケットちゃんは魔道師会を棄権して大議会に向かったんだ。
僕らもすぐに事情を聞こうとしたんだけど、赤の国の兵士たちに阻まれて……」
「…………」
「僕らにもわけがわからなかった。あれは赤の国の近衛兵士だ。それも無理矢理じゃなく、守るように連れて行くみたいだった……」
赤の国の兵士に守られて、マスケットは行ってしまった。
グラディウスに何かを願ったのだろう。これからも奴隷制度が続く願いだったか。
………、
…まぁ、
私にはもう、関係の無いことだ。
「さっき6つ目の鐘が鳴ったところだけど、ドク君もまだ見つかってないみたいだ。でも必ず…!」
「……いいんだ…フレイル」
もう、いいんだ。
ドクを捜しても、きっと無駄だ。
「ドクはマスケットと一緒に居るはずだよ。だから、もういいんだ」
「メイスちゃん……?」
事情がわからないフレイルに、全てを話す。
マスケットは誰かに脅されていたわけじゃないこと。
ドクを監禁していたのはマスケットだったこと。
ドクを賭けて戦ったこと。
マスケットに奴隷と蔑まれたこと……。
話を聞いたフレイルは信じられない様子だったが、残念ながらこれは真実だ。
私にとって、とても残念な、現実だ。
「そんなの………信じられないよ。だってマスケットちゃんもメイスちゃんに会うのを、あんなに楽しみにしてたのに……」
「…………」
マスケットは行ってしまった。
二度と会わないと言っていた。もう帰っては来ないのだろう。
ドクを賭けた決闘に負けた。
負けてはいけない勝負に負けてしまった。
だからドクも、もう帰って来ない。
捜して見つからないということは、きっとマスケットが連れて行ったのだろう。
師匠の顔に泥を塗ってしまった。
蒼雷の弟子として魔道師会で活躍するつもりだったのに、負けた。
第一回戦で、何も出来ずに、無様に、負けた。
勝手に剣を賭けて失った。
あの剣はサイの物になる約束だった。その後白の国で管理されるはずだったのだ。
女王に申し開きも出来ない。合わせる顔が無い。
白の国におめおめ帰ることも出来ない。
そして、元の世界にも帰ることが出来ない。
もう一生、この姿のまま、この世界で生きるしか無い。
でも、そんなことより、
何よりも私は、
マスケットに奴隷と呼ばれたことが、悲しかった。
「…………っ……」
「………メイスちゃん」
「…ひっく……ますけっとは…っ……ぁたしと…ひっ……あいたくな…ったって………」
「そんな……」
「ひぐ…え゛ぇう……えぅうぅ………」
私は再会を楽しみにしていたけど、マスケットはそうじゃなかった。
二年前の西の街でのことは何かの間違いだと思ってたけど、そうじゃなかった。
悲しくて悲しくて、涙が溢れる。
ポロポロと涙が零れて、シーツに落ちる。
嗚咽が漏れる。
友達だと思っていた女の子に拒絶されて、負けて、泣いて。
どれだけ惨めなんだ。
そう思うと、もう止まらなかった。
ますけっとはわたしのことを、ともだちだなんておもってなかった。
わたしがどれいだってわかったときから、ずっときらいだったんだ。
「う゛ああぁぁぁ……う゛あ゛あ゛あぁぁぁ…………!!」
「メイスちゃん!!」
耐え切れずに泣きじゃくると、フレイルに抱きしめられた。
ベッドの横から引き寄せられて、痛いくらい強くフレイルの腕に締められ尚も泣く。
フレイルの胸が私の涙で濡れた。
「きっと…何かの間違いだよ。そんなことあるはずない!」
「う゛ぁぅ……ひあうぅぅ……」
間違いじゃないんだ。
本当なんだ。
頭を振って、言葉にならない声で訴える。
何かを言おうと言葉にすれば、その事実が悲しくて声にならない。言葉にすること全部が声を塗り潰して、ずぶずぶと悲しみに沈んでいく。
「とにかく、大議会のマスケットちゃんはギロチン様達が何とかしてくれるはずだよ。僕もドク君を捜すから……!」
「……っ………!!」
部屋を出ようと立ち上がるフレイルの手を掴んだ。
マスケットは行ってしまった。
ドクも、連れて行かれた。
私にはもう、フレイルしか居ないんだ。
「…っ……いが…なぃで……」
「…………」
もうどこにも行かないで欲しい。
私の手の届くところに居て欲しい。
私の手を握っていて欲しい。
グラディウスを失った私は、もう元の世界に帰れないから。
私はこの世界で、生きていくしかない。
この嫌な嫌な異世界の中で、一人ぼっちは嫌だ。
誰かに傍に居て欲しい。
「う゛うぅっ………ふぅううぅ…っ……」
「………、…ゴメン」
椅子に座りなおしたフレイルの胸に、私の頭が納まる。
私の身体を抱くフレイルの腕。今度は優しかった。
「僕は何処にも行かないよ。ずっとメイスちゃんのそばに居るから……」
「………………」
フレイルの胸を濡らす涙は止んだけど、そのまましばらく顔を埋める。
私に残されたものを確かめるように、頭を埋めた。
○
グラディウスを失った私は、もう戻れない。
地球に戻ることも出来ないし、男に戻ることも出来ない。
一生この姿のまま、この世界で生きていくしかない。
大切な剣を勝手に賭けて、失ってしまったのだ。
サイの手に、女王の手に渡すはずだったのに。
白の国のみんなにも合わせる顔が無い。
もう白の国にも、戻れない。
マスケットもドクも、もう居ない。
私の友達はもう、
私にはもう、フレイルだけ。
「……フレイル」
「うん…?」
「フレイルは、どこにも行かないで」
「うん。どこにも行かないよ…」
「私を一人にしないで…。ずっと一緒に居て…」
「当たり前じゃないか。メイスちゃんを一人になんてしない」
胸に抱かれたまま、やさしく頭を撫でられる。
フレイルの胸は、今は脱いでいるけど、いつも着ている皮鎧の匂いがした。
私の小さな身体がフレイルの腕に包まれて、
こうしているだけで、少しだけ安心した気持ちになった。
そうだ。
私にはフレイルがいる。
私の、初めての友達。
いつも私の側に居て、私のことを守ってくれる。
「………フレイル」
「…うん?」
フレイルの顔を見上げると、フレイルの目に女の子の顔が映っているのが見えた。
私は一生この姿のまま。
13歳になっても背も胸もろくに大きくならない。
染めた金髪は腰まで伸びて、不精な私は手入れもしないからボサボサだ。
まずは、この髪を梳かすことからはじめようか。
化粧の仕方も覚えよう。ファッションセンスももっと磨こう。
女として生きていかなければならないと言うのなら、
私はフレイルと一緒が、いいな。
もう僕のことを気に掛ける意味も無い。
私は自分の気持ちに素直になってもいい。
フレイル。
本当は、私はフレイルのこと……、
す…
すk…
すばらしい仲間だと思ってんだからさ。……なんて、
こんなときに勇気の使徒の大魔道士のセリフが出てくる私は、どうやらリハビリが必要のようだ。
まあいい、時間はある。どうせ元の世界には帰れない。
ゆっくり素直になっていこう。
小さな鏡をひとつ買って微笑む練習をしてみようか。
そんな向こうの世界の知識たちとも、永遠にお別れなのは寂しいけど、
漫画もアニメも無いし、何にも無いこの異世界だけど、
私はこんな世界で生きていくのは嫌だけど、
フレイルと一緒なら、きっと我慢できるから。
「フレイル!! ここか!!」
突然、部屋の扉がけたたましく開かれた。
あわたてててはなれて身を離す私とフレイル。あわわわ……。
抱き合った状態からベッドの真ん中に戻る私と椅子から立ち上がり敬礼をするフレイル。
部屋に入ってきたのは、女の人だった。
「ふ、副団長…!? どうしたんですか?」
「詳しくは後で話すが、大議会で問題が発生した」
綺麗な、とても綺麗な銀髪ロングの女の人。
雪みたいに白い肌。背が高い。厳しい表情で眉間に皺を寄せているが、とんでもない美人だ。ヴァルキュリア人の末裔みたいだな。高位騎士の軍服を着こなしてとても格好いい。
フレイルは副団長と呼んでいるけど…、
「ん、その娘は…」
「副団長この子は…ほら、例の……」
副団長というのは、王立騎士団の副団長ということなのだろう。
つまりはフレイルの上司ということだ。
緊急の用らしいが、仮にも医務室にいきなり入ってきて騒がしい。びっくりしたじゃないか。
「ふむ、邪魔をしたようだな。すまない。
……しかし緊急の要件なのだ。理解してもらいたい」
「何かあったんですか?」
「赤の側の議会の様子がおかしい。内輪で何かが起きて混乱しているようだが、大議会が皿を返したような騒ぎだ。混乱が伝播して何が起きるかわからん。青の議会を護衛を強化せねば。貴様の剣が必要だ」
手早く説明を終え、私の前に立ちピシリと敬礼する女性騎士。
「こうして挨拶するのは初めてだが、君とは一応面識はある。覚えているだろうか? 私は王立騎士団副団長をやらせてもらっている騎士サーベルという者だ」
「は、はぁ…メイスです」
よく通りそうな声でハキハキ喋りかけられ、強い眼力に気圧されてしまう。
面識があるらしいが私には覚えが無い。だがその名前には聞き覚えがあった。
そうか、この人が青の国最強の騎士。
「君のことはフレイルからよく聞いている。友人であり、家族のような間柄だそうだな」
「え…!?」
家族のような間柄とな。
…そ、それってフレイルが言っていたということだろうか? フレイルを見ると「あ~確かに言ったな~」みたいな顔でポリポリ頬を掻いてる。やはりそのようだ。
私とフレイルが家族。家族っていうとあれか。同じ家に住んで、居るのが当たり前みたいな感じで、でもお互いにとってお互いが欠かせない存在で、一緒のベッドで眠ったりして、
「フレイルの自慢の妹御というのが君だと聞いたときは驚いたものだ。前々から挨拶したいと思っていた。緊急な時分なので手短ですまないが」
「…………」
…………、
……どうやら家族と言うのは兄弟の間柄ということらしい。勘違いか。
まぁ確かに私とフレイルは年が離れているし、並んで歩くと兄弟に見えるとはよく言われていたことだが。
「フレイルの妹だというなら私の妹も同然だ。どうか義姉のように慕って欲しい」
「はぁよろしくおね……、……え??」
んん…?
義姉……??
姉ではなく、義姉?
「ん? フレイルから聞いて……あぁそうか。長らく連絡の取れない状態なのだったな」
「ゆっくり話せるタイミングで言おうと思っていたんですけど、色々立て込んでたんで……」
「ふむ。では自己紹介のついでだ。耳には入れておいて欲しい」
少し赤くなった頬をポリポリと掻くフレイル。
待って。ちょっと待って。
私が妹で、
フレイルがその兄で、
サーベルさんが義姉???
「メイスちゃん。落ち着いたときに話すつもりだったんだけど……、
サーベルさんとは、結婚を前提にしてお付き合いをしてるんだ」
………、
…………、
……え?
「フレイルの御両親にはもう挨拶を済ませていたのだが…」
「副団長。それ僕のセリフ。副団長がそれを言うと僕が貰われる立場みたいです」
「む、そうか。とにかく結婚は無二の友人である君が戻るまで、というフレイルのたっての希望だったのでな」
…え?え?
あ……あれ…?
「ふ……ふれいる…?」
「ごめんメイスちゃん。もっとゆっくり話せればよかったんだけど……」
「ふれいる……けっこん…するの……?」
「……うん。
この人と、結婚するよ」
…………、
………………、
……………あれぇ?